第3話(旧第3話前編) エデン


 最上階直通のエレベーターが実にクリーンな稼働音を吐いて二人を運び上げる。


 体に響く鈍い振動は昇降機ではなくビルの中心を突き上げる量子コンピューターの集合体から発せられたものだ。


 聡次郎はこの媒体ばいたいを使って何を実現しようとしたのか。


 それを否応なく考えさせられるが、結局答えの出ぬまま、階層表示のランプは百階で止まった。


 ドアがスライドし、初めに目に飛び込んだのは部屋の中心に構える白一色の巨大な立方体。下階のコンピュータより幅はやや小さいが、高さは二倍くらいはある。

 正面に大きな壁掛けモニターが横並びに設置され、手前にコンソールが備わる。


 ぐるりと周囲を見渡すと全面ガラス張りで、都心部の夜景が一望できた。おまけに天蓋てんがいにはあふれんばかりの星々が煌いてきらめいる。

 中年男性と二人きりにしてはロマンチックすぎるシチュエーションだ。


「エソラさんは何処に?」

「その中だ」


 聡次郎が指を突き立てたのは白い壁。やはりこの中に何か秘密があるのだ。


「順を追って説明しよう。まずは右のモニターを見てくれ」


 言われるがまま俯瞰ふかんする。


 細かく区分けされたモニター画面には簡素かんそな二階建ての施設を上空から移した映像や、それを別の角度からとらえた様子が映し出されている。

 日付表示は半年以上前で、映像内を白い服を着た大人が二人。緑道で何気ない雑談をしているように見える。


「それでは次に左のモニターを」


 綾斗は左と右を交互に見やり、間違い探しだろうかと思い至った。

 全く同じ日付、時間で、同じ人間が同じように行動している。


「綾斗くん。これを見てどう思う?」


 人を試すような好奇心に満ちた視線は無視して、正直に答える。


「同じ時間の同じ映像……ではないんでしょうね」


 聡次郎は少し残念そうに肩を落とすが、それ以上答えが返らないとみて気を取り直した。


「ご名答。右が現実。左が仮想現実だ」


 つまらないひっかけだと綾斗はため息をついた。

 だが、直ぐにある矛盾に気付いた瞬間、上擦った声を上げる。


「ちょっと待って下さい! どうして同じ映像があるんですか⁉」


 そう、よく考えてみればありえない事だ。

 左がVRの映像であれば、右で人がうろついているはずがない。

 仮に現実の動きをそのままトレースするインターフェースがあったとしても、画面に映る人々はモーションキャプチャー装置も、五感をトレースする装置も使用している様には見えない。


 そもそも、VRは非現実的な体験を提供するもの。現実と全く同じ仮想現実に何の意義があると言うのか――。


「君は未来予知、あるいは預言というものを信じるかね」


「一体何の話を――」


 綾斗の返答を祈祷師きとうしのような手で制して聡次郎は告げる。


「私は信じていなかった。少なくともこれが完成するまではね」


 綾斗は言葉を失った。――この男は正気ではない。そう思ったからだ。

 だが、懐疑的かいぎてきな目線を気にすることも無く、口上は続く。


「未来予測に関しては以前より各国で研究が進められていた。まあ、未来が分かってしまえば、世界をコントロールすることは容易たやすいと考えたのだろう。そしてわが国も例外では無く、政府から秘密裏に勅命ちょくめいが下った。それが、実現可能な未来予測システムの構築こうちくだ」


 ほうけたような綾斗の表情を見て、聡次郎も『お手上げ』という仕草しぐさをした。


「私もあり得ないと思ったよ。実現可能……なのだから、机上の空論では駄目だという、我々にとってはほとんおどし文句に近い条件を突き付けられたのだからね。だが、私はある時気がついたのだ。規模きぼは小さく実用性にかけるが、少なくとも先駆けとなるシステムは作れるとね」


 人差し指を突き付け、彼は幾分その声にも力を込めた。


「それが『Equivalent Demonstration for Estimation of New order』。通称E.D.E.Nエデン。直訳すれば『新たな法則のために構築された等価な世界』と言ったところか」


「新たな法則?」


「そう、実はエデンは元々、別の目的で開発が進んでいてね。『力の大統一理論』の証明がその役割だったのだ」


 力の大統一理論――。


 それはこの世に存在する四つの力。すなわち電磁気力、重力、核の弱い力、核の強い力を合わせた、この世の全ての事象を説明するための究極の理論だ。


「証明だなんて、それじゃあ、まるでもう理論は完成されてしまったと言っているみたいじゃないですか」


 綾斗のこの指摘してきに対し、聡次郎は眉をひそめた。まるで煮え切らない、と言うように。


「確かにそうだ。だが、ほぼ完成に近い状態まできている。証明は言い過ぎだったと認めよう。実際に試行錯誤しこうさくごの段階では誤差ごさも多かった。方程式を修正する作業は骨が折れたよ。だが今は見ての通りだ」


 聡次郎は再びモニターを指した。


 つまり、左は大統一理論を用いて予測された仮想世界であり、右の現実世界との比較によりその理論の確かさを検証しているという事だ。


「原理は君が使用している戦闘訓練用VR――正式名称は知覚型VR(Projected sense of wisdom type-VR)、略称PSW―VRと同じで被検者は夢の中で疑似的体験をするわけだが、このエデンで採用されているのはISW―VR (Integrated sense of wisdom type-VR)。知覚型VRだ」


 PとI、が変わったところでどう違うと言うのか。


 その思惑を見透かして聡次郎は思いついたように声を弾ませる。


「そうだな、PSWはオフライン。ISWはオンラインと言えば分かり易いか……。つまりISWは多人数参加型になる訳だが、ここでPSWには無縁の問題が発生する。それが個々の認識のずれだ」


 この説明だけである程度の予想はついたが、あえて水を差すような真似はしなかった。


「例えば日常生活において、見知った人物が意外な行動をとって驚かされる事があるだろう。通常はそこで『ああ、こいつはこんなやつなんだな』とパーソナルイメージに修正がかかる。何気ない事かも知れないが、これが大問題で同時に接続した二人の予想と実際の行動にずれが生じた場合、この矛盾はシステムにとって重大な障害しょうがいを引き起こす。なぜなら世界が分岐ぶんきしてしまうからだ」


 ――世界は一つなのに二人の人格に予想される別々の世界が二つ同時に存在すればそりゃ崩壊してしまうのも無理はない。……ん? 二つが同時に存在……。


「ひょっとして量子コンピューターがその問題を?」

「ご明察! 本当に素晴らしい! どうだ、将来うちの研究部で働いてみては。娘も喜ぶ」


 ――どうしてエソラが喜ぶのかは分からないが、願い下げだ。別段物理が得意という訳でもなく、ただの思いつきを言ってみたに過ぎない。


 通常のコンピューターは0か1かのいわゆる二進法が基盤にあるが、量子の世界では『0でも1でもある状態』が存在し、このため従来のコンピューターを上回る処理速度を叩き出せる。

 この『0でも1でもある状態』が『二つの矛盾する世界が同時に存在する状態』に符合するとたまたま閃いただけだ。


「素人考えですが、0でも1でもあるような世界を作り出して、その間に二人の認知を統合させて反映する……なるほど、それで統合型というわけですか」


 眩しい視線に気づいてハッとする。


「いいね、実にいい! そこまで理解できていればシステムの説明は十分だ」


「それではやっとここへ呼ばれた理由を教えてくれるわけですね」


 そう、これまでの話はあくまでシステムの説明であって、呼ばれた理由ではない。被検者になるにしても自分である必要性が感じられないのだ。


「ん、ああ。ああ、そうだとも。つまり要約するとだな――」


 早く本題に入ってくれとばかりの不躾ぶしつけな質問が良くなかったのか、


「――異世界の調査に協力して欲しい」


 という突飛な解答。連続性、関連性があまりに乏しい発言に綾斗は呆れて口走る。


「意味不明なので帰らせていただきます」


 回れ右した綾斗の肩をわし掴みにして、


「ま、待ってくれ。もう一度チャンスをくれ。こちらとしても早く要件を伝えたいのだが、やはりこれは順を追って説明しなければならないようだ」


 すがる様な大の大人の懇願こんがんを無下にすることも出来ず、綾斗は渋々しぶしぶ頷いた。


「ありがとう。ではこれを見てほしい。半年前の記録映像だ。個々の認識パターンを確認するために、初めに四十八時間連続でログインしてもらっている。これはその一日目だ」


 左右の画面にエデンの映像が早回しで再生される。

 確かに、右では人影が一切見られず、左だけせわしなく動く人影が映されている。そして先ほどの映像と異なるのはエデンを囲む壁――その中のと書かれた一面に巨大な絵画が飾られている事だ。


「その絵はエソラが描いたものだ。実験の成功を祈念してね。そして、この時の被検者はエソラと妹のレムだった」


 解像度を落とした早回しのため、顔までは認識できないが、ブラックアッシュとシルバーアッシュの髪色は間違いなくエソラ。消去法的に黒一色の美しい髪の持ち主が妹のレムという事になる。

 エソラに比べて背は低く、髪型はカントリースタイルのツインテールで見分けがつく。


 エデン内の照明が落ちて夜に、再び照明が灯り朝になり、二日目に突入する。


「順調に行けば三日目からログアウトしてもらって、右と左を見比べる作業に移る訳だが、予期せぬ事故は二日目の夜に起こった」


 再び照明が落ち、窓から覗く明かりも消えて寝静まったところで映像は通常速度に引き伸ばされる。

 すると玄関のドアがゆっくりと開きふらふらと歩きだす人影が現れた。


「レムは時々、夢遊病むゆうびょう――つまり寝ぼけて歩き回る癖が出るのだ」


 事故と言うほどのものか? と疑問を抱きながらも少女の動向を追った。

 するとレムは東の壁の前で立ち止まり、鑑賞するかのようにじっとエソラの絵を見上げた。


「ここだ。よく見ていてくれ」


 聡次郎の緊迫きんぱくした声に反応して綾斗は息を止めた。


 バシュッ。


 闇を塗り替える程の強烈な閃光と奇怪な炸裂さくれつ音。

 時間にして三秒ほどで白一色の世界が再び闇に帰るが、そこにレムの姿は無かった。


「彼女は何処へ……」


「絵画の中だ」


 この男の言葉には驚きっ放しだが、その中でも群を抜いた解答だった。


 ――ありえない。


「信じられないのも無理はない。だが、事実だ」


 それから聡次郎は再生速度を倍速に戻しつつ、補足を加えた。


「これが三日目の朝。レムは目覚めず、私は頭を抱えたよ。システムを強制終了した場合、どんな結果を産むか怖くて、ただ経過観察する事しかできなかった」


 まだ信じられないものの、戦慄せんりつが胸の奥から忍び寄って来るのを感じ、聡次郎の声に耳を傾けた。


「そして三日目の夜だ」


 沈黙した闇夜に「バシュッ」という音と強烈な閃光が飛び散る。

 やがて白の中に輪郭りんかくが浮き上がり、絵画の前に崩れ落ちる人影を見た。


「我々の祈りが届いたのか、レムは戻って来た」


 当時の事を思い出したように語る聡次郎の表情は明るかった。


「よくわかりませんが、これで一件落着……」

「それがそうも行かなくてね。本当に大変なのはここからだ。なんせ、VRの世界に異世界が出来てしまったのだから、原因を突き止めシステムを修正しなければならない。つまり、君に頼みたいのはこの絵画の向こうの世界、我々は『エデンの東』と呼ぶ異世界の調査だ」


 一応話は繋がった。


 つまるところエソラの依頼は『エデンの東』での護衛という事だ。だが、まだ納得できないことがある。


「どうして俺なんですか? それに自分の娘をそんな訳の分からない世界に行かせるなんて、とても正気とは――」


 至極しごく正論を言ったつもりだったが、隠す気も無い聡次郎の落胆を見て言い留まる。


「子供を行かせるのは私とて心苦しい。だが、どういう訳か『エデンの東』には大人は入れない仕組みになっている。ゲートは開かれるが通り切る事ができないんだ。推測だが脳の柔軟性か何かに問題があって、常識に固められた我々の頭ではその世界を受け入れられないのかもしれない」


「それにしたって……」


「エソラが望んだことだ。このプロジェクトには莫大な費用と国の存亡そんぼうかかっている。もはやプロジェクトを途中で放棄ほうきする選択肢はない。情けない話だが、君たちに頼るしか方法は無いんだ。今はエソラ一人に観測を任せているが、正直、心配で仕方がない。だから、頼む。娘を護ってやってくれ。この通りだ」


 綾斗は深々と頭を下げられた。大の大人に、しかも見上げる程身分の高い人物に。


 いや、身分など関係ない。そこにあるのは娘を思う一人の親の断腸だんちょうの思いだ。

 それに綾斗には断れない理由がある。


「分かりました。責任は負いかねますが精一杯の事はさせてもらいますよ」

「ありがとう。君にはまた借りを作ってしまって申し訳ない」


 勢いよく顔を上げた聡次郎から目を逸らしてしまった。


 ――借り? 借りがあるのは俺の方だ。


 その微妙な沈黙を誤魔化ごまかすように綾斗は話を推し進める。


「それで、その異世界とやらは一体どんなところなんですか?」

「それは娘から直接聞いた方が良いだろう。もう戻ってきてもおかしくないのだが。悪いがそれまではソファでくつろいでいてくれ。適当に飲み物でも準備しよう」


「おかいまいなく」




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