第28話 自由奔放な姫君
湖で
新ためて湖の周囲を見渡し、以前スグリから聞いた事を思い出していた。
湖のほとりからは純度の高い澄み切った水が
それは左右対称な塩湖の湖でも同様で、下界に降り積もった液体が大小様々な川を形成し、分岐・合流しながら森へと注ぐ。
それぞれの川の塩分濃度の違いは生態系と密接に関係し、棲みつく魚の種類だけでなく、陸上生物の種類も川毎に微妙に異なる。
生命を育み多様性をもたらす二つの湖。
始祖山の由来はここにあった。
雄大な自然の流れに思いを馳せ、感慨に耽る綾斗。
「余計な時間をかけてしまったようね。さあ、先を急ぎましょう」
颯爽と言い放つエソラ。
真っ当な事を言っている風だが、もとはと言えば彼女が余計な悪戯をしなければ、時間を喰う事はなかった。しかし、結果的に言えばその気まぐれな寄り道が無ければ、貴婦人を助ける事も出来なかったのだ。
恐らくその事も踏まえた上での、あの得意げな笑み。
「ならとっとと転移術を唱えてくれ。もちろん今度は間違えずに、な」
あからさまな皮肉を上品ともとれる笑みで返すと、エソラは今度こそ始祖山の頂上へとゲートを作成。先にエソラが進み、続けて綾斗が転移門を通過した。
身が締まるほどの冷たい空気が体を包み込む。
始祖山の山頂は気温が低く、山嶺から吹き上がる風に運ばれた水蒸気が凝結。
粉雪が柔らかに宙を舞い、降り積もる。
まだ明るい西の空からグラデーションをなぞって闇に沈む東の果てへと視線を巡らせた。
白雲の上に佇む巨城。
シャトー・ダン・ル・シエル。
地上から真っ直ぐに屹立する塔の最上部で、かつては厳かな大聖堂の様相を呈していた。
しかし今、綾斗の視界に映るそれは上部が崩落し、無機質な
それは綾斗にとって魔女との死闘の証でもあった。
不殺の戒めを破ったレムの精神を乗っ取った悪魔『ベルフェゴール』。
この世界の存亡とレムの命を懸けた戦いが懸り広げられた場所だ。
「何度見ても酷い有様ね。神様だからって何をしても良い訳では無いのよ? あの城は古代の技術を用いて作られていて再建は二度と出来ない。私たちの世界で言えばエッフェル塔やピラミッドが破壊されるよりもきっと、この世界の住民には堪えたでしょうね」
エソラの言及に胸の痛みを覚えたが、よく思い出しておかしさに眉をひそめた。
「あれ、俺がやったわけじゃないから。お前の妹がやった事だから。さりげなく妹の罪を俺に押し付けるな」
綾斗が勢いよく人差し指を突き立て反論。
それを受けてエソラは、
「バレちゃった」
と小さな舌をぺろりと覗かせた。無論、無表情のままで。
――可愛くない。
「そんな顔しないで。お詫びにという訳じゃないけれど」
エソラはそう言って東を指さした。
東の夜空には星々が輝いている。
――これを見せたかったのか?
確かに綺麗だが、二ヵ月前にも見た光景だったのでそれほどまでに感銘は受けない。
このレベナルの星々は光の海から昇り、それらが重なる時――つまり東から生まれいずる時と西に沈む時により強い光を放つ性質がある。
――……しまった。そう言う事か。
綾斗がエソラの思惑に感づいた時、既に世界は光に白く染まっていた。
浄化の光。
星々とはつまり恒星。それにはもちろん太陽も含まれる。この世界を最も明るく照らすそれが光の海と重なる時、世界はあまねく光で満たされる。
人々が畏怖を込め『浄化の光』と呼ぶ、この世で最も清浄な光だ。
凄まじい光量だが肉眼に曝されても不思議と目に痛くなく、失明する事は無い。
それでも眩しい事に代わりは無く、綾斗は両手で光を遮った。
――くそ、何故気づけなかった。
この悪戯を喰らったのは二度目だ。それ故に悔しさも大きい。
――絶対に文句を言ってやる。
悪魔を打ち破った聖なる光が今はただ
苛立ちを押し込めつつ罵倒の言葉を考えている内に、世界に彩りがもどり始める。
「エソラ! お前は――」
――いない⁉
「こっちよ」
背後からの声。そして温かくやらかい感触。
エソラに後ろから抱き着かれたのだ。綾斗の胸の高さで両腕を交差させ、顏を首筋に当てつける様に密着させている。
「……何のつもりだ」
冷淡に言い放った綾斗だが、内心では脈打つ鼓動が伝わらないかビクビクしていた。
東の空には裏表をひっくり返したように美しい朝日が昇り、白々とした青から深い群青色へと美しいグラデーションを飾る。
シチュエーションとしてはかなりロマンチックだ。
それに胸の前に回された手が弄るように服の上で
綾斗がそう知覚し始めた時、エソラはパッと拘束を解き、後ろに飛び退いた。
そろそろと無言で振り向き彼女を見つめる。
「私に後ろを取られるなんてまだまだね、綾斗くん」
腕を後ろで組み、蒸気したように赤く染まった頬を隠すように腰を僅かに折った姿勢。上目遣いで放たれたその言葉に、綾斗は怒りも忘れ、ただ無言で見つめ返してしまった。
そして不覚にも思ってしまった。
――美しい。
と。
それは遠い昔に味わったことのある感覚。
ヴィアンテと初めて相対した時の感覚にも似ているが違う。
――アンジェリーナさんに初めて会った時だろうか?
と思い至るが、それも何か違うような気がして一人悶々とする綾斗。
「ほら、明るくなったから王都に向かうわよ」
すっかり調子を取り戻したエソラの冷たい表情を見ていると、幻覚を見ていたような気さえしてくる。
実際に何らかの術を掛けられていたのでは、と真面目に考えながらも、一方で馬鹿馬鹿しいと頭の片隅に追いやり、終いには考えるのも面倒くさくなって、
「……ああ」
と、いつも通りの淡泊さを声に出した綾斗は、不可視の扉の向こうに消えたエソラの後を追いかけるのだった。
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