第3.5話(旧第3話後編) 魔女


 フカフカのソファーに腰を落ち着け、キンキンに冷えたシャカラートをちびちびと含みつつ思案に暮れた。


 ――異世界など、この目で見るまでは心から信じる事はできない。だが、ある意味VRも現実とは違うと言う意味では異世界なのだから、異世界の中に別の異世界が生まれても不思議が無いようにも思えてくる。


 ――いや、混乱しているだけか。とにかく今考えるべきことはあの女にどんな言葉をぶつけてやるかだ。差し詰め「良くも訳の分からない事に巻き込んでくれたな」か。それとも、皮肉を込めて「……で、俺の護衛をしてくれる奴はどこだ」と言ったところか。


 そんなくだらない事を考えていると、不思議と気が紛れてきた。

 うっすらと浮かべた微笑は傍から見ればエソラの帰りを待ち望んでいるようにも映るだろう。


 ――別にあいつに会いたいわけじゃない。ただ、文句を言いたいだけだ。


 そして彼女の無事を確認できれば取りあえず罪悪感からは解放される。

 最後の一口を含み、鋭くとがった苦みと共に飲み込んだ。


「どうやら戻ってきたようだ」


 聡次郎のゆったりとした低い声のためか、より一層の安堵が胸に広がる。


 リアルタイム表示されたVR世界は既に光に包まれていて、まるで天使のように一人の少女が降り立った。


 恍惚とした瞳を閉じてゆっくりと息を吸うと、今度はたっぷり時間をかけて吐き出し夢から覚めたように目を見開く。


「戻ったわ」


 一見、独り言だが、明らかにこちらがモニターしていると知っての発言だ。


「確認した。それでは手動で覚醒シークエンスに移ってくれ」

「わかったわ」


 いつも通りの淡々とした口調。親の前でもそうなのかと疑点が浮かぶが、それもほんの一瞬の事。ぶれない所がむしろ彼女らしいと安んじる。


 まっすぐ中央の施設に戻ったエソラは玄関、廊下、二回に続く階段を経て個室へと向かう。自室を映した映像が無いのはせめてものプライバシー保護のためか。



 それから五分くらい経って、現実世界の方で動きがあった。


 個室のドアが開き、エソラが姿を現した。玄関を出ると西の壁の前で立ち止まり、腕組みをした。


「今、開ける」


 仰々しいブザーと共に西の扉が左右に割れ、それと同時に最上階の白壁も開き始めた。

 そして門が完全に開き切る前に、慣れた脚運びでエデンから飛び出した。


 ただVR装置の睡眠状態から目覚め、起きて来ただけなのに、なぜかVRの世界から現実に飛び出してきたような錯覚を覚える。


「エソラ、喜べ。綾斗くんが協力してくれる事になった」


 そして彼女の冷たい視線は綾斗を捉えた。


「ああ、そう」


 一縷の興味も示さず視線を戻し、エレベーターの方へ歩いて行く。


 それは予想以上に素っ気ないもので、言うべき言葉を失ってしまう程だった。


「おい、ちょっと待て。それだけか?」

「私は疲れたの。今日はもう休むわ」


 エソラは足取りを止めようとしない。

 流石に違和感を感じた綾斗はすれ違いざまに腕をつかんだ。


「何するの? 痛いじゃない。放しなさい。今すぐに!」


 氷の息を吐くような言葉遣いはエソラの特徴でもある。


 ――だが、何かがおかしい。


 言葉の裏に怒りか憎しみ、そう言った負の感情がひしひしと感じ取れた。


 それが疲労のためなら仕方がない。だが、


 ――彼女をこのまま行かせてはいけない。


 直感、あるいは超感覚的な何かが警鐘を鳴らした。


「お前は……誰だ」


 至って真面目な顔で放った問いかけ。


 冗談よ、と言うならそれも良し。

 ――あとでたっぷり罵ってやればいい。


 エソラは俺をからかう時、口の端を極わずかだが引き上げる。綾斗はそのサインを見逃すまいと注視した。


 が、頬に刻まれたのは悪意に満ちた満面の笑み。


「あーあ、バレちゃった。もう少しだったのに」


 まるで空気が固まったようだった。


 現状を理解しようと必死に頭を回転させるが、納得できる答えなど出ない。戦慄に震えそうになる四肢を抑えるので精一杯だった。


 閉じた時間の中でだけが自由を得た様に語り続ける。


「なんでわかっちゃったのかな……そうだ、それよりせっかく見破ったんだから、あなたの質問に答えてあげなくちゃね。私が誰か教えてあげる。私は『魔女』。向こうの世界ではそう呼ばれているわ」


「娘をどうした!」


 沈黙を破ったのは聡次郎の怒声。


「どうもこうも、ここにいるじゃない。魔女がエソラでエソラが魔女。見たらわかるでしょ? ……なんて冗談よ。半分本当だけどね」


「ふざけるな! ちゃんと答えろ!」


 おどけたような魔女の返答に綾斗は鋭い剣幕けんまくを張って返す。

 それを聞くと魔女はますます笑みを深めた。


「分かってるから落ち着いて。私は人の心を奪い、空いた隙間すきまに自分の思念を植え付ける事が出来るの。だから、奪った分はあっちの私の頭にあるし、残りの記憶や思い出はちゃんとこの体に残ってるわ、


 エソラに名前を呼ばれて愉快だと思ったことは一度もない。だが、こんなに不快だと感じた事も一度もなかった。


「エソラを助ける方法を教えろ! 今すぐに!」


 ピリピリと空気が震える程の覇気が通じたのか、魔女は容易たやすく口を割った。


「助ける方法はあるわ。三日以内に私を向こうの世界に連れ戻して術を解かせること。もちろん術を使ってるのは向こうの私だから。それと三日経っちゃうと保証しかねるから注意してね。まあ、どのみち不可能でしょうけど」


 綾斗の右手は魔女のか細い左腕を掴んだままだ。


「お前を黙って見過ごすと思っているのか⁉」

「いいえ。でもあなたは自分から離すわ」

「何を――」


 綾斗の声は激しい破砕音で掻き消された。


 音源はガラス窓。周囲を取り巻くガラスが一斉に割れたのだ。

 

 耳が痛むほどの騒音に反射的に手を離し、耳を抑えてしまった。


「……くッ。待てッ!」


 魔女が駆けたのはエレベーターではなく割れた窓の方。

 綾斗は激しい耳鳴りに抵抗しながら、魔女に詰め寄った。


「いい景色ね。それにとても高い。あらあら困ったわ、どうしましょう」


 高層を吹き抜ける強い夜風が否応なく不安を掻きたてるが、魔女の表情には一切の恐怖心も見られない。


「諦めろ!」

「あら、どうして?」


 魔女はわざとらしく小首をかしげると、そのままひょいとバックステップ。その先には何も――。


 心臓が止まりそうだった。絶叫と共に落ちてゆく少女の姿が脳裏を駆け抜けた。

 だが、そうはならなかった。魔女は何もないはずの空に悠然ゆうぜんと立っていた。さも当たり前とでも言いたいように。


「驚かせてごめんなさい。でも面白いショーだと思わない? 不可視の攻撃に、空中浮遊。次は何だと思う? ……瞬間移動、何てどうかしら」


 ――まずい、逃げられる⁉


 まるで虚言に踊らされるピエロだが、今、魔女を止めなければ二度と捕まえられない。そして自分には償い切れない事態になる。


 そんな直感が綾斗の手足を無意識に動かした。


 無謀とも思える死のダイブ。


 自分でもどうかしてると頭の片隅で思いながらも、魔女の体に手を伸ばした。

 だが、引き留められたのはむしろ綾斗の方で。


「綾斗くん! 馬鹿な真似は止めるんだ!」


 片足を闇夜に放り投げ、手を伸ばしたが魔女には届かない。


「――さようなら」


 彼女はにやりと笑い、瞬きのうちに消え失せてしまった。まるで初めからそこに居なかったかのように。


 聡次郎に引き戻された綾斗は魂を抜かれたように項垂うなだれた。


 ――どうしてこうなった。俺がエソラの頼みを断ったからか? せめて三日前に承諾していれば……いや、そんな保証はどこにもない。現に今だってエソラを……救えなかった。


「綾斗くん、しっかりしたまえ! こうなっては君に協力してもらうほか道は無い」

「協力? 俺に何ができるって言うんですか⁉ この手に掴んでいたのに、放してしまった……」


 空虚な右手を見ていると苛立ちがこみ上げてくる。


「君の所為じゃない。だが、責任を感じると言うのなら、協力してくれ。魔女が言っていた事が本当なら、まだエソラを救うチャンスはある。現実世界での魔女の確保は君の父、はじめに任せる。だから君はエデンの東で魔女を捕まえるんだ!」


 ――無茶だ。ただでさえ無謀むぼうなのに、三日以内という制限付き。それにいくら親父でも魔法を使う相手なんて埒外らちがいも良いところだろう。


「君は一人ではない。向こうの世界には協力者がいるはずだ。その者たちに接触し、魔法を修得できれば魔女を捕らえる方法が見つかるかもしれん。とにかく、今事情を知り尚且なおかつ向こうの世界にアドベント出来るのは君しかいない」


「もし、俺が断ったら……」


「娘は助からない。君がもし何もせずに娘を見殺しにすれば、私は恐らく君のことを一生恨むだろう」


 ――恨む……。そうだ、最近同じことをエソラにも言われたばかりだ。


「勝手ばかりを言っているのは重々承知している。だがそれでも頼む……この通りだ」


 土下座。


 額を床にこすりつけての。

 これが人に物を頼む態度だと誰かさんに教えてやりたいくらいの。


 未来予知を目的とした巨大VR機、異世界、魔法、そして……魔女。


 シラフでなくても信じられない様な事ばかりだが、既に事実として認識してしまった。その時点から引き返すと言う選択肢は奪われてしまったのだ。


「……分かりました。弱音を吐いてしまってすいません。本当に辛いのはあなたの方なのに。ですが、必ず助ける何て、無責任な事を言うつもりはありません。それでも可能性がある限り諦めない事だけは約束します。だからもう顔を上げて下さい」


 それでも聡次郎は何度も「すまない」と頭を地面に押し付けた。


 やっとのこと顔を上げた聡次郎の額は赤く、瞼は直視できない程に痛々しく腫れていた。



◇◇◇



 それから交わされる言葉は必要最低限で、重苦しい雰囲気の中、着々と準備が進められた。


 エデン内の個室に設置されたインターフェースはベッド型。元は長期療養りょうよう型全自動介護療床なるものを改造した代物で、その見た目から『カプセル』と呼ばれている。


 半透明のケースで蓋をされ、ゲル状の低反発の台に横になった状態で、ぬるりとした肌心地は良いとは言えない。おまけに全裸なため、妙に落ち着かない。


 だが、一旦起動してしまえばあっという間に睡眠状態となり、ケース内は酸素濃度の高い栄養液で満たされる。すると調整された浮力により体は浮かび上がり、褥瘡とは無縁の状態になる。


 電気刺激により嚥下、排泄がコントロールされ、分流式循環システムにより清潔は常に保たれる。さらには四肢・体幹の筋肉も適度に刺激されるため、廃用症候群さえ予防するまさに抜け目のない介護用ウォーターベッドだ。


 綾斗が慣れ親しんだPSW―VRのおよそ一千倍――三千六百万個の電極が発する不可視の波が、深い眠りへと誘った。

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