第29話 囚われの姫君


 始祖山の頂を離れた二人は、荒廃こうはいしきったカテドラル内にその姿を現した。


 側壁はガラス窓と共に崩れ去り、振り返ればさっきまで地に足を付けていた舌鋒が見通せる。

 天蓋には大穴が穿たれ、らせん状に残った傷痕が先の戦闘の苛烈かれつさを物語っていた。

 それから綾斗は近くに視線を戻した。掃除はされているみたいで床にはガラスの欠片も散らばっていない。


「この国の状況を把握するには彼女に聞くのが一番だけど、この時間に起きているかしら……」

「ああ、それに何処で寝ているのかも分からないしな」

「それは大体見当がつくわ。この塔の構造は全て把握してるから」


 綾斗は天まで続くこの塔が何階層で成り立っているかさえ知らない。だが、エソラの超絶記憶能力の前ではどんな複雑さも意味を成さなくなる。

 それを今更驚く事も無く、


「なら取りあえずそこに向かおうか」


 と促す。


 しかし、エソラは躊躇いがちに目を伏せた。


「どうした。何か問題があるのか?」

「私もそうしたいのだけど、彼女の寝場所を綾斗くんに教えていいものか迷っているのよ」

「それはどういう意味だ⁉」

「間違いが起こってはいけないと思って」


 にやついたエソラに遂に綾斗は抑えきれず声を荒げた。


「俺を何だと思っているんだ⁉ 確かにヴィヴィは綺麗で、誰かさんと違って愛想もあって魅力的だが、そんな間違いを犯すほど――」



「その声は綾斗?」


 

 エソラと同じ声。だが、柔らかく温かみのある響き。

 広く奥行きのある大聖堂。その最奥にある玉座の向こう側から声が聞こえた。


 顔を見るまでも無い。


「ヴィヴィ、そこにいたのか」


 巨大な玉座の脇からゆっくりと現れた美少女。

 ピンク色の薄手のネグリジェに、上質そうなふわふわの毛皮マントを肩にかけている。

 顔のパーツはエソラと同じ、だが、不思議な事に似ても似つかないと断言できる。

 目線を合わせた瞬間の温かく微笑む姿を見て、綾斗はそう確信した。


「ああ、綾斗……やっとまた会えた」


 泣きそうに笑うヴィアンテの元に今すぐ駆け寄って抱きしめたくなる衝動に駆られた綾斗。


 ――どうしてこんなにも彼女に惹かれてしまうのか。


 綾斗自身その理由は分からない。

 だが、心の奥底から、彼女を求める声が聞こえるような気がした。

 本能的に一歩ずつ踏み出し、僅かに距離を近づけた二人を不機嫌な声が止めた。



「私もいるのだけど」


 綾斗は否応なく現実に引き戻される。ここは仮想現実だと言うのに。


「これは失礼致しました、エソラ様。余りの神々しさに眼が霞んでしまってしまいまして」

 綾斗から見てもひきつった作り笑顔でカーテシー。


「あら、それはおかしな話ね。綾斗くんは見えていたのに。……ああ、それとも綾斗くんは神としての器が無いという婉曲的表現だったのかしら」


 エソラのカウンターにヴィアンテはさらに笑顔を引きつらせて応じる。


「いくらエソラ様でも綾斗を侮辱ぶじょくする事は許せません」

「私は綾斗くんの事をちゃんと尊敬しているわ。あなたこそ綾斗くんを呼び捨てにして、心の中では蔑んでいるんじゃないかしら」

 

 ――とても見ていられない。


 この二人は仲が悪い。

 ヴィヴィは元々、皮肉を吐くような性格では無いのだが、エソラの前では可愛い子猫が毛を逆立てるように身構える。


 ――まあ、相手があのエソラだから仕方がないことかもしれないが……。


「俺は気にしてないから、取りあえず二人とも落ち着け」


 綾斗の言葉でヴィアンテは我に返り、顔を赤らめ「ごめんなさい、はしたないところを……」と恥じらいを見せるが、エソラはむっつり顔で「フンッ」と不愛想に鼻を鳴らした。


 対照的な二人を交互に見やって、綾斗はやっと自分の存在意義に気付いた。


 ――なるほど、エソラだけじゃこの任務は達成できない。俺は交渉人みたいなものか。


 それが良い事か悪い事なのか判断できなかったが、ひとまず場を和ませようとヴィアンテに問いかける。


「それにしても、こんな朝早くから起きてたのか? てっきりまだ寝てるかと思っていたんだが」


「浄化の光で目を覚ます方もおられますが、信仰心の強い者達はこの光の中で祈りを捧げるために早起きするのです。私も王家のしきたりに従って、毎朝この場所で祈りを捧げています」


「それは……大変そうだな」


「国の未来のために祈りを捧げることも王女としての大事な役割ですから」


 健気に微笑むヴィアンテを見て、綾斗は荒んでいた心が癒されるのを感じた。


「神様の私が言うのも何だけど、その願いは届いていないみたいね」


 それは皮肉だったが、紛れもない事実でもある。

 ヴィアンテもそれを自覚していて、顔を伏せて表情を暗くした。


「ダヴィンチの預言書には何か記されていないのか?」


「預言書は預言が必要とされる時に白紙のページに文字が浮かび上がる仕組みになっているのですが、今はまだ何も。恐らく我々の力だけで乗り越えられるという事だと思います」


「例の術は使ってみたの?」

「それはアヴァニール・フォーチュン……夢合わせの事でしょうか」


 エソラが「そうよ」と返すと、ヴィアンテはまた一段と落ち込んだ。


「私もその力を頼って、夢あわせを何度も行ったのですが、具体的に何をすればいいのか分からないのです」

「俺たちにも占いの結果を教えてくれるか? 何か思いつくかもしれない」


 綾斗の提案を快く受けたヴィアンテはゆっくり噛み砕くように預言の内容を口に出した。


「真実に身を委ねよ……真実こそが平和をもたらす」


 それはかなり抽象的な内容だった。誰が、いつ、何を、どうするという情報が全く含まれていない。


「『真実』が何を指すのか、それがどう平和をもたらすのかが、術者の私にも分からないのです」

「そもそもどんな未来を望んで術を使用したの?」

「それは……」

「もしかして望む平和のイメージが漠然ばくぜんとしているから結果も曖昧なんじゃないかしら」


「……そう……かもしれません」


 エソラは溜息をつき、ヴィアンテは痩身そうしんをさらに縮こまらせた。


「……私は女王失格です。日々の対応に追われるばかりで国の未来の事を考える余裕が無いのです」


 許しを乞うように心の内を吐露とろするヴィアンテは、よく見ると瞼の下にうっすらと隈があり、一か月前と比べてやせ細っている印象を受ける。


「ろくに寝て無いんじゃないか?」

「……はい、でも睡眠時間を削っても足りないのです。私はもう……どうしたらいいのか……」


 二ヵ月前、ヴィアンテはこの天空の城に幽閉されていた。そして今は国のために閉じこもって働いているのだろう。

 彼女は悪魔がこの世を去った今でも囚われの姫のまま。


 ――俺に何かできないか……。



「この国の政治は君主制よね?」


 綾斗が思案を巡らせているとエソラが口を開いた。


「はい。魔女の侵攻の前までは私の父が王で、重要な役職は全て王族がその任に就いていました」

「なら、今はどうなっているの?」

「それはもちろん王族の生き残りである私が全て……」


 エソラはそれを聞いて大袈裟おおげさな程に頭を抱えた。


「復興が滞っているのはそれが原因みたいね。どう考えてもあなた一人には荷が重すぎるわ。というより、国の政を一人の少女に押し付けるなんて、案外みんな冷たいのね」


 ――確かに。

 と綾斗が同意したのもつかの間。


「誰かさんは無責任にも逃げた訳だし」

 と横目で睨まれた。


 ――うぐぐ……。


 これに関しては反論できなかった。

 エソラは一か月前の建国記念の一幕で、王位を継がされそうになった綾斗が逃走した件をなじっているのだ。


「はあ……仕方ないから私が手を貸すわ」

「ですが、古くからのしきたりが……」

「神の言葉より強い決まりごとがあるのかしら?」


 それでも困惑するヴィアンテを気遣って、


「大丈夫だ、ヴィヴィ。こういう事に関してエソラは天才的だ」

「それは誉め言葉として受け取っておくわ、綾斗くん」


「……ですが、本当にいいのでしょうか」


「オブリビオン再興の鍵はあなたが握っているの。私たちの目的を果たすためにも、まずこの国を立て直さなければ、それどころでは無いでしょう?」


 ヴィアンテはしばしの熟考の後、

「……わかりました。それではよろしくお願いします」

 と頭を下げた。


「時間は限られているから早速取り掛かりましょう。まず行うべきは各地の被害状況の確認と人員の再編成ね。あなたが知る限りの事を教えてちょうだい」


「わかりました。資料はこちらに」


 ヴィアンテはその瞳に希望を灯したように、明るく声を弾ませ、玉座の向こうの寝室へとエソラを案内する。


「俺はどうしたらいい?」

「そうね綾斗くんには……共鳴術のお勉強……でもしていてもらおうかしら」


 悪戯を思いついたようなエソラの微笑から嫌な予感がしなくもなかったが、共鳴術をちゃんと学んでみたいと本心から思っていた綾斗は、エソラに指定された場所へと素直に向かうのであった。

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