第23話 忘れ得ぬ記憶

 VRの新機種お披露ひろ目会は盛況のうちに閉幕した。

 

 世界初のオンライン型VRゲームはかなり自由度の高いRPGで、その内容にとても興味きょうみを引かれた綾斗であったが、今はそんな事を考える余裕もなかった。


 純白のテーブルクロスの上のお皿には、白身魚のポワレに豆乳ソースがあしらわれたもの。

 白ワインの代わりに甘さを抑えたノンアルコールのシャンパンがグラスに注がれている。


 高層階から夜景を見ながら優雅なディナー……であれば良かったのだが、相席の顔ぶれを見れば食欲も失せる。


 どうしてこうなった、と思わざるを得ない状況。




 お披露目会の終了直後の事――。


『この後、関係者で打ち上げをするんだが綾斗くんもぜひ出席してくれないか? なに、そんなに緊張する事はない。内内の小さな、パーティーだから気軽に参加してくれたまへ』


 ――聡次郎の言葉を信じた俺がバカだった。


 綾斗が恐れていたのは各界の著名人や要人が一堂に会する様な厳粛げんしゅくなパーティー。

 もし、そういった顔ぶれであれば、一介いっかいの平民である綾斗はそれはもう浮いていたことだろう。

 それはそれで恐ろしい。



 そして今目の前にある現実。


 マスコミが撤退てったいし、各種機材が取り除かれた織島グループ本社の最上階の広間。そのど真ん中に四人掛けの丸テーブル。


正面には織島グループ取締役とりしまりやくの聡次郎。


右隣りにはエソラ。


左隣りにはレム。



 ――以上。



 ――……って、規模が小さすぎるだろ!


「関係者全員で立食パーティというのも検討したんだが、たまにはこんな打ち上げがあってもいいかと思ってね」


 そう言う聡次郎はとてもさわやかな表情でこの異常な状況を誤魔化ごまかそうとしてくる。


 ――いいわけないだろ。何が打ち上げだ。こんなのどこぞの金持ちの家族団欒だんらんに思いっきり水を差しているだけじゃないか……。


 綾斗の心境を悟ったエソラはにやりと悪戯いたずらな笑みを浮かべた。

 

「あら、綾斗くん。何か不満があるの?」


「いや、別に……」


 本当は全身全霊で抗議したいところだが、高級ディナーをおごってもらっている以上、文句を言うのははばかれる。何より家族団欒にこれ以上水を差すような真似まねは出来ない。


これはあくまでレムの功績こうせきたたえるための打ち上げなのだから。


「……いやぁ、それにしても本当にすごいですね。その若さで世界初の偉業いぎょうを成しげるなんて」


 まだほとんど話したことの無いレムにいきなり話しかけるのも気が引けたので、聡次郎に向けた発言で間接的にレムを持ち上げる作戦だったのだが、


「それほどでも」


 と、ご本人から直接回答を頂戴ちょうだいしてしまった。


 ――これじゃあまるで俺がレムに敬語を使ってるみたいじゃないか。


 かと言って訂正ていせいするのも大人げない気がしたので、とりあえず目の前にあったシャンパンと共に心のもやもやを飲み込んだ。

 

 レムとエソラは終始、華麗かれいなナイフ、フォークさばきで黙々もくもくとコース料理を堪能たんのうしていく。

 対する綾斗はほとんど味がしない高級食材達と格闘しながらただただ咀嚼そしゃくして飲み込んでいく。


 やけに弾力のあるボールキャロットが綾斗のフォークの一突きを回避して皿の上を跳ねた。


 ――もうメインディッシュとかデザートとか、どうでもいいから早く帰りたい。


 その思いを視線に乗せて聡次郎へと放つが、ベリーショートの紳士は目が合ってもにこやかに微笑むだけで全くあてにならない。


 この中で一番綾斗の心情を理解しているのはエソラ――いや、時々料理を運んで来てくれる給仕きゅうじかもしれないが、彼女はどう見ても面白がっている様にしか見えなかった。

 

 ――もしかしたらこの中だと意外とレムが一番話の通じる奴かもしれない。


 余計な先入観や第一印象は捨てて話をしてみよう。

 そう綾斗が決心した時。


「お父様、そもそもどうしてこの方がここにいるのでしょうか?」


 言い出せなかった気持ちを代弁してくれたのだと綾斗は思った。


 ――こいつ意外とまともじゃないか。


「何を言っているんだ、レム。綾斗くんがレムを仮想世界から救い出してくれたからこそ、あのプロジェクトは日の目を見る事が出来たんじゃないか。これぐらいはお礼のうちにも入らないよ」


 そう言って綾斗に悪意の無いウインクを送る。

 聡次郎の意見も至極ルビを入力…真っ当な物にも聞こえた。


 だが、レムが言わんとしたことはそう言う意味ではなかったのだ。


「彼はお母さんを見殺しにした人です。なぜ、その彼と夕食を食べなければならないのですか?」


 その一言で会場は凍り付いた。

 水をみに来ていた給仕がボトルを落としあわてるも、「片付けなくていい」と、ひとまず出て行くように聡次郎が命じた。


「レム。その事は話したはずだ。お母さんが亡くなったのは綾斗くんの所為せいでは無い」



 七年前――。

 レムは当時五歳を迎えて間もない時。

 送迎車の後部座席から母親が殺される瞬間しゅんかんを見ていた。

 SPに紛れ込んでいた犯人はナイフで母の背中を深々と突き刺した。

 くずれ落ちる母の肩越しに見た光景。


 颯爽さっそうと飛び込んできた七歳の少年。


 彼はあっという間に黒服の男を沈黙ちんもくさせた。

 母と同じ『死』をもってして。


 幼かったレムはその一連の出来事を鮮明せんめいに記憶しているわけではない。

 その代わり感情だけが強く残っている。


 母を殺した悪い大人。

 その悪人を殺した綾斗は――もっと悪いやつだ、と。



 今となってはそれが論理的におかしい事はレム自身も分かっている。

 本当は、綾斗は母の敵を討ち、後部座席にいた自分と姉を救ってくれた恩人だ。


 しかし、当時のレムにはあまりにも強く刻まれてしまった。


 その日はレムの五歳の誕生日。


 祝ってくれる人がいない寂しさを少年に対する憎悪に塗り替えて過ごした忘れ得ぬ一日だ。



 カチャンッ。


 突然、レムはナイフとフォークを皿に投げ出した。。


「今日は私のお祝いのはずです! 人殺しと一緒に食事なんてもう耐えられません!」


「レム! 綾斗くんは命を懸けて私達を――」


「……失礼します」


 そう言って席を発ったレムは、ひざ掛けナプキンを椅子に乱暴らんぼうに放り、昇降機の方へ早足で歩いて行った。


 高圧的な物言いとは裏腹に、彼女の声は震えていた。

 去り際に瞳の端に光る雫を捉えた綾斗は言葉を失い、謝る事もできず、レムの複雑な胸中を察する事もできずに、彼女の姿が扉の向こうに消えるまでただ顔を伏せていた。


 七年前、死の恐怖に怯える余り救えなかったアンジェリーナ。


 ――彼女が生きていればここにいるのは俺じゃなくて……。きっとレムも笑っていられたはずなのに。


「すまないね綾斗くん。レムにはまだ……時間が必要なようだ。娘が君を人殺しとののしった事については私からの謝罪で勘弁かんべんしてほしい」

「あの子も頭ではわかっているはずなの。でも……心が追いついていないのだと思うわ」


 聡次郎に続き、あの傲慢ごうまんなエソラでさえも、綾斗のためにフォローを入れた。

 

「レムが言ったことは間違っていないと思います。だって俺は……」


 ――人殺しだ。


 アンジェリーナを殺めた男は自らが手に持ったナイフで頸動脈を切って死んだ。

 見ようによっては自滅あるいは自害に見えたかもしれない。

 だが、実際は違う。

 

 S.C.S(Spremacy combat system)――。

 綾斗の父、龍崎一が考案した。習得難度最上級の近接格闘術。

 そのさわりを当時七歳の綾斗が習得していたのは戦闘訓練用VRの恩恵に他ならない。

 S.C.SはVR訓練により鍛え上げられた驚異的きょういてきな観察眼と動体視力により、相手の呼吸や筋肉のわずかな動きから先を予測し、任意の未来を誘導する。


 つまり綾斗は、男が死ぬと分かっていて敢えてその未来を選択したのだ。

 

 もちろん、アンジェリーナを助けたいと言う気持ちもあっただろう。

 だが、その時綾斗を突き動かしたのは、恐怖心。


『――死にたくないなら、やつを……』


 その黒い言葉が胸に響いた時の、自分が自分で無くなるような、臓腑ぞうふが冷たくなるような感触を、綾斗は未だに忘れられないでいる。

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