第32話 隔たり
子供達と別れて一人、天空の塔の入り口まで戻って来た綾斗は、一か月前の建国記念の事を思い出していた。
夕日を受けて長い影を落とすのは地上から二十メートルの高さに設置されたお立ち台。
天空の塔の側壁から張り出すように作られた木製の足場は所々砕け、国の
魔女の侵攻の際に破損したそれらは一か月前と何も変わっていなかった。
ヴィアンテが宣誓し、町中に震えるほどの歓声が響いた事をふと思い出す。
綾斗は亜人たちの姿を見て、『この国はきっと再興できる』と確信した。しかし、それは綾斗が思っていたほど容易なことではなかったのだ。
――俺はヴィヴィに重荷を押し付けてしまったのか。
あの時、逃げ出してしまったことに僅かな後悔を滲ませる。
だが、現実世界の事もあるし、国が立て直されるまでログインし続けるわけにもいかない。国を治めるノウハウだって全く持ち合わせていない。
――それになにより、あんな勢いに任せてヴィヴィと婚約するなんて事は……。
「綾斗、お帰りでしたか」
振り返ると栗鼠耳の少女スグリが人懐っこい笑顔でこちらを見ていた。
「ああ、今戻ったところだ。俺はまあ……一応収穫はあったが、エソラとヴィヴィの方はどうだ?」
「うーん。どうでしょうか」
「あまり進捗が良くないのか?」
「さあ、どうでしょうか」
何故もったいぶる必要があるのかと綾斗は眉を捻った。
「もしかしてまた俺を貶めようとしているんじゃないだろうな」
「いえっ、決してそのような事はありません。二人がどうされているのか本当に知らないだけなんです!」
「知らないって……様子を伺えば分かる事じゃないのか?」
「そうなのですが、天空城の最上階に、亜人は足を踏み入れる事ができない決まりになってまして……。下に降りて来て下されば、お話も聞けるのですが、お二人ともずっと
――なるほど。天空城の最上階はさしずめ聖域みたいなものか。
「そこで綾斗様にお願いがあるのですが……」
スグリはナプキンのかかった籠をすっと綾斗に差し出した。
――トマトスープだろうか、食欲をくすぐるいい香りだ。
「つまり、これを二人に届けてほしいってことか」
「はい。お願いできますか?」
――正直言ってエソラの使いっぱしりにされるのは嫌だが、スグリの頼みとあれば断れない。それに状況から考えて、ヴィヴィは朝から何も食べていないはずだ。
「ああ。ついでに何か二人に伝える事があるか?」
するとスグリは小さな頬を膨らませながら、
「それなら……『食事くらいちゃんと食べに来てください!」……と」
「まかせておけ。俺もそう伝えようと思ったところだ」
そう言って親指を立てて見せるとスグリはにこりと微笑んだ。
彼女と別れ、大きな円盤状の昇降機に乗り込んだ綾斗は、最上階行きのボタンを押した。はじめはゆっくりと浮上し始めた円盤はいつの間にか超高速で上昇。
外付けの昇降機からは外の景色が一望できたが、そのあまりの速さに、沈みかけていた夕日がまた始祖山に登っていくような錯覚を覚えた。
たった数分で目的地へ到着。
聖堂内には人影はなく、西日が柔らかく差し込んでいた。
玉座の脇を通り、ちょうど反対側に位置するヴィアンテの寝室兼作戦本部へと歩みを進めていると、両開きの扉の向こうから声がした。
「それは本当なの?」
「はい。偽りはありません」
「まあ、それが本当なら確かに説明はつくけれど」
同じ声なのに、聞き分けられるという不思議。
そのシュールさを噛み殺していると、
「この事は綾斗くんには絶対言わないでちょうだい」
「どうしてでしょうか?」
「彼がそれを知ってしまうと……面倒なのよ」
「何を知られたら面倒だって?」
それ以上は聞くに堪えず、綾斗は勢いよくドアを開け放った。。
ヴィアンテは口に手を当て、目を大きく開いて仰天し、エソラも一見分かりにくいが瞼を少しだけ持ち上げて驚いた。
視線を交わしたまましばしの沈黙。
そしてエソラは直ぐに平静を取り戻し、
「それ以上言葉が出ないという事は、内容は聞かれていないみたいね」
とむかつく程冷静に分析する。
エソラを問い詰めても無駄な事は百も承知。
「ヴィヴィ、教えてくれないか?」
「それは――」
「――言いたくありません」
『言えない』、ではなく『言いたくない』とヴィアンテは言った。
それがエソラに強要されたからではなく、ヴィアンテが言いたくないと望むことなら無理には聞けないと、綾斗はそれ以上追及するのを止めた。
「あら、随分簡単に引き下がるのね」
「ヴィヴィが嫌がる事はしたくないだけだ」
「別に嫌という訳じゃないんです。ただ、今は伝えるべきじゃないと言いますか……いつかは伝えたいと思うのですが……」
煮え切らない物言いの姫は視線を逸らし、頬をピンク色に染めていた。
エソラと違い、その表情の変化が丸わかりだった。
――何か恥ずかしい事なのか?
やはりそれ以上問い詰めるのはまずい気がして、
「や、無理に話す必要なないからな」
と慌てて伝えると、ヴィヴィは小さく頷き返した。
「あー、そうだこれ。スグリからの差し入れだ。あと、食事ぐらいちゃんと食べに来いとさ」
綾斗がナプキンをひらりと剥がすと、美味しそうな匂いが部屋一杯に広がった。
仕事に熱中するあまり本当に忘れていたのだろう、暴力的なまでの食欲に突如襲われたヴィアンテは、大きな瞳をキラキラ。口をぽかーっと開けて、涎を垂らしそうになったところで我に返った。
スグリが用意してくれたのはトマトとチーズのリゾット。時間が経っても水分を吸ってべちゃべちゃにならないように、軽くあぶってあった。厚手の陶器に入れられ保温効果は抜群で、ほとんど出来立てに近いそれを丸テーブルを囲って三人でいただいた。
「美味しいです!」
「今度スグリに直接言ってやった方がいい。きっと喜ぶぞ」
ほくほくとした笑顔のヴィアンテに見惚れながら、部屋に常備してあったストレートティーを嗜む。
「あの子、また一段と腕を上げたわね」
と賞賛の声を上げるのはエソラ。
妙に上から目線なのが気に食わないが、ほんの少し緩んだ目尻から、社交辞令では無く本心であると分かり、突っ込まずにおく。
「それでそっちの具合はどうなんだ?」
「取りあえず被害状況の確認は終わったわ。その上で特に大きな問題点を三つにまとめるとすれば――」
エソラは順番に指をたてながら、
「――一、首都の防壁修復。二、地方の防衛強化。三、輸送手段の確保ね」
と告げ、さらに補足を説明する。
「まず防壁修復だけど、防壁を破壊したのは魔女とサーヴァント達。彼らはもういないけど生態系が狂わされた影響で、本来は平穏なはずの首都周辺に強力なモンスターが現れるようになったの。一刻も早く防壁の修繕と強化を行いたいところだけど、職人の数自体が不足しているし、材料も確保できないから直ぐには解決できない。今は仕方なく騎士達を外周に沿って配置して交代で迎撃に当たってもらっているわ」
「次に地方の防衛強化。首都の
「最後に輸送手段の確保。以前は転移術を使える王族達がゲートを開いて物資の輸送は簡単に行えたのだけど、今はビークルがその役割を担っているわ。亜人のアイザークも転移術を使用できるけど、一人では難しいわ。それに騎士達は殆どがモンスターの防衛にあたっているから、輸送を行う人員の確保自体が難しいの」
綾斗はエソラの説明を聞いて、共通する事に注目した。
「つまり、モンスターを何とかできれば騎士達の手も空いてもろもろ解決に進むわけか」
「まあ、そうだけど、それは難しいのよ。私の力を使えば生息域ごと焼け野原にすることも出来るけど……」
「それは絶対にダメです!」
「大丈夫だヴィヴィ。たちの悪いただのブラックジョークだから」
息荒く詰め寄るヴィヴィを綾斗が宥めた。
「まあ、そう言うことだから明日は首都の防壁を視察しに行きましょう」
「そうだな。実際にこの目で確かめた方が良さそうだ。騎士達の疲弊も気になるしな」
こうして夕食兼会議は終了。
別件で相談があると、資料が山積みになった木製デスクへと場所を移し、エソラが説明を始めた。
人員の再配置についての事だ。
「この国の政治形態は大まかに理解したわ。現代風に言えば大統領たる王が居て、その下に副大統領や、各管轄の長官がいるわけ。王族でなければならないのはこの長官までの役職なの。因みに立法は古くからの『神の教え』が順守されているから事実上無くて、司法に関しては王が最終的な決定権を持つわ」
「それで、その管轄は幾つあるんだ?」
「五つよ。現実世界にあてはめると財務省、労働省、運輸省、国防省、教育省かしら。ただし、内容的には労働省の中に商務と農務も含まれて、運輸省の中には都市開発なども含まれるわ。外国の概念が無いから外務省が要らないのがせめてもの救いね」
「つまり、ヴィヴィは本来なら五人以上必要な役職を一人でこなしていたのか?」
「そうよ。どう考えても無謀でしょ? だから私からの提案はこうよ」
そう言いながら、長大な羊皮紙ロールを波立たせるように勢いよく机に展開した。
かなり末席に至るまで、たった一日で人員の再配置を8割型終えてしまっていたのだ。
「まず、トップは間違いなくヴィアンテね。実務は副大統領たる大臣に任せてしまってもいいわ。あなたは象徴としての役割が強いから。その点に関しては日本で言う天皇みたいなものね」
「天皇と言う概念が良くわかりませんが、王の仕事を任せっきりにするなんてとても……」
「大丈夫。あなたは実質運輸省で働いてもらうから」
その一言で綾斗はエソラの思惑を察した。
「なるほど……転移術か」
エソラは首肯する。
「その通りよ。転移術はヴィアンテとアリシア、そしてアイザークしか使えないから、この三人は必然的に運輸省に配属になるの。ただし、王族の威厳を保つため、名目上はあなたは王女でアリシアが第二王女のままよ。時々、王家訪問と言う名目でゲートを作成してくれればいいわ」
綾斗がリストにざっと目を通すと、知った名前が幾つかあった。
国防省には元師団長のガリレジオ、教育省には元宮廷共鳴術士最高司祭のメイソンの名前があった。
そのまま横に目線をスライドさせていると、どうしても目につく箇所があって綾斗は瞠目した。
「このかっこ書きはなんだ?」
「そう、それなの。疑問に思ってたんだけど、どうしてこの国には内務省が無いのかしら?」
エソラに問いかけたはずがその矛先はヴィアンテへと移った。
内務省は主に国内の治安をつかさどる管轄だ。
綾斗は勝手に『犯罪が起こらない程平和だから』という答えを想像したが、それは甘かった。
「確かに二十年ほど前まではそういった機関がこの国にもあったのですが……」
彼女が暗い表情で語るのは、まるで平和を裏返しにした様な負の歴史だった。
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