第27話 見落とし


 認識の甘さを噛み締めながら、街を一通り歩き回った綾斗は宿に戻ったが、部屋に入れず、扉の前で悶々もんもんとしていた。


 中でエソラが無防備むぼうびに寝ていると思うと、ドアノブに伸ばした腕をどうしても止めてしまう。

 しかし、流石さすがに眠気も我慢がまんの限界に来ていて、ベッドでなく椅子や床でいいので体を休めたかった。


 さんざん迷った挙句、意を決して扉を開ける。

 するとベッドに膨らみは無く、室内を見渡してもエソラの姿は無い。


 ――なんだ、いないのか。


 綾斗が緊張を解くと、疲れがどっとあふれて来た。

 そのまま倒れ込むように正面からベッドにダイブ。ふわりといい匂いが舞い上がる。

 綾斗はそのまま瞼を閉じて、心地よい眠りに誘われていった。

 

 ◇◇◇

 

「何をしているの?」


 エソラの冷ややかな声で目が覚めた。

 彼女は腕を組んで仁王立ち。さげすんだ目で綾斗を見て、


「まさか私の残り香を楽しんでいたわけでは無いわよね?」

「……」

 

 目をこすりながら重たい体を起こすが無言。

 不十分な睡眠で半分寝ぼけていた綾斗はエソラの皮肉に反応できなかった。


「えっ? まさか本当に……」

「は?」

 

「冗談のつもりだったのだけど。まさか綾斗くんにそんな性癖せいへきがあったなんて……」


 エソラが真面目に考え込み始めたところでやっと思考が追いついてきて、


「い、いや、待て。違う、ほんとに違う。俺はただどうしてもベッドで寝たかっただけだ」


 と無罪を主張する。

 微妙な空気のまま五秒ほど経過。

 エソラの頬が紅潮こうちょうしはじめ、お叱りを受けるのかと覚悟したが、


「――まあ、いいわ。私は準備が出来たからそろそろ出発したいのだけど」

 

 どうやらそれ以上からかうつもりは無いようで、ぷいと回れ右したエソラを追おうと、綾斗はベッドから飛び起きた。




 それから綾斗とエソラは外壁の外へと場所を移した。

 ここからエソラの転移術で始祖山を経由してオートレデンへと一直線に進む。

 飛行船で四日、徒歩では二ヵ月以上かかる距離をたった数分で飛び越えてしまえるのだから、転移術は便利なものだ。

 だが、綾斗は忘れてはいなかった。

 一か月前、エソラとこの世界に訪れた時、エソラに虚空へと転移させられ、パラシュートなしのスカイダイブをする羽目になった事を。


 ――サイトヴィジョン。


 エソラが詠唱する間に秘かに発動したフィブリル可視化の術で奴の不正を見抜こうと目を凝らす。

 グラヴィトンを示す格子こうし状の光が遥か彼方の始祖山の頂上へと伸びていくのを確認する。


「……アブリビエイション」


 エソラが呪文を唱え終えると、フィブリルは消え去り視覚では捉えにくい転移門が形成される。


「お先にどうぞ」


 と道を譲るエソラ。


 観測したところ不正はなかった。


 ――流石に同じ手は使わないか。


と安堵し、陽炎のように僅かに揺らめくゲートへと足を踏み入れた。



 ◇◇◇




 ――なぜだ。


 あの時と同じ、ふっと足場の無い感覚に肝が冷やされ、つかめる物など何も無く――。

 

「間違えちゃったみたいね」


 と遅れて落ちて来たエソラが、慣れた体捌きで綾斗と目線を合わせる高さまで降下こうかして呟く。


 ――間違えた? 確かにフィブリルは始祖山の頂上へと延びていた。転移の距離を測り違えたということか?

 

 しかし、エソラのにやついた顔を見て、

 

「……いや、お前わざとだろ」


 と、先に結論にたどり着く。


 空気抵抗で衣装と髪が激しくはためく中、考える。


 改めて周囲の状況を冷静に確認して、そのからくりに気付いた。

 目標であるはずの始祖山が遥か下に見えている。つまり、綾斗が観測した転移ゲートとは別の道を通らされたという事。


 ――くだらない悪戯に随分ずいぶん用意周到よういしゅうとうな事だ。今となっては転移術の使用は疲れると言う発言も罠だったと思えてくる。


「お前、俺が寝ている間に前もって転移術を仕込んでおいたな?」


「何の事かしら。それよりも地上が迫って来てるけどどうするの? 私は重力制御の術を使えるから問題ないのだけど」


 白々しいセリフを吐き、もう一度にやりと笑ったエソラは綾斗に向かって両手を大きく広げた。


「何のつもりだ?」


「分かってるくせに。綾斗くんが唯一助かる方法よ。私に抱き着きなさい」


 少し遠慮しがちな子供のような純粋な笑顔。

 やっている事はタチの悪い悪戯以外の何物でも無いのだが。


 ――こいつは何がしたいんだ?


「お前に抱き着くぐらいなら、俺は死を選ぶ」


「素直じゃ無いわね。でもいつまで意地を張っていられるかしら?」


 そう言ってエソラは首をかしげて下を指さす。

 そうしている間にも高度はみるみる下がっていく。


 実は抱き着く以外にも方法はあった。

 近づいて体のどこかを掴んでやればいい。

 だが、エソラはスカイダイビングの経験があるのか、この世界で会得したのか知らないが空中での動きが妙に器用だ。

 前回は仕方なく抱き着くフリをして接近し、腕を掴みとり事無きを得たのだが。同じ手が通じるとは思えない。

 

 どうしたものかと落下する先へ目線を落とすと雲の合間からキラキラと輝く何かが見えた。


 ――そうだ、確か始祖山の中腹には真水の巨大な湖があったはずだ。そこに上手く着水すれば助からないだろうか。


「先に行っておくけどこの速度での着水はコンクリートに体を打ち付けるようなものよ?」

「ふんっ、それでも助かる可能性はゼロじゃないだろ」


 そして高度は始祖山の山頂3500mを下回り、雲を突き抜けクリアな視界にそれを捉えた。


 始祖山の中腹にある二つの湖。それぞれお椀を傾けたような形で山肌に掘り込まれている。その様相は人口的で完璧なまでに左右対称。

 北側は塩湖えんこ赤銅せきどう色の湖面は中心に向かう程暗く、まるで冥府めいふに続いているかのように不気味だ。

 南側は真水まみずの湖で湖面は空の色を映しきらめき、その透明度の高さから底まで見通せる。


 幸運な事に、綾斗は真水の湖面寄りにいた。

 助かる可能性を上げるために体を傾けさらに水深の深そうな中心部へと体を滑らせていく。

 あとは飛び込み選手の見様見真似だ。


 覚悟を決め、頭を下にして湖面を捉えた時、湖のほとりに何かを見つけた。

 そしてさらに硬度を下げたところで目を凝らし、その異常に気付く。


「エソラ!」


 綾斗に追随していたエソラもその目で確認する。

 湖で水を汲んでいる女性らしき人影、その背後から巨大なクモの様な化物が忍び寄っていた。


「お遊びは終わりみたいね。綾斗くんはモンスターの注意を逸らして」


 綾斗が頷き返すとエソラは綾斗の腕を掴み、詠唱を開始。


「……アクセラ・バースト」


と、句結すると同時に急制動がかかって地上に近づく程落下速度がゼロに近づく。

そして地上から二メートルほどで術を解除。

綾斗とエソラは水辺の貴婦人と林から迫るモンスターの間に着地。

 その音に気付き女性は後ろを振り向き、驚きの余り口をぽかりと開けたまま硬直する。


「私たちがモンスターの相手をするからあなたはそこでじっとしていなさい」

 

 下手にモンスターの注意を引かないように、逃げろではなく、その場での待機を指示した。


 そしてエソラが声掛けする間にも綾斗は行く手を塞ぐように巨大蜘蛛へと詰め寄った。

 異様な光沢を放つ黒紫色の甲殻こうかく堅牢けんろうそうで、横に八つ並んだ黄色い目が綾斗を捉える。綾斗が眼前に立ちはだかるとクモは十二本の多関節の脚の内、前3対を持ち上げ、静止した。

 何かの予備動作かと警戒し足を止め身構えたが、攻撃どころか威嚇いかくする気配さえない。


 ――こちらの出方を伺っている⁉ モンスターにも知性はあるのか?


 巨大蜘蛛の意外に冷静な挙動に驚きながらも、綾斗は地面を蹴り、右側面へと回り込む。


 敵の視線をエソラと貴婦人から逸らす目的だった。


しかし、蜘蛛の多眼は追従ついじゅうしている様にはみえず、プランを変更。綾斗は呪文を唱えた。


 ――レイ・ストライト。


 先のドラゴン戦でも使用したフォトン系統の超初級術。条件が整えばレーザー兵器にも成り得るが、それは特殊な場合に限られる。時間はまだ『17:30』で浄化の光まで30分もある。

 

 自分でトドメをさせないのは残念だったが、今回は敵の注意を引くだけでよかった。


 光を多眼に浴びた蜘蛛は「キシャーッ!」と、怒りをあらわにし、綾斗の方へ高速で向きなおった。

 それは期待した通りの動きだったのだが、綾斗は言いようのない恐怖を感じていた。


 レイ・ストライトを放つまで奴はほとんど綾斗に興味を示していなかった。例えるなら石ころが振って転がってきたことには驚いたが、石そのものについては全く関心を示していないような。


 それが、目を潰した瞬間に、激しく野性的な殺意を剥き出しにした。

 その変わりようが不気味に思えたのだ。


 蜘蛛は後ろの九対の脚で高速で地面を駆り、残る三対の前足を次々に綾斗に振り下ろした。

 蜘蛛の脚の先は丸く尖っていて、側面には硬質な棘を幾つも備えている。それは突き刺すと引っ掻くを同時に行える凶悪な拷問ごうもん器具の様で。

 それ故にマージンを広めに取らざるを得ない。

 加えて蜘蛛の脚は多関節を巧みにしならせ、鞭のように閃く。

初速はかなり早く、確定初動を見切った後では避けられるか微妙な所。

 しかし、予備動作として上方に大きく足をしならせるので、それを素直に信じれば避け切る事は可能だ。

 蜘蛛は足をフリ降ろすリズムを微妙に変えてくるが、同じ要領ようりょうで何度か躱す。


すると蜘蛛は突然、バラバラだった前足の動きを同期させた。


――自重をのせた一点集中攻撃。


 そう予想した綾斗は仰け反る様な蜘蛛の予備動作を確認して左へ大きくサイドステップ。


 0.5秒前まで綾斗が立っていた地面に六本の杭が撃ち込まれ、ゴファアッと土塊が噴き出された。

 

 ――レイ・ストライト。


 避けつつ唱えた二度目の詠唱。

 隙だらけの健常側けんじょうそくの目を光で穿つ。

 盲目の蜘蛛は奇声を発しながら大きくノックバック。

 自分が陥った状況が分からないと言うように、キリキリとせわしなく前足を動かした。


 ――絶好のチャンス。だがトドメを刺すには俺の火力では到底足りない。

 

「エソラ!」


 頼みの少女は既に興味を失ったかのように溜息一つ、


「もう……唱えたわ」


 瞬間、爆発。

 崩れ落ち燃え上がる巨大蜘蛛の死骸しがい。頭部は既に原形を留めていなかった。


 もちろん自然発火ではない。

 エソラは共鳴術によりウィークボソンに干渉した。このウィークボソンは『弱い力』の媒介粒子ばいかいりゅうしであり、ベータ崩壊により、中性子を陽子あるいは電子へと変換する。簡単に言えば原子の種類を変える事が出来る。

 空気中の窒素を可燃性の水素ガスへと変換し、グラヴィトンで一点に凝縮ぎょうしゅく。後はそこにフォトンを解して発火させれば、爆炎の術『プロミネンス』の完成だ。


 以前綾斗が見た術よりも規模が小さくコントロールされている。

 しかし、威力は抜群で蜘蛛の堅牢な装甲をドロドロに溶かしていった。


「スパイク・スパイダー。主な生息地は森林。『その甲殻は鋼鉄を弾く程の強度だが、熱には弱い』、……情報は正確だったみたいね」

 

 うんうん。と一人納得するエソラ。


「いや、熱がどうとかの前に頭が吹っ飛んで絶命していた気がするが……」

「あれでも威力を抑えたのよ? 綾斗くんが巻き込まれないようにと思って……」


 一瞬皮肉かとも思ったが、妙にしおらしく顔を伏せるものだから、綾斗は皮肉で言い返すのを止めた。

 

 ――ドラゴンの時と言い、エソラ一人でも撃退出来たように思える。

これではどっちが守られているのか分からない。


「……そうか。すまない。俺はボディガード失格――」

「――なんて冗談よ」

「は……? 冗談?」

「綾斗くんが私の術で死んでも『不殺の戒め』は発動しないから。別に一緒に消してしまっても構わなかったと言う事よ。……というかそのつもりだったのだけど綾斗くんが避けたから」


 衝撃の事実。


 ――……マジか。俺は危うく地獄の業火で焼け死ぬところだったのか⁉


「……お前の倫理観どうなってんだ」

「私の盾となってもらうって言ったでしょ?」

「盾? あれじゃあほとんど生贄だろ」

「まあ、いいじゃない。目的は果たせたのだから」


 綾斗はふと思い出すようにエソラの向こうの人影に目をやった。


 クラウンの下部にリボンを巻いたつばの長い日よけ帽子。英国式のドレスを思わせる裾の長いワンピース。

 年齢は三十代後半ぐらいで気品あふれる凛々りりしい顔立ちだ。


「……あの、危ないところを助けていただきありがとうございました」

 貴婦人は両手をお腹の前に重ね丁寧に頭を下げた。


「怪我が無いようで何よりです。それよりもこんな危険なところにお一人で?」

「私はこの近くに住んでいて時々水を汲みに来るのです。あのようなモンスターに遭遇する事はめったに無いのですが……」

「恐らく、『魔女の侵攻』の影響ね。あの巨大蜘蛛の生息地は文献では森と記されていて、こんな高所に現れる事は稀なはず。各地に放たれたサーヴァントが生態系を狂わせてしまったのでしょう」

 

 エソラの考察に納得したのか、高潔こうけつそうな女性は頷いた。


「俺たちはこれから首都へ向かうつもりですが、一緒に行きますか? そこで暮らした方が安全だと思うのですが……」


「お気持ちはありがたいのですが、首都の防壁は壊れたままと聞きますし……。なにより私達家族は魔女の侵攻より前からここに住んでいるので、そう簡単に手放すわけには……」


 貴婦人はドレスを握りしめて深刻な表情を浮かべた。

 綾斗は慌てて、

「ああ、いえ、そう言う事でしたら無理にとは……」

 と付け足し、お詫びにと。

「ならせめて家まで送りましょうか? これから暗くなりますし」


「……いえ、その……」


 顔を伏せ、言葉を失う程に困らせてしまった。

 そのやり取りを見て楽しむ少女。


「綾斗くんは大人の女性を困らせるのが趣味なの? それとも女性の家に上がり込んで一体何をしでかすつもりかしら」


 ――お前は黙ってろ!


 と叫びたかったが、身を引き、薄っすらと恐怖を滲ませる淑女に気付いて弁明が先に口を出る。


「いや、違うんです。女性一人だと危ないかと思っただけで……」

「……はは、そう……ですよね」


 微妙な空気。


 ――どうしてくれる。

 とエソラを睨む。


「まあ、冗談は置いておいて、本当に一人で大丈夫なの?」

「……はい。陽が沈む前には家に戻れますし、これでも攻撃系の共鳴術を使えますので」

「あら、どこかの誰かさんよりも頼りになりそうね」


 ――絶対に言うと思った。


 もはやエソラの思考が読めてしまう自分に辟易した綾斗は溜息すら出なかった。

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