第20話 エピローグ
あの出来事から数日間、織島グループ本社で精密検査を受け、解放された綾斗は通常通り登校。欠席理由は父が適当にでっち上げた。
授業を受けるフリはしているが、正直なところ気がかりな事が多くて集中できていない。
長期欠席をとった二人が息を合わせたように登校し始めたものだから、綾斗とエソラの間に在らぬ噂が流れたが、エソラの「ありえないわ」の
精密検査の滞在中に聡次郎は極秘のプロジェクト、さらにその先について教えてくれた。
秘匿コード名『ダヴィンチ・プロトコル』――。
エデンの東で預言者とされたダヴィンチから拝借したのかと思いきや、そのルーツは現実世界。発明家および美術家であると同時に預言者と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ。
このコード名はエデンシステムの開発着手前に既に決定していたのだそうだ。
そして『エデンの東』が生み出された理由。
「これはエソラの意見なのだが……」という文句に続き、聡次郎は語った。
――
それは認知や記憶、感情の統合に障害が起こり、幻覚や妄想と言った症状を来たす精神疾患。智覚統合型VRで同じことが起きていると言うのだ。
被検者としてエソラとレムが参加したが、実は未成年のモニターはこれが初めてで、実験の真の意義を知る者の参加もこれが初めてだった。
おまけにエソラがプロジェクトの成功を祈念して描いた絵画『エデンの東』が不確定要素となった。
エソラは天才だが、レムはそれ以上の超人的天才。並々ならぬ天分を持つ二人が同時にログインするとどうなるか。
知覚統合型VRはエソラとレムの膨大な知識や柔軟性の高い思考を統合し損ねた。そして現実世界を模した空間であるエデンを崩壊させないためにとった方法。
それが、エデンの東への智覚の投影。
故にエデンの東にはエソラとレムに似た人物、ヴィアンテとアリシアが存在し、預言者はプロジェクト名のダヴィンチがあてがわれていると言うのだ。
もちろんこれは仮説だ。さらに言うと、統合失調症の原因が分かっていないぐらいなので、この不具合を修正する方法は現在のところ全く目途が立っていない。
この点に関して綾斗はむしろ安堵した。修正とはイコール、レベナル王国の消滅を意味しているからだ。
だが、仮に修正方法が分かったところで直ぐに実行に移される心配はない。何故なら、プロジェクトが次の段階に進むためにエデンの東は必要不可欠な存在だからだ。
ヴィアンテの予知能力『夢合わせ』。そのオリジンである未来予知の共鳴術『オブリビオン』。これを復活させることが現プロジェクトの最重要目標となっている。
共鳴術は現実世界で使用できないが、今回の一件を経て、ヴィアンテの夢合わせやダヴィンチの預言が現実世界に干渉しうる事が示唆されたからだ。
だが当然、弊害はある。なぜなら、現時点でアドベント出来るのは実質的にエソラと綾斗だけ。
つまり、レムを助けたからと言ってお役御免とはいかないという訳だ。
◇◇◇
一か月後。予想より早く仕事の依頼が来た。
クライアントはエソラ。
同じ過ちは繰り返さないという信念に基づき、今度は断らなかった。と、言うのは半分皮肉で向こうの世界の様子を確かめたいというのが本音だった。
それに今回の任務はそれがメインとも言えた。
綾斗達はエデンの東にアドベント後、エソラの転移術でレベナルの首都へ。
――エソラがふざけて何もない虚空に俺を転移させたときは、正直殴ってやろうかと思ったが――無事オートレデンに到着。
出迎えてくれた人々の中に、人懐っこいスグリの表情を見てひとまずホッとする。
そして四人の騎士。レイド、ジャスティン、ファロム、グレゴーリ。
赤髪の剣士はまだ呼び捨てに慣れてなくて、爽やかに笑うハルバート使いは相変わらずの陽気さで、打ち解けたと思っていた重戦士はまた棺のような鎧に閉じこもっている。年上淫乱ロリ娘は狂気さえ感じる程の厭らしい目つきでくっついてくるものだから、引き剥がして全力で逃げた。
ガリレジオの言っていた通り、街にはリニアの環状線が走り、外周と内周に分かれたそれを在来線が繋ぐ。
建築物は中世ヨーロッパのそれに近い造りだが、技術は現実のそれをはるかに凌駕していた。
巨大な爪で抉られたような石畳。
崩れ、脇に寄せられた煉瓦。
煤がとり切れていない白壁。
傷跡も残るが、道行く人々の顔は希望に満ち溢れている。
何故なら今日は建国記念日。
一度滅ぼされた国を立て直すための新たなスタート地点。
首都の中央に近づく毎に祝福を告げる鐘の音が、歓声が、より強く鼓膜を揺らした。
天空城からせり出したお立ち台にヴィアンテを見つけた時、偶然向こうも綾斗に気付き、転移術で目の前に現れる。
白のドレスでふわりと風を掴み、つま先からトッと着地する彼女はまさに天使。微笑む表情に憂いは一切なく、綾斗は見惚れた。
「綾斗っ」
その一言と共に胸に飛び込むヴィアンテを迷いなく抱きとめる。
「会いたかった」
「俺もヴィヴィに……」
甘い雰囲気に流されるまま、言葉を口にしようとしたが、転移術でさっそうと現れたエソラとスグリによりぶち壊される。
「あなたがヴィアンテ? 余り似てないんじゃないかしら」
「直接お会いするのは初めてですね、エソラ様。私も同意見です」
何か視えない火花が飛んでいる気がして綾斗は一歩引き下がる。
「似ているんだが、似てないというか……何て言えば伝わるか……」
そんな綾斗のやきもきした感情を見事に代弁したのはスグリ。
「お二人とも大変似ていらっしゃいますっ。姫様が不機嫌になられた時なんかは特に」
悪意の無い単純無垢なベストアンサー。
綾斗は堪えきれず吹き出した。
「綾斗くん。その笑いはいったいどういう意味かしら。何か馬鹿にされている気がして不愉快なのだけど」
睨むエソラの横でヴィアンテが例のしかめっ面でエソラを真似て、それが本当に似ているものだから、綾斗はさらに笑い転げた。
「あなた今何かしたわね」
「いいえ、何も」
にっこりと作り笑顔で微笑むヴィアンテ。
彼女の意外な一面を見て思ったことはこの二人は相性が悪いという事。
アリシアとレムも同様かも知れないとふと綾斗は空を仰いだ。
レムは事の元凶であること、アリシアはショックと罪悪感から公然に出る事を控えている。
アリシアと同様にサーヴァントにされていた者たちは解放され、自我を取り戻した。
悪意に支配されていたと時の記憶が無いとは言え、アリシアと同様に精神的ショックから立ち直るには時間が必要なようだ。
「さあ、お二人とも私と共に壇上へ」
ヴィアンテに言われるがまま、お立ち台へと転移。
ファンファーレが式典の始まりを告げ、厳粛な空気の中で犠牲者に対する黙祷が捧げられた。
綾斗もエソラも瞑目し、祈りを捧げた。
――もう少し早くこの世界を訪れていたならば救えた命があったかもしれない。
そう思うとやりきれない感情で胸が締め付けられた。
「失った命は取り戻す事はできません。ですが悲しみに暮れるだけでは前には進めません。綾斗様とエソラ様の尽力により悪魔はこの世をさりました。そして今度は私達が立ち上がらなければならないのです。一日も早く平和を取り戻すために!」
ヴィアンテの宣誓に呼応して見渡す限りの視界を埋め尽くす市民達が一斉に喚起する。
綾斗の隣でエソラが、
「復興って言っても、王族が女二人だけでどうやって国を存続させるつもりかしらね。王政の廃止は明白ね」
と小声でつぶやく。
――
と思いつつも、確かに現実問題としてそれは避けて通れない。そして決して覆す事はできない。
だが、ヴィアンテはその解決法を既に見出していた。
「ここで改めて神族のお二人を紹介致します。魔女の調査と討伐作戦の立案をしてくださった織島エソラ様」
エソラは前に進み出ていつもの蔑むような視線で民衆を見下ろし手を振る。お嬢様だけあって気品に満ち、大衆の眼にはクールビューティに映ったようで、当人には勿体ないほどの盛大な喝采を頂戴する。
「そして魔女を打倒した我らが救世主、龍崎綾斗様です」
綾斗もエソラに習って一歩踏み出しヴィアンテの隣に立ち手を振り、喝采を得る。
気恥ずかしさを顔に出さないように、ぎこちない微笑で誤魔化す。
これで今回の任務は達成したと胸を撫で下ろし、一歩下がろうとしたその時。
ヴィアンテが腕を腰に回し、強引に引き寄せた。
「――そして私の婚約相手、すなわち次期国王様です」
綾斗が思考停止に陥ったのは三秒にも満たない。
誰が、という確認に一秒。何に、という確認に一秒。全く関連性の無い二つの単語を統合するのに一秒弱。
――俺が? 次期国王? ふざけるな、そんな重圧背負えるわけがない。
華麗な逃走劇を予測するが、ヴィアンテが右手を掴み早くも中断。
「お願いします、綾斗。民の不安を拭い去るためです」
「ヴィヴィ、お前まで俺を騙すのか⁉」
「あらおめでとう、綾斗くん。でも、あなたにその器があるとはとても思えないのだけど」
どこか不機嫌に皮肉を放つエソラに、咄嗟の閃きを奮える声で囁いた。
「お……おい、エソラ。聡次郎さんから聞いたんだが、この世界はお前の認知が影響してるんだってな」
「それが何?」
「つまり、ヴィアンテが俺と婚約したいって事はお前も俺と……」
その先は自動補完してくれたようで目の色が変わる。
エソラは綾斗からヴィアンテを引き離し、仁王立ち。徹底抗戦の構えをとる。
「婚約したいなんて嘘でしょ。国を存続させるためだけの虚言ね」
「そんな事はありません。私は綾斗に一生を捧げる覚悟があります。少なくともエソラ様より綾斗の事をお慕いしている自信があります」
「ありえない。何を言っているのか理解できないわ」
互いに譲らず、王国存亡が賭けられた痴話喧嘩? が舞台裏で密かに幕を開ける。
綾斗はその結末を悠長に見届けるつもりはない。
二人が同時に振り向いた時に彼の姿は忽然と消えていた。
黄色い風に右手を握り閉めるサインを送った綾斗は華麗に離脱。
「いいのか、綾斗。国中のお尋ね者になるかもしれないぞ」
「それならこのまま光の海にでも放り込んでくれ」
皮肉を皮肉で返すと、ショートヘアの騎士は満足そうに笑った。
町外れの適当な屋根の上に綾斗を降ろすと、「それじゃあ、俺は共犯者になりたくないからアリバイを作りに行ってくるぜっ」と白い歯を光らせて、疾風の如く駆けていった。
「おい! せめて下に降ろしてから――」
声は既に追いつけないと悟り、閉口。
――そう言えば、命を絶つ事以外でエデンに戻る方法を知らない。
いっその事本当に死ぬしかないかと深刻な面持ちで下界を眺めては足が竦む高さに喉を鳴らす。
何故だか急に馬鹿馬鹿しくなって溜息を吐いてからゆるい傾斜の屋根に腰を下ろし、喧騒から離れた場所で一人思案を巡らせた。
――認めたくは無いが、エソラが魔女の演技で俺を騙してくれてよかったのかもしれない。
今ではもう知る術の無いベルフェゴールの計画。
それは別の悪魔を召喚する事だったのではないだろうか。
もし、俺があの時アリシアを殺めていたら?
仮にエソラが一人で乗り込みアリシアをレムだと誤認して殺していたとしたら?
不殺の戒めに従い、もう一人の悪魔が生まれてしまう。
恐らくアリシアはそのために生かされていた。
ヴィアンテはさしずめ加害者にも被害者にもなり得る保険――論理的にはその可能性が高いが、ベルフェゴールの中に残ったレムの良心がエソラとそっくりのヴィアンテを殺せなかったと信じたい気持ちもある。
いずれにせよ、レムの記憶を奪ったベルフェゴールはエソラが助けに来ると知っていた。そしてエソラなら魔女を倒す唯一の方法が殺害によるエデン強制送還であると気付くと分かっていたのだろう。
つまり、全ては半年前から周到に準備されていた。
しかしヴィアンテの夢合わせがその未来を変えた。
彼女の能力は未来を見通せるというよりも、望むべき未来を得るためのカードを提示する。遠回りのようで実は単なる未来予知よりも効率的なように思える。
恐らくその射幸を踏まえてのダヴィンチ・プロトコルのシフトチェンジ。
――だが、そんな事ははっきり言ってどうでもいい事。重要なのは今こうしていられる事だ。
壇上に上がった時の、みんなの顔を思い出して綾斗は熱い気持ちに包まれる。
――この国はきっと再興できる。
予測としては無責任かもしれない。だからこれは願いだ。
この世界に生ける誰もが幸せであってほしいという切望。
始祖山に沈む太陽はやがて一日の終わりを告げて暗闇を連れてくる。だが、世界はまた光で満たされ、その度に人々の胸に刻まれるはずだ。
これが悪魔を打ち払った光――世界は希望で満たされているのだと。
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