第19話 偽りの魔女


「おい、どういうことか説明してくれるんだろうな」


 そこは現実世界。コンソールの前。

 仁王立ちの綾斗の前にはふてぶてしい無表情のエソラ。

 その様子を聡次郎と一が和やかに見守る。


「もちろん、あなたには真実を知る権利がある。初めから話すわ」


 それからエソラは淡々と語った。



 半年前、レムはエデンの東へ消え、数日後に戻って来た。そこまでは綾斗も知っていたが、実はその続きがあった。


 レムはそのまま踵を返し、再びエデンの東へアドベントしてしまったのだ。そして、それから一か月以上もレムがもどって来る気配はなかった。


 彼女を連れ戻すため、聡次郎の反対を押し切り、エソラがアドベント。魔女の侵攻の事を知り、スグリの協力の下、共鳴術を修得。情報を集めるうちに、魔女の正体がレムだと思い始めるが、確信はなく、民と友好関係を保つためにその考えはあえて伏せていた。


「……まあ、結果的にはレムが魔女だったのだけれど。そしてこれは私の推論。半年前にアリシア姫が千年竜『ミル・エル・アンフェル』と共に葬ったのはレムよ。あの子は負けず嫌いだから、きっと仕返しをしたかったのでしょうね。だから直ぐにアドベントした。そして北の果てに囚われたアリシア姫を襲撃したの」


 それまで黙って聞いていた綾斗はついに口を開いた。


「ちょっと待て。お前の考えが正しいとして、先に不殺の戒めを破ったのはアリシアだから、魔女はアリシアなんじゃないのか?」


 決定的な矛盾だと思ったが、エソラの表情は憎らしいほど微動だにしなかった。


「人の話は最後まで聞きなさい。不殺の戒めに関する過去の記述では、神について言及されていないわ。だけど、不殺の戒めはあくまで相手を殺した場合に発動する呪い。もしも、対象が死なない神ならどうかしら?」


 綾斗はグッと唇を噛む。

 だがまだ、説明がつかない事がある。


「レムがアリシアに復讐して魔女になったというなら、なぜアリシアは生きていたんだ?」


 その問いにもエソラは眉一つ動かさないどころか、幻滅の吐息。


「私の忠告が聴こえなかったのかしら」


 蔑むような冷ややかな視線。

 背後に完全なる理論武装が透けて見えて、綾斗は観念し閉口する。


「私は単独で監獄要塞を調査した。もちろんアリシアの亡骸は無かったけれど、代わりにイルミーナの遺体を見つけたわ」


 イルミーナはアリシアの指導者で、幽閉されたアリシアの世話をしていた共鳴術士。


 ――つまり、イルミーナがアリシアの盾になり,レムに殺害されたという事か。


「レムは仮想現実だと知っていたから、きっとゲーム感覚で殺したのよ。開発途中の次世代型VRゲームのテスターもしていたから。でも、それが引き金になってレムは悪魔に心を奪われてしまった。そして、魔女と化したレムはアリシアをサーヴァントにして、代わりに首都を襲わせた。それが『魔女の侵攻』の真実」


 これで満足? とでも言いたげに鼻を鳴らすエソラ。


「綾斗くんが見事魔女を倒してくれたおかげで、レムは呪いの存在しない世界――エデンに強制送還されて元の状態に戻る事が出来た。今はまだ大事をとって眠っているけれど」


 とても謝辞とは思えない冷たい声はむしろ皮肉的な響きを含み、鼻につくが気にはしない。確かにこれでレムが魔女の正体だったいきさつは説明されたのだ。


 ――俺を親父に制圧させた理由も分かった。あの段階ではエソラの考えはあくまで仮説。魔女を殺した俺が不殺の戒めで悪魔に支配される可能性もあったわけだ。


 だが、綾斗にはもう一つ解せない事がある。ある意味こっちの方が重要だった。


「魔女の正体についてはそれで良しとしよう。だが、弁解をまだ聞いていないが?」


「弁解?」


 ――とぼけるつもりか。そうはさせん。


 部屋の隅に散らかった窓ガラスの破片を指さしながら、


「お前が俺を騙した言い訳をまだ聞いていない」


 と静かに憤慨する。


 綾斗がその事に気がついたのは現実世界に戻り、あの時のままの惨状を視界に入れた時。

 割れて散らばる窓ガラス。だがよく見ると、エソラが姿を消した窓の近くにだけ破片がない。

 つまり、そこにはもともと窓ガラスではなく通路があったのだ。


「あら、気づいたのね。面倒だからこのまま騙し通そうと思ったのに」


「すまないね、綾斗くん。だが、あの時はああするしかなかったのだ」


 先に弁解を述べたのは聡次郎。


「いえ、聡次郎さんからは既に謝罪を頂いていますから」


 ――そうだ。今なら分かる。あの土下座の本当の意味が。


「俺はエソラから直接理由を聞きたいんです」


 お手上げね。というように手をひらひらさせて主犯は供述を始める。


「確かに私が魔女にされたって言うのは嘘よ。あれは全部演技。ガラスを割ったのは特殊部隊突入用の超音波破砕装置。空中浮遊は本社と影の塔を繋ぐ連絡用の半透明アクリル製通路。そして瞬間移動は特殊偏光式扉。ご明察の通り、現実世界で共鳴術は使えないの」


 マジックの種明かしを終えたエソラは少しだけ頬を緩ませた。


「何を笑っている」

「だってあの時の綾斗くんの真剣な表情が面白くて」


 あの時とは綾斗がエソラを追って、ビルから飛び出そうとした時。

 聡次郎が必死に綾斗を引き止めたのは手品の種を隠すため。


 横目できっと睨むと、苦笑を浮かべ胸の前で小さくハンズアップするナイスガイが顔を背ける。


「いやあ、あの時は本当に焦ったよ。危うくバレるところだったからね」


 綾斗は敵意の視線を目の前でほくそ笑む腹立たしい女に引き戻した。

 一枚の扉を隔てた向こう側でエソラが笑いを堪えていたと思うと怒りが無尽蔵に湧いてくる。


「そんな怖い顔しないで、ちゃんと理由を説明するから」


 いいだろう、聞かせてもらおうか、とどっしりと腕を組み迎え撃つ。


「あれは丁度一か月前、私は単身で敵情視察に赴いた時だったわ。まあ、視察と言っても始祖山の頂上までが限界だったけれど……」


 それからエソラは記憶をたどるように語り続けた。



 エソラが始祖山から天空城を眺めていた時、声が聞こえた。それがヴィアンテとエソラの初めての接触。

 夢合わせで未来を見通せるというヴィアンテに対して初めは懐疑的だったエソラだが、まだ知るはずもない綾斗の特徴を言い当てた事から、その能力を信じる事になる。


 エソラは、ヴィアンテから魔女を倒す方法――つまり、『愚者、女帝、太陽、悪魔、死神』の占いの結果とヴィアンテの解釈を聞く。

 愚者が綾斗を暗示する事から、エソラはなんとしても綾斗を協力させようと勧誘するが、ことごとく断られる。


 そこで占いの結果を再考した時、戦いの場に自身が居ない事と、愚者の言葉の持つニュアンスから、綾斗を騙して単独で潜入させる計画を思いついた。


 三日という期限はむしろレムのタイムリミット。彼女が使用していたVR機『カプセル』の長期連続使用は七か月が限界であり、その期限を超えると緊急メンテナンスシステムが作動し、使用者は強制的に覚醒する。


 悪魔に精神を侵されたまま目を覚ませばどうなるか。


 その最悪の可能性を考慮しての三日というタイムリミット。



 ――なるほど。経緯は分かった。だが、


「無茶苦茶すぎる」


「私だってそう思う。でも、私の頼みを聞いてくれなかった綾斗くんが悪いのよ」

「いや、だったら初めから……」


 全て話していてくれていれば、と言い淀む。


 ――魔法だのファンタジーだの言われて素直に協力しただろうか。仮に信じたとして、人の命がかかっている案件に俺が安易に協力を申し出たか。


 自問自答した果ての答え。


「ありえないわ」


 心を読んだとしか思えないタイミングで被せられ、目を逸らす。


「それでも、俺がしくじるとは思わなかったのか。俺がサーヴァントにされてしまう危険性もあったはずだ」


「……ありえないわ」


「どうしてそんな事が言える⁉」


 無責任としか思えない発言にイラつきを隠せない。


 ――らしくない。俺のような人間に妹の命を任せるなんて。エソラはそんな賭けをするような奴じゃない。


 綾斗の激昂にエソラはしばし沈黙。


 少し言い過ぎたかと顔を覗き込んだ瞬間、これまで見た事も無い弛緩した表情に綾斗は怒りを忘れる程に釘付けにされた。


「……綾斗くんだから」


「はっ?」


「……」


 エソラは頬を染め、コバルトブルーの瞳を小刻みに震わせている。


「もしかして――」


 エソラはヒュッと息を飲み込む。


「――体調が悪いのか? 顔が赤いぞ」


 そのやりとりを見ていた一はやれやれと肩をすくめ、聡次郎と視線を交わした。


「そ、そうよ。あなたと話していると疲れるの」


 ――この女……。


 エソラはプイッとそらした顔を引き戻し、遠くを見るような眼差しで呟く。


「七年前、あなたは私とレムを助けてくれた」


 調子を取り戻したエソラの声が響き、場の空気は静謐さを取り戻す。

 綾斗の網膜には七年前の光景がありありと蘇る。


「俺はお前の母親を……アンジェリーナさんを救えなかった。俺がもう少し早く――」

「あなたの所為じゃない」

「でも俺は――」

「私は――!」


 エソラの力強くも震える声に綾斗は胸を萎ませた。


「――私はただ見ている事しかできなかった。後部座席の奥で震えてるだけだった。でもあなたは違った。立ち向かっていった。ナイフを持った大男に。私はあなたが……綾斗くんが、とてもかっこいいと思ったの」


 一が眉を吊り上げたおどけた表情で聡次郎を見やり、にやにやする。


「すまん。意味が分からないんだが。言葉のチョイスを間違ってないか?」


 綾斗は頭を抱えながら真顔で答えた。


「……」


 一同沈黙。


 一と聡次郎は拳を震わせ、口を出したい気持ちを押し殺しながら温かい視線をエソラに送る。


「ええ、その通りよ」


 二人はがっくりと肩を落とした。


「とにかく、アンジェリーナさんを助けられなかったのは俺の落ち度だ」


「それは違うぞ、綾斗くん」


 白衣の仲裁人はあくまでシリアスに。


「アンジェは……重度の白血病だったのだ。しかも特殊な血液型で輸血できなかった事が死因だ。それに妻の命はもう長くなかった」


 ――でまかせにしては残酷すぎる。ニュースや新聞でもそんな情報は無かったはず。


 聡次郎は綾斗の思考を読み取った。


「メディアには公表していない。この事を知るのは私と娘の二人。それと旧友である君の父親だけだ。アンジェリーナが、白血病を発症したのは二人を産んだ後。織島家は優性保護にうるさくてね。私は医師でもあったから、自ら診療にあたり、彼女の病気を隠し通した。そしてこれからもそれを公表するつもりはない」


 隠蔽し続ける理由は二人の娘を一族の弾圧から護るため。

 それは綾斗にもわかった。


「しかし……」


 ――俺が間に合わなかった事に変わりはない。


「白血病さえ治療できていればアンジェリーナが命を落とす事はなかった。重ねて言う。君の所為じゃない。私の医師としての腕が足りなかったからだ。それに引き換え、君は愛する娘達を守ってくれた。それだけで……十分だ」


 聡次郎の声は力強くも震えていた。


 ――この人も俺と同じ。


 己の無力さを悔やみ、呪い続ける一人の男だと知った時、もう何も言い返す気にはなれなかった。


 割れたガラス窓から吹き抜ける冷たい風で凍った肌を、赤橙色の陽射しが優しく溶かし始める。まだ群青の空に朝焼けの光が滲み、なだらかなグラデーションを彩る。

 誰もがその美しさに視線を奪われ感嘆を漏らした。


 今になって、現実に戻って来たという感慨が顔を出す。

 体は寝ていただけのはずなのに、言いようのない疲れが気力を削いでいく。


 ――きっと、この感覚は俺とエソラにしか分からない。


 コバルトブルーに映えるオレンジをちらと見て、綾斗はため息をつくように微笑した。

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