第24話 新たな任務


 結局、フルコースディナーはメインディッシュの肉料理をおがむことも無く終了した。


 パーティと呼ぶには華やかさに欠ける、暗く沈み切ってしまった空気。それを変えようとする狙いもあったのだろう、三人は場所を影の塔の最上階へ移す事になった。


 織島グループ本社と対を成す影の塔はその最上階がアクリル製の空中通路でつながっており、一回まで降りる必要も無く、直接移動できる。


 ――いったいどれだけの人間が影の塔の本当の姿を知っているのだろう。


 綾斗は長さ五十メートルほどの通路をほとんど空中浮遊の感覚で歩きつつ、その漆黒の塔を眺めていた。

 この通路の事はおろか、影の塔の使い道さえも一般には公開されておらず、機密性を保持するため社員もごく一部の者しか知らない。


 智覚ちかく統合型超巨大VR――。


 力の大統一理論に基づき構築こうちくされた現実と瓜二つの仮想世界『エデン』。

 それがビル最上部のたった五十メートル四方の空間であっても、量子レベルで再現されたその情報量はとてつもなく、正確な物理演算えんざんを行うために巨大にならざるを得なかったのだ。

 ここで言う知覚統合型VRとは量子の『重ね合わせ』の性質を利用し、従来の智覚投影とうえい型VRでは無しえなかった智覚の共有を可能としている。

つまりはこのエデンこそが真に世界初のオンライン型VRと言える。


 今回、レムが開発したMMORPGも知覚統合型なのだが、厳密げんみつに力の大統一理論を踏襲している訳ではないため、小型化および量産は可能であった。

 実際に綾斗が使用している戦闘訓練用VRのインターフェースよりも小さい。綾斗のそれは十年前に設計された物であるので、当然と言えば当然だが。

 

 そして最上階の広間に足を踏み入れ、それを視界におさめる。

 幅五十メートル、高さは十メートルほどある白い箱。

 この中にエデンがある。

 

「さあ、ソファーにでも掛けて適当にくつろいでくれ」


 聡次郎に促され、やけに座り心地のいいモノクロソファーに腰かける。

 配置としては白い箱を眺めるような形で四人掛け用のソファーが四つ、二×二で並んでいて、綾斗は前列の右端に座っていた。

 聡次郎は右奥のカウンターで手製のコーヒーをれてくれている。

 給仕を使わないのはここが機密レベルが高い場所だからか、単に趣味なのかは分からないが、手慣れた手つきから後者の線が濃厚のうこうだった。


 その様子を眺めていると、不意に座っていたソファがすっと沈み込んだ。


となり、失礼するわ」


 エソラだ。


「それ座る前に言う言葉じゃないのか?」

「どっちでもいいと思うけど」


 ――そうなのか? まあ、マナー的な事はこいつの方が詳しそうだからそうなのだろう。ただそれにしても……近い。


 三人で同じソファーに座る事も考慮こうりょして、四人掛けであえて右端のひじ掛けに密着する様に座っていたのに、エソラは綾斗と肩が触れる程近くに腰かけている。


 先ほどまで最高品質コーヒー豆の香しい匂いがただよっていたというのに、エソラが現れた瞬間に跡形あとかたも無く掻き消されてしまった。

 呼吸する度に否応なく鼻孔を通過する匂いは綾斗の嗅覚神経を強く刺激する。


 それはいい匂いだった。


 あくまで自然の、彼女のありのままの匂い。


 なぜ、そんな事が分かるのか、綾斗は思い出せなかった。

 脳がそう判断してしまったのだから否定しようがなく、息と一緒に甘い匂いを吐き出す。

 横目でちらとエソラを見ると整った鼻の美しさが協調され、綾斗は秘かに瞠目どうもくした。僅かに頬をピンク色に染めているのは気のせいか、と思った時、すっと赤みが引くように元の表情に戻った。


「レムの事だけど、あれでもあの子なりに気を遣ってくれていると思うの。救い出してくれた事を感謝しているはずよ」


「ああ、わかってるさ」


「あの子、ドSだから、本当はあんなものじゃすまなかったと――」


「ちょっと待て――何の話だ⁉」


 エソラの表情は相変わらずなので、冗談か本気か分かりにくい。


「レムは家族以外には決して敬意を払わないし、自分から引き下がる事も無い子だから。きっと以前の綾斗くんだったら、心が折れて逃げ出したくなる程に罵倒ばとうされていたと思うわ」


「……マジか」

「……マジよ」


 噛みめる様なエソラの返答。


 ――たぶんマジなやつだ。


「一応外向けの顔はあるけど、レムの機嫌を損ねて失職しっしょくした社員は数知れないわ。そのほとんどが精神失調で――」


 聞くのも恐ろしく、綾斗が耳をふさぎかけた時、


「エソラ、綾斗くんをからかうのはもうそれくらいにしておきなさい」


 と、軽くたしなめたのは聡次郎。

 両手に持ったコーヒーマグを綾斗とエソラにそれぞれ手渡した。


 ――なんだ、嘘だったのか。


 綾斗はエソラに仕返しを考える前に、まず安堵あんどした。が、


「まあ、ドSと言うのは認めざるを得ないが……」


 ――そっちは本当なのか⁉


「一体どんな教育をしたらそんな事に……」


 よその家族の事に首を突っ込むのは気が引けると思いつつも、つぶやかずにはいられなかった。

 そして聡次郎は苦しい表情で低く唸った後、

 

「……国家機密だ」


 とうそぶいた。


 ――レムがそんな恐ろしいやつだったなんて……。レムに比べればエソラが可愛く…………見えないか。


 頭を抱え困惑する綾斗を楽しそうに眺める女を見て、綾斗はそう思った。



「さて、それでは本題に入ろうか」


 そう、ここに場所を移したのは食後のコーヒーをたしなむためではない。

もともと依頼されていた仕事の続きを行うためだ。


「エデンの東――つまりは異世界レベナルの復興ふっこうが思ったよりかんばしくないらしい」


 『エデンの東』とは、本来は閉鎖空間であるはずのエデン、そのVRサイドに形成されてしまった異世界の事を指す。

 このエデンの東にかつてレムの精神が囚われ、綾斗がそれを救出し、悪魔の支配から解放されたレベナルにも平和が戻ったはずなのだが、その爪痕は深く、国の再建に難航なんこうしているようなのだ。


「我々の目的は未来予知の共鳴術『オブリビオン』を復活させる事。そのカギは王女『ヴィアンテ』が握っている訳だが、まつりごとに精一杯でそれどころではないようだ」


 聡次郎がやたら婉曲的えんきょくてきな表現をするのには理由がある。

 異世界にはどういう訳か、大人は進入アドベントする事が出来ない。

 かと言って、機密情報保護の観点から、子供を雇う訳にも行かず、事情を知る綾斗とエソラが中の様子を時々伺っていた。

 また安全性の観点から言っても、そうやすやすと子供を観測者オブザーバーとして投入する訳にはいかない。

 何故なぜなら、異世界『レベナル』にはドラゴンなどの凶悪きょうあくなモンスターが存在し、使い方を誤れば人を殺し兼ねない共鳴術という魔法じみた力が存在しているからだ。

 そういった事情もあり、綾斗達がアドベントする頻度は少なく、エソラは二週間ぶり。綾斗は一か月ぶりとなる。


「私たちとしては彼らの世界の事にあまり介入したくは無いのだが、プロジェクトがとどこおっている以上、ただ黙って見ている訳にもいかない。そこで、改めてお願いしたい。彼らの復興の手助けをしてもらえないだろうか?」


 聡次郎の提案に対して綾斗は迷わず首肯しゅこう。エソラは沈黙を以て同意を示した。


「ありがとう。具体的にどの様に支援するかは君たちに任せよう」


 それからしばしのコーヒーブレイクを終えた後、二人はそれぞれ白の被検者服に着替えてエデン内のインターフェースである『カプセル』に横たわった。

 時刻は午後九時。いつもならまだ、それほど眠たくも無い時間帯。


 しかし、今日は慣れない事が色々あったせいで疲れていたのだろう。それが本当に睡眠誘導波の所為か分からない程自然に、綾斗は深い眠りについていた。

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