第30話 エレメント


 綾斗は小さめの椅子に腰かけ、木製の長机に肘をついていた。

 ぼーっと外の景色を眺め、ふと思う。

 

 ――俺は何をしているんだったか……。


 順を追って思い出す。

 天空城でエソラ達と別れてから、昇降機で下階に降りて、スグリと再会。朝ご飯に焼き立てのパニーニとカフェオレを頂いて、エソラからもらった地図を頼りに一人で目的地に向かった。もちろん、目立たないようにフード付きのマントを羽織って。


 幸いそこは国の中心にほど近い場所で徒歩でも十分行ける距離だった。

 目的地についた時、胸が震えたのを覚えている。


 レンガ造りの三階建て。イギリス映画に出てきそうな厳かで伝統的な建築様式。

 何かしらの動物をシンボル化した徽章きしょうが施された旗が窓に掲げられ、誇らしげにはためいていた。


 それはいかにも魔法学校と呼べるものだった。


 ――そうだ。おれは魔法学校にいたんだ。そのはずなんだが……。

 

「はーい。それでは共鳴術の授業を始めまーす。教科書の33ページを開いてくださーい」


 おっとりした声で弁を奮うのは三つ編みの女性。年は二十代前半くらいか。


 ――可能であればマン・ツー・マンでの個人授業が良かった。


 それは別に教師が美人だからという訳ではない。


 綾斗が受けているのは、多人数の生徒が一人の教師から知識をあずかるいわゆる講義形式。

 共鳴術の基礎知識がほとんどない綾斗は講義について行けないという心配があり、カリキュラムに縛られない個別指導スタイルを望んでいた。

 だがこの国は今、深刻な人員不足。それは教育現場も例外では無く、希望を通すのは難しい事だと既に納得している。

 

 納得できないのは――。



「はーい。それではみなさん元気よく歌いましょう」


 そして手拍子に合わせて二十数人の大合唱が始まる。


「「「「エフジェーアシュエルエムエヌ……」」」」


 フランス語版ABCの歌だ。


「みなさんお上手ですねー。だけど、あの……あ、綾斗様……いえ、綾斗……くんはちょっと声が小さかったかなー……なんて……」


 教師が綾斗の名をおどろおどろしく口に出した瞬間、生徒達の純粋な目線が一斉に集まった。


「アヤトー、神様なんだからガンバレよー」

「アヤト元気ないの? あたまよしよししてあげよっか?」


 やけにフレンドリーに話しかけてくるのは六歳くらいの男の子と女の子。


  

 綾斗は確かに共鳴術を教える学校に居た。

 ただし、初等教育。つまりは小学校。それもピカピカの一年生のクラスだ。


 ――これ絶対あいつの嫌がらせ……だよな。


 イノセントワールドで一人、世界に絶望したように頭を抱えた。



「……えと、それじゃあ前回のおさらいから始めますねー」


 おさげの女教師は察して、授業を進める。

 激しく帰りたい衝動しょうどうに駆られながらも、綾斗はそこにとどまり続けた。

 綾斗が視線を落とすのは手元にある教科書。擬人化されたポップなキャラクター達が跳ねまわるシュールさとは裏腹にその内容は意外と真面だったのだ。


「教科書の絵にあるように、全ての物質はその性質を決定する最小単位の原子によって構成されていますが、さらに細かく見ると原子は陽子と中性子からなる原子核とその周囲を回る電子に分けられます。ここまでが前回の内容ですがみなさん分かりましたかー?」


「「「「はーい!」」」」


 ――いや、絶対小学校低学年で習う内容じゃないだろ⁉


 と内心突っ込みつつも、それは文化の違いかと腑に落とした。


 共鳴術は条件さえ整えば年齢に関係なく使用できる。

 その条件とは『エス』、『ベース』、『トーヌス』。

 ベースはエスが満たされた時に心臓の鼓動から生じる基線振動の事であり、実質的には欲動を示すエスとフランス語の詠唱にあたるトーヌスが満たされれば術は発動可能だ。

 エスの例を挙げれば綾斗の場合は『冷徹』、ヴィアンテの場合は『博愛』で、『その人の能力が最も発揮される精神状態』である事が多い。


 各人で異なるエスを特定するには根気のいる試行錯誤しこうさくごが必要なのだが、稀に幼少期にこれを満たしてしまう事がある。その際に半端な知識を有した状態だと危険を伴う可能性があるため、こうやって高度な知識を小さな頃から教え込ませているのだ。


 それに子供は吸収が早い。

 あえて物心ついた頃に教えた方が感覚的に理解しやすくなるのかもしれない。



「それでは今日はさらにミクロの世界を見て見ましょう。陽子や中性子はとても小さいのですが、実はさらに細かく分ける事ができます。それがクオークです。このクオークと言う粒子が強い力によってくっつけられて陽子や中性子を形作っています。この『核の強い力』を伝える媒介粒子を『グルーオン』と呼びます」


 さらに次の図に移り、


「先ほど原子核の周りを電子が回っていると言いましたが、もし、この原子核と電子の間に何の力も作用しなければ電子はどこかへ飛んで行ってしまい原子は崩壊してしまいます。なので原子核と電子の間にはそれらをつなぎとめる『核の弱い力』と言うのが作用していて、この力の媒介粒子を『ウィークボソン』と呼びます」


 そんな感じで四つの基本の力、『電磁気力』、『重力』、『核の強い力』、『核の弱い力』とそれぞれの力の媒介粒子である『フォトン』、『グラヴィトン』、『グルーオン』、『ウィークボソン』を説明していく。

 

「共鳴術はこれら四つの媒介粒子の波としての性質に干渉し、四つの基本の力を操る術です。これはとても難しい内容ですが、とても大事なことです。なので一年生の間はこの基本を何度も振り返るので安心して下さい」


「「「「はーい」」」」


 頭にはてなを浮かべていた生徒達は、笑顔で元気のいい返事を返す。


 それから女教師は少し自習の時間を取ると言って教科書を閉じると、すすすっと綾斗に近づき小声で耳打ちした。


「……綾斗様、ごめんなさい。エソラ様から言われた通りにしているのですが、失礼……ですよね? 授業も神様には簡単すぎてつまらない内容ですよね……本当にごめんなさい」


「いえ、俺の事は気にせず続けて下さい」


 と精一杯の作り笑顔で応じ、表情に明るさを取り戻し去ってゆく教師を見送って意気消沈。


 ――そのつまらない授業がとても勉強になっているんだが。


 幼い子供達でさえ黙って真剣に聞いている授業を投げ出してしまったら、人としてダメになりそうな気がして。

 それからも綾斗は歯がゆさと戦いながら、鋼鉄の精神で丸一日の授業を受けきったのだった。

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