第2.5話(旧第2話後編) 影の塔
『アクセスポイントと解除キーを添付しておいたわ。今日の放課後そこに来てちょうだい』
この文面がEメールで届いたのはもう三日も前の事。
そして織島エソラが不登校になったのも三日前から。もういい加減、
病欠扱いになってはいるが、昨日送った上辺だけのお見舞いメッセージが無視されている事から考えても、彼女に何かあったと考えるべきだ。
だからと言って自分の手に余る事に首を突っ込むつもりはなかった。
――そう、これはただの事実確認だ。
アクセスポイントに指定された高層ビルを見上げ、そう自分に言い聞かせる。
もう夕暮れ時も近いと言うのに額をこぼれ落ちる汗。爽やかな春の残光の所為で無ければ、
――俺は珍しく緊張しているのかもしれない。
新都心沿岸部に位置する織島ツインタワービル。
日本が誇る電子機器メーカー織島グループ本社であり、そのユニークな構造から秘かな観光名所にもなっている。
ツインタワーの名の通り、巨塔のように天高く聳える流線形の二本のシルエット。片方は白を基調にした近未来的デザインで人目を惹くが、それでも、もう片方には敵わない。
全面黒色のガラス張り。
ある意味シンプルだがその二本の巨塔が鏡写しの様に
黒いビルは通称、『影の塔』と呼ばれオフィシャルでは本社のレプリカという事になっている。すなわちビジュアル的意義だけで建造したという事から、織島グループの財力の高さが伺える。
ここは綾斗にとって曰く付きの場所であるが、エソラにとってもそれは同じはず。それでもこの場所を指定したという事は、何か意図があるのかもしれない。
――例えば……
綾斗は覚悟を決めて本社のエントランスへと進入する。
やけに高い天井と奥行きの中に一般来客者向けに電化製品がずらりと展示されている。大きいものは自社製の電気自動車から小さい物は
シェアの広さを見ろと言わんばかりの光景に
――この会社がいずれ織島エソラの物になるのかと思うと残念でならない。いや、あいつの事だ、既に自分の所有物だと思っているかもしれない。
「何か御用でしょうか?」
「織島エソラ……さんにここへ来るように言われたのですが」
「はい。アポイントメントを確認させていただきます。お客様のお名前は?」
「龍崎綾斗です」
受付嬢は慣れた手つきで入力作業を行い、モニター上で目線を流す。
「申し訳ありませんが、本日龍崎様との面会のご予定は無いようです」
失態に気付いた綾斗はばつが悪そうに口を引き結んで赤面する。
――……しまった。会うのは三日前だった。
「あの、もしかして場所を間違われているのでは無いでしょうか?」
「いや、そんなはずはありません。えーっと……これを見て下さい。確かにここであってますよね?」
綾斗が差し出した携帯端末を覗き込んだ受付嬢の眉が一瞬だけピクリと持ち上がった。
「……いえ、やはりここでは無いようです。もう一度地図をご確認の上、アクセスし直してください」
これは面倒な客を追い返すためのいわゆる塩対応かと思いきや、次に付け足された言葉が妙に真に迫っていてドキリとした。
「それと……ここでの会話は無かった事にしてください」
「は? 無かった事って……」
「『名前も知らないあなた』はここに来なかった、という事です。当社のあらゆる記録メディアからあなたの存在が消去されます。それではご健闘を祈ります」
綾斗は追い返されるように一旦外へと向かい、すっかり冷たくなった空気を吸い込むことになった。
――わけが分からない。
これで帰るという選択肢も無くは無いが明日以降も煩わしい気持ちに悩ませるのは避けたくて、仕方なく地図をもう一度確認する。
――何度見ても同じ。アクセスポイントはこのツイ……ん?
思わず喉を鳴らし、拡大表示する。
確かにマーカーはこのツインタワービルを指している。が、それは正確には影の塔を指しているように見える。仮にそうだとして何処から入れと言うのか。
薄闇に溶ける影の塔は存在自体が虚ろで不気味に映える。
周りに人がいないのもそのためだろう。気のせいか、ビル自体から唸りのような声が聴こえてくる気さえする。
余計気が進まない中、受付嬢の言葉を思い出し、もう一度地図をよく見る。
――地図アプリと連動させると、この場所は……ここだ。
高性能のGPSに従い寸分の狂いもない場所に立っては見たが、入り口らしきものはない。
やはり秘密の隠し部屋などなかったのだと肩を落とし背を向けた時、ガコンという音が耳朶を打った。
目に見える変化は一か所。目線の高さに煌く数本の光の筋。そのパターンを見て綾斗はすぐさま携帯端末を起動した。
エソラから送られてきたアクセスキー。白と黒の棒が並んだ一見バーコードのようなその配列を白黒反転させたものと同じ。
――これはひょっとしてパンドラの箱じゃないのか。
理性が
「コード認証。ゲートオープン。速やかにお入り下さい」
電子音声に急かされ悩む間もなく、ガラス板がスライドして出現した闇の中に足を沈み込ませた。
シャンッと背後で扉が閉まるのを感じた。辺りには光源一つなく、完全なる闇が支配する。と、パッとスポットライトのような光源。
凄まじい光に包まれ、反射的に目を閉じる。肌に熱は感じない。明順応が追いついていないだけで光量自体はそれほどでもないようだ。
やがて視界が色を取り戻し、人のシルエットが縁取られていく。
「やあ。随分待ちわびたよ、龍崎綾斗くん」
突然現れた白衣の男。
彼はエソラの父、
現代表取締役でメディアに登場する事もあり、世間に顔は広く知られているが、綾斗は直接会ったことがある。もう7年も前の話だが、彼の容姿はその時とほとんど変わっていない。
男前の顔立ちにワックスできっちりと固めたベリーショートの黒髪。これで無能なら詐欺だと思えるほどのカリスマ性を全身から放っている。
「いったいこれは何の真似ですか。まさかあなたもグルだったとは」
綾斗からすればまんまと嵌められて檻の中に閉じ込められた気分。焦慮を隠せないのも無理はない。それに彼はエソラの父親。気を許せばペースを奪われかねない。
奇妙な間が空き、苛立ち混じりの牽制が効いたのかと思いきや、
「ははは、グルとは心外だな。回りくどい真似をしてしまって済まないと思っているが、これは君が思っている以上に深刻で隠匿すべき事態なのだよ」
と一笑に伏す。
「隠匿とは穏やかじゃ無いですね。犯罪に加担する気はありませんよ」
「犯罪? はは、まさか。あくまで技術保護のためだ。私の会社は現在政府からの勅命を受けてあるプロジェクトを進行中なのだ。まあ、そうでなくとも他国に奪われてはならない技術が山ほどあるのだがね」
他企業ではなく、他国と言い切った所にきな臭さを感じて、綾斗は目を細めた。
「そう。例えばあの受付嬢はどうだった?」
「どう……とは?」
「彼女はAIだ。どうだ、人間と見分けがつかなかっただろう」
「いやいや、冗談でしょう? あの表情の筋肉の動き……いや、見た目だけじゃない。会話の仕方や間の取り方も、既存のAIとは違いすぎますよ」
期待通りの解答、と言わんばかりに聡次郎は笑みを深めた。
「そう。だからこそ彼女は堂々とあの場所に立たせて性能をモニターしている。君が使用している戦闘訓練用VRにしても私が開発したものだ」
父が旧友に頼んで作ってもらったという事は知っていた。詳細は教えてくれなかったし、VR機の事は家族以外に話してはならないときつく言われていた。
「あなたと父が知り合いだとは……なるほど、S.C.Sの事を知っていて俺に声をかけたのでしょうが、生憎、実践経験は皆無です。娘さんの警護などできませんよ」
綾斗は両手を広げて見せた。
S.C.SとはSupremacy Combat Systemの略で制圧に特化した対テロ用の戦闘技術。綾斗の父、龍崎一が考案し、広めようとしたが余りにも高度な技術が要求されるため、習得できる者はいなかった。
そこで最新の戦闘訓練用VRによるアシストを用いて、ハードルを下げる取り組みがなされた。そのモニターの一人が龍崎綾斗だったのだ。
聡次郎に軽く断りの意を示したつもりが、顔色一つ変えようとしない。綾斗は胸の奥底にくすぶる苛立ちを抑えきれなかった。
「どうして俺なんですか? 大事な娘さんの事ならプロの人間に任せればいい。半端者が力を振りかざせばどういう事態になるか、あなたが一番……」
――いや、俺にこんな事を言う資格は無い。
言い留まって、聡次郎を見やると彼は憐みの無い優しい笑みを浮かべていた。
「綾斗くん。君にこんなお願いをするのは本当に申し訳ないと思っている。だが、君でしか成し得ない事なんだ。理由は後で説明するから、今は私を信じてついてきて欲しい」
力強い両手が綾斗の肩を揺らし、真摯な瞳が心を揺らした。
断るのは簡単だ。Noと言えばいい。だが、ここで引き返せば真実は闇の中だ。
「力になれるかは分かりませんが少なくとも秘密は守ります。俺はエソラ……さんが学校に来なくなった理由を知りたいだけです。そして、もしそれが俺が依頼を断った所為なら償いはするつもりです」
偽りのない本心を言い放つと、肩が軽くなった。
「それでいい。君は信用に値する。まあ、実のところ無理にでも協力してもらうつもりだったのだが」
聡次郎は悪戯な微笑を浮かべ、入り口へ視線を移した。
なるほど、足を踏み入れた以上、どのみちここからは出られなかったという訳か。
綾斗の眼差しが警戒色を強めたことに気づいて、「冗談さ」と聡次郎は謳う。
――完全に信用する事はできない。だが、引き返せないならとことんその秘密とやらを暴いてやる。
綾斗に敵意はない。ただ聡次郎の心意だけは慎重に見定める必要があるというだけだ。そうと決まれば遠慮する必要なない。
「信用したというのであれば教えて下さい。これは一体何ですか」
ここではなくこれと言ったのは、聡次郎の背後、ガラスのさらに向こう側にある圧倒的存在感。機械の塊としか表現できない立方体が部屋のほぼすべてを埋め尽くしている。
「それは量子コンピュータだ。あるVRのためのね」
綾斗は息を飲んだ。なぜならガレージにあるVR機のハードでさえ軽自動車並みの大きさなのに。これはその五十倍以上――。
「驚いているようだが、これは氷山の一角に過ぎない。いや、正確に言えば氷山の底の方かな」
白衣の紳士はすっと天を指さした。
――まさか。
「そう、この影の塔そのものがVR機なのだよ。それでは君を案内させてもらおう。我々の技術の結晶たる『エデン』へ」
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