第6話 共鳴術


 訓練場は町の中心部に位置していて、地表を掘り込んで作られた円形の土俵を高い白壁が囲み、闘技場と呼ぶ方がしっくりとくる外観。

 あちこちで革鎧の騎士たちが木剣やら弓やらで稽古に励むのを横目に見ながら壁際の空きスペースを確保する。



 ここに至るまでに綾斗は町の人々を観察したのだが、獣耳の長さ形は人それぞれで異なっていた。

 天然パーマの綾斗は例え獣耳があっても、それを髪で隠せなくもないため目立つことは無かっただろう。

『綾斗は神様ですから堂々としていればいいのですっ』

 とスグリに言われた綾斗だが、ファンタジー調の世界観に不釣り合いな白の被検者服は控えめに言っても浮いていた。

 それを見かねたスグリが途中で黒のフード付きマントを買ってくれたのだ。

 


 そして今、共鳴術の訓練が開始される――。


「訓練場内では使用できる術が限られていますが、どのみち初めはこの術からが基本です」


 スグリはすーっと息を吸いながら右掌を白壁に向けた。


「レイ・ストライト」


 これは先のドラゴン戦で彼女が見せた技。

 カッ、とカメラのフラッシュのような光のエフェクトが先行し、僅かに遅れて光の柱が壁を穿つ。まさに光の速さ。


「この術がまず最初に覚えていただく術で、無詠唱で放てる唯一の術です。それではやってみてください」

「心で念じるだけでいいのか?」

「はいっ!」


 ――案外簡単なんだな。


 長ったらしい呪文や複雑な呪印といったシステムかと思いきや。とは言え、綾斗にとっては救いである。 


「じゃあ、さっそく……」


 壁に掌を向け軽い気持ちで念じた。


 ――レイ・ストライト。


 目を見開いた。


 ――ん? 何も起きんぞ。レイ・ストライト、レイ・ストライト、レイ……。


「さあ、綾斗。遠慮なくかましちゃってください!」


 スグリは拳を高々と掲げる。


 ――初めから無詠唱なんて虫が良すぎたか。あるいはイメージが足りないとかそんなところか。


 気を取り直して綾斗は体に力を込めた。目を閉じてスグリの放った光を思い出す。


 ――行ける! ……気がする。


 刮目し唱える。


「レイッ! ストライトォオオッ!」


 渾身の叫びが響いた。


 が、ただそれだけだった。会場は一瞬静まり返り、嘲笑と視線が集まる。


「あれっ、何も起きませんね? そんなはずはないんですが……」


 首を傾げるスグリに紅潮した顔を伏せながら綾斗は問う。


「なあ、そもそも共鳴術っていうのはそんな簡単に習得できるものなのか?」

「いいえ。普通は初級呪文でも二ヵ月以上はかかりますね」


 嘆声が零れた。


「じゃあ、なぜ俺が術を発動できると思った」


 ――おかげで要らぬ恥を掻いたぞ。


「ご、ごめんなさい。てっきり神様はみんなそうかと……。エソラ様なんて一発でしたし、難解な神聖語の詠唱が必要な上級呪文も一度聞いただけで覚えてしまっていましたから」


 それで全てを理解し、肩を落とした。


「織島エソラは特別だ」


 ――そう、奴はいわゆる天才だ。記憶能力がずば抜けて高く、成績は副教科も含めて全教科オールS。おまけにフランス人の母を持つため、フランス語も……て、そう言う事か。


「なあ、スグリ。その神聖語って言うのはもしかしてフランス語なんじゃないか?」


 スグリはしばらく考え込んで思い出すように、


「あーっ、確かエソラ様もそんな事を言われていた気がします。神聖語が日常言語なんて流石神様! と感心した覚えがあります」


 ――やはりそう言う事か。聡次郎が出発前に発した『フランス語は堪能か』という質問。そして、俺が『いいえ』と答えたあとの微妙な空気。それはこういう事だったのだ。


 折角見つけ出した希望があっけなく潰えてしまった。


「そんなに落ち込まないでください。エソラ様程じゃないにしても綾斗は神様ですから、きっと素晴らしい才能をお持ちのはずです。それに今度はもっと基礎の基礎から教えますから……」


 わたわたと大袈裟な身振り手振りのスグリ。

 必死に持ち上げようとしてくれているのがヒシヒシと伝わってきて、それが余計に心苦しく、そして虚しく、綾斗は自暴自棄になる。


「ああ、そう。じゃ、頼む」


 魂が抜けたような声でそう答えた。



 ◇◇◇



 ――どこから持ってきたその黒板。


 というツッコミはスルーして、気だるい背筋をそれなりに正し、耳を傾ける。

対する教師は雄弁を振るわんと気合十分。そしてその第一声がこれだった。


「共鳴術は神の技。この世に存在する四つの力――すなわち電磁気力、重力、核離力、核合力に干渉しコントロールする術です」


 ――まさかの物理? てっきりマナとかエレメントとかそういう単語が飛び出すのかと。……俺は物理は苦手だ。


 しかし、折角の熱弁を中断させるのも悪いのでこれもスルー。


「これら基本の力にはそれぞれ力を伝えるための媒介粒子が存在しています。電磁気力はフォトン、重力はグラヴィトン、核離力はウィークボソン、核合力はグルーオンです。これらは通常、微細な粒子として存在しているため干渉する事はできません」

「粒子に干渉できないならどうやって力に干渉するんだ?」


 単純な矛盾を指摘しただけの綾斗の質問にスグリは胸を膨らませ、声を弾ませた。


「そこですっ! 四つの力は粒子なのですが、同時に波としての性質も持ち合わせています。そこに干渉する余地があるのです」

「つまり、それが詠唱の役割という訳か」

「流石です! 綾斗」


 学校では味わったことの無い優等生気分。

 

  ――教師に誉められるのも意外と悪くないものだ。


 と思ったのも束の間。


「ですが、その解答では三十点です」


 ――あーそーですか。


 意外に手厳しい教師をじっとりと睨む。


「それじゃあ、模範解答とやらを聞かせてくれ」

「はい。特に干渉対象の素粒子の事を共鳴素子『フィブリル』と呼んでいますが、これを励起させるには声だけでは不十分です。それが、綾斗が術を発動できなかった要因です」


 確かにそうだ。レイ・ストライトという光の術は本来、無詠唱でも発動できるはず。つまり、別のファクターがあったのだ。なぜその事に気がつかなかったのか。


「共鳴術の発動に必要な三つの要素。それは『エス』、『ベース』、『トーヌス』です。エスは欲動、ベースは基線振動、トーヌスは声の振動を指します。基線振動はエスが満たされた時の心臓の鼓動から生じる特殊な振動で、これに声の振動を重ねる事によりフィブリルに干渉する事が出来るのです」


 急に飛び交う専門用語。

 ごちゃごちゃした頭を整理して、


「あーつまり俺に足りないのはそのエスという事か。だが具体的にどうしたらいい?」


 と切り込む。


「それが初めの関門です。実はこのベースを発動させるためのエスは人それぞれで異なるのです。なので、それは本人が見つけるしかありません」


 ――なるほど。その試行錯誤に二ヵ月かかるという事か。それを一発でクリアしたエソラの方がイレギュラーなわけだ。才能だけでなく強運にも恵まれているらしい。


 綾斗が項垂れたのを見てスグリは慌てて補足する。


「あ、でもっ、ヒントはあります! エスは『その人の能力が最も発揮される時の精神状態』である事が多いとされています」

「抽象的すぎてわからん。例えを挙げてくれ」


「参考になるか分かりませんが、私のエスは『感謝』です。他の人は例えば『怒り』、『平静』、『悲哀』など様々です。私の場合、エスの特性から戦闘には不向きです。綾斗のエスが戦闘に向いていれば良いのですが……」


 ――これは思ったよりも手間がかかりそうだ。それに共鳴術を修得したところで、エスがスグリのようなほっこり系であれば、大して役に立たない可能性がある。……共鳴術無しで魔女に挑むことも考えなくてはならないか。


 現実世界で魔女と対峙した時の事を思い出すと、嫌に冷たい汗が額を流れ落ちた。

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