第5話 不殺の戒め
中に入って見るまでそれが要塞とは分からなかった。
いや、そもそもカモフラージュの目的であえて一枚岩に見える様にしていると考えた方が自然だ。
「どうですか? ここは私達にとって最後の砦。本物の石灰岩をくり貫いて作ったこの要塞は外から見れば白岩にしか見えませんが、内側から鋼鉄で裏打ちしてあり、モンスターの進入を許しません。流石にドラゴンには突破されてしまいますが、彼らはこの岩が放つ光の波長を嫌うので攻撃される事はありません」
息荒く語る少女。よほどこの場所が気に入っているらしい。
しかし、要塞の名を冠しているがそれでいて中々に可愛らしい印象も受ける。
天蓋にランダムにはめ込まれたレンズが自然光を注ぎ、優しい明るさを保つ。建造物はそのほとんどが石灰岩を材料、あるいは染料に使用しているのだろう。かまくらのようなドーム型の家々が立体的に立ち並び、いい感じに配置された背の低い街灯がより、かわいらしさを演出している。
「確かにいいところだ。要塞と言うよりは妖精達の隠れ家といった感じだが」
「あー、分かります。そうなんですよー……で、妖精って何ですか?」
――さてはこいつ適当か。
「そんなに睨まないでください。神様」
「神……って、どんな言い間違いをしたらそうなる! 俺は龍崎綾斗。普通の人間だ」
「あ、そうでした。自己紹介がまだでした。私の名前はスグリ。ヴィアンテ姫様の侍女を務めさせていただいている者です。そして、神様方のお世話もさせてもらっています」
フードを外してちょこんとカーテシー。
少女の髪は栗色のショートヘア―。くりっとした両目をにんまりと
そして言い間違いではなく、スグリは本当に神様だと認識している様だ。綾斗は『神様方』という彼女の言葉を聞いて察しがついた。
「神様っていうのはつまり、現実世界の人間という意味で合ってるか?」
「はいっ。もっとも私たちにとってはレベナルが現実世界で、光の海の向こう側が神様の世界だと認識していますが」
――なるほど。光の海とは恐らくあの仰々しい光の壁の事を指すのだろう。ならやはりこいつがエソラの協力者という訳だ。
「協力者を捜していたんだ。スグリ……さんがそうなら今すぐに協力関係を構築したいんだが」
「スグリでいいですよ。綾斗様」
「なら、俺の事も綾斗でいい」
スグリは一瞬固まり、弾けたように飛び跳ねた。
「いいんですか⁉ いやいや、恐れ多いです。ああ、だけど下の名前呼び合えたら何て素敵な事でしょう」
「なら、そう呼べばいい」
「じゃあ、遠慮なくそうさせていただきますねっ」
――何という素直さ。誰かに見習ってほしいものだ。
「綾斗」
「何だ」
「すいません。ただの練習です。えへへ……、慣れるまで少し時間が掛かるかもしれません」
――その気持ちは分からなくもない。
冷静を装ってはいるが綾斗も少女に名前を呼ばれた瞬間、内心ドキリとした。
道行く人を眺めるフリをしながらふっと息を吐く。
「そうか。エソラにはずっと様をつけていたんだな。何の抵抗も無く呼ばせ続けている辺り、あいつらしいが」
「やはりエソラ様を助けるためにこちらへいらしたのですね」
「その事も知っているのか⁉ なら話は早いが……」
――いや、むしろ早すぎやしないか……。
「どうしてそんなに驚いておられるのですか? エソラ様のお世話をしていたのですから当然です!」
スグリは小さな胸を張った。
――……おかしい。スグリがどんなに天然だとしても、この陽気さは異常だ。
「なあ、話が噛み合っていない気がするのは俺の気のせいだろうか」
「私も綾斗……と話が噛み合わないなって思っていました。それになぜそんなに深刻な顔をされているのですか? まるで何かを急いでいるかのようです」
――なるほど。これは決定的だ。
「俺は三日以内に魔女を捕縛しなければならない」
「ええっ⁉ いくら神様でもそれは……。ああ、でもエソラ様と二人で挑まれればそれも可能かもしれませんね」
――やはり、こいつは知らないんだ。エソラが魔女に支配された事を。
「スグリ、落ち着いて訊いて欲しいんだが、エソラは魔女の手に落ちてしまった」
「ええっ⁉ そんなこと……信じられません!」
「信じられないのも無理はない。だが、現実世界……いや、神の世界に戻って来たエソラは魔女に心を乗っ取られてしまっていた。それを俺は無様にも取り逃がしてしまった。そしてエソラを助けるには魔女に術を解かせなければならない。それも三日以内にだ」
よほどショックだったのか、陽気さは消え失せ、裏返しにしたような
「スグリ、大丈夫か⁉ おい、スグリ!」
肩を揺すった時、彼女の眼は光を失って見えた。
まるで現実を見る事を拒絶したような――。
「はっ……ごめんなさい。ちょっとびっくりしてしまいまして。……そうですよね、神様が嘘をつくはずはありません。エソラ様は時々お一人で偵察に行かれていたのでその時に捕まってしまったのかもしれません」
――こいつ、本当に大丈夫か? 声色と表情はいつものスグリに戻った気がするが……。
んっ? と気がついて、綾斗は首を横に振る。
あったばかりなのに「いつものスグリ」なんて、彼女を知った気になるなどおこがましい。例えばあっちの方が彼女の本質かもしれないわけだ。
「まあ、そう言う訳で俺はこの世界の事を良く知らない。面倒をかけてすまないが教えてくれないか? この世界の実情を」
「そんな、面倒だなんてとんでもありません! 神様、そしてその血を受け継ぐ姫様にお仕えできて私は幸せですっ!」
――既に気になるワードが幾つか出たが、突っ込むべきか悩ましい点が一つある。
逸らそうとしても視界に入るとつい焦点を合わせてしまう。彼女の頭頂部。いや、彼女だけじゃない。道行く人間の殆どが同じような特徴を持つ。
――だがすでに人間の耳はついている。と、いう事はあれにはいったいどんな意味がある?
「どうかしましたか綾斗?」
「いや、何でもない。それよりどこか落ちついて話せる場所があると助かる」
「それなら私の家にいらしてください。お茶ぐらいならお出しできます」
上機嫌で先導する彼女に続き、ゆらゆら揺れるそれを凝視する。
――どう見てもこれは……
◇◇◇
「……という訳で、この耳は亜人である証拠なのですッ!」
椅子から身を乗り出して力説しながらピンッと誇らしくそれをおっ立たせた。丸テーブルに置かれた紅茶に波紋が浮き出る。
綾斗はスグリの頭頂部に生えた
すると飛び出したのはまさかの昔話。それも一千万年物と来た。
かい摘んで言うと動物達の罪をかぶってエデン(神界)を追放された神様達が、動物が安心して暮らせる平和な世界を作った。それがこのエデンの東。現、レベナル王国という訳だ。
そして神族の末裔がレベナルを統治する王族、動物たちの子孫が亜人という事らしい。
「それで亜人と王族は外見意外に何か違いがあるのか?」
「それが大ありなんですっ。共鳴術は神の技。王族は神の末裔ですから、その才能は我々亜人など比べ物になりません。ヴィアンテ様は中でも特別で……あ、でも素養ならエソラ様の方が上かもしれません。なんせ神様ですから!」
――共鳴術というのは先の魔法の事を指している。そしてその神族とやらに俺も含まれるのであれば何かとてつもない才能を秘めていてもおかしくないはずだ。それが魔女捕縛のカギになる。
「これから訓練場で共鳴術を覚えていただく事になりますが、もう一つだけ知っておいて欲しい事があります。それが『不殺の戒め』です」
「不殺の戒め? 法律みたいなものか?」
「んーそうですね。ある意味最も強制力の強い法と言っても良いかもしれません。これも昔話に関連しますが、我々の祖先が神の国を追われた理由は同族殺しと言われています。そして、祖先達が処刑を免れる条件として提示されたのが神界からの追放と『不殺の戒め』です」
「つまり、人を殺してはならないってことだろ?」
しかしスグリは指を左右に振った。
「いえ、それは間違いです。『殺してはならない』のではなくて『殺せない』のです。我々は故意に人を傷付ける事が出来ません。そして誤って人を殺した場合はその罪を自分の命で償わなければならない。それが『不殺の戒め』なのです」
――つまり法的拘束力ではなく、あくまで魂か何かに刻まれた呪いみたいなものか。それでも神の思惑通り犯罪抑止力にはなりそうだ。
「私はこの戒めが嫌いです」
――まただ。
陰鬱なオーラが滾々と湧き立つような負の感情。
スグリが不殺の戒めを嫌う理由。それがとてつもなく重要な気がしたのだが、踏み込む勇気はなかった。
今はまだ触れてはいけない。もし、無理にこじ開けようものなら、彼女がどうにかなってしまう。そんな危うさがあった。
一旦落ち着こうとカップに口をつけ、飴色の液体を流し込む。鼻を抜ける爽やかなハーブの香りと喉を過ぎた後のきりっとした酸味。スグリお手製のレモンティーは中々上品な味で、恐らくエソラの舌もうならせたに違いない。
カップをソーサーに戻し、ほっと息を吐くと清涼感が喉の奥から吹き抜けた。
「まあ、細かい事はまた気になった時に聞かせてくれ。取りあえず今はその共鳴術とやらに興味がある」
「わかりました。それではさっそく訓練場に向かいましょう」
併せてお茶のお礼を言うと、今度は飛び跳ねて喜び、輝く程の笑顔を見せる。
こっちが本来の彼女であって欲しいと綾斗は心から願った。
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