第22話 二人の天才


 初夏の日差しは暗幕によってさえぎられ、最新式の空調が提供する快適極まりない空間に綾斗はたたずんでいた。


 ――そろそろ時間か。

 

 『ピッ』。


 腕時計の電子音が予定時刻の『17:00』を示すと、静まり返った薄暗い会場に抑揚よくようの利いた男の声が響いた。


「ご来賓の皆様、お待たせいたしました。それではご紹介致しましょう。世界初、フルダイブ型オンラインゲームの開発者――織島レム様です」


 一斉に点灯したスポットライトがステージ上の一人の少女を照らし出した。


 一見清楚せいそな黒髪ツインテールの少女。しかし、顔は明かに西洋人よりで黒髪が浮いているようにも見える。


 彼女に送られるのは割れんばかりの拍手。

 その熱気に気後れする事も無く、少女は堂々とした態度で言葉をしたためる。


「ありがとうございます。そして、まず何より発表が予定より半年程遅れてしまったことについてお詫びを申し上げます」


 そう言って少女は丁寧に一礼して顔を上げた。


 そしてにこやかな笑顔のまま、


「ただ……、それでも他のどの企業も私を出し抜くことはできなかったようですが」


 と毒を吐いた。


 これには来賓らいひん一同苦笑を浮かべるしかなかった。


 その反応を受けてむしろ機嫌を良くした少女は、それからステージ備え付けの大型モニターで商品のプレゼンを開始した。


 ――まあ、やつの妹らしいと言えばらしいか。


 綾斗は来賓席の最後尾よりもさらに後ろ。ほとんど出入口に近い壁に背を預ける様にしてその光景を眺めていた。

 眼前にはマスコミのカメラや照明機材が並び、忙し気にフラッシュを焚いている。


 脚光を浴びる少女――レムは綾斗の二歳下で、日本最大手の企業、織島グループの社長令嬢だ。


 ――あの落ち着きようで十二歳とは信じられない。天才と言うのは疑いようもないが。

 

 『天才』と言う言葉の響きは、決して悪いものではない。

 科学・文明の発達に寄与する人材。言わば人類の宝。


 だが、それもその人と成りによる。


 ――その悪例が身近に二人も居てしまうのだから困ったものだ。



Passez uneパセーゥン bonneボン journeeジョウニー. ……Monムン chevalierシュバリエ


 急に耳慣れぬ言語で話しかけられ、綾斗は凝り固まった。

 だが、その冷たくも端麗たんれいな顔立ちにあてられ、体は弛緩。胸中で溜息をつく。


「ごきげんよう。綾斗くん。その調子だとフランス語の勉強ははかどっていないみたいね」


 彼女こそがもう一人の天才、織島エソラだ。


 エソラはレムの姉で綾斗のクラスメイト。レムと同じく日本人離れした美しい容貌で、モデル――オシャレ雑誌ではなく高級ブランド雑誌に起用されるそれのような美人だ。

 流れるような長髪は、トップはくすんだグレーだが毛先に向けて徐々にシルバーの光沢こうたくを帯びる。


 初見の人間は奇跡を目の当たりにしたように、うっとりとその美貌びぼうに酔いしれるのかも知れないが、綾斗にはそんな無防備極まりない選択肢は存在しない。


「余計なお世話だ」


 と突っぱねる様に切って返す。


「せっかくお父様がフランス語習得用のプログラムを綾斗くんのVR機に組み込んでくれたのに……。とても張り切ってプログラミングしてたみたいだから、私も期待してたのだけど。……機械は使い手を選べないから不憫ふびんなものね」


 ――まったく。いちいちかんさわるやつだ。


 フランス語を修得する様に勧められている理由は少しだけ複雑だ。

 

 秘匿ひとくコード名『ダヴィンチ・プロトコル』。


 それは力の大統一理論に基づいて構成された現実と全く同じ仮想世界を観測することにより、未来予知を行うという政府勅命ちょくめいの極秘プロジェクト。

 この計画の先駆けとなるVR機――エデンを開発したのが織島グループ社長の織島聡次郎。


 このプロジェクトは、初期段階においては手探りの状態で進められ、まだ不完全であった大統一理論を修正する段階で不具合が生じ、仮想現実内に異世界――エデンの東が形成されてしまった。


 その異世界に囚われたレムを救出したのが綾斗。


 正確に言えば救出させられたと言った方がただしいのだが……。


 とにかく、エデンの東では共鳴術という魔法じみた力が存在し、その中には未来予知の術も存在したのだ。

 それを受けてプロジェクトの主目的は未来予知の共鳴術である『オブリビオン』を復活し習得することへとシフトチェンジした。

 そしてこの共鳴術と言うのが詠唱にフランス語を用いるため、習得を強要されているという訳だ。


 確かに、聡次郎が設計した言語習得プログラムは優秀なのだろう。超高度なAIが講師としてあたり、プレイヤーの苦手な個所をつぶさに見抜き、最適な学習法を提供するというものだ。


『これがあれば一週間でフランス語を話せるようになる!』


 と豪語した聡次郎。

 だが綾斗はプログラムを起動して一分も経たずプログラムを強制終了した。

 なぜなら――。


 

 教師の見た目が他でもないエソラだったからだ。


 ――親バカも大概たいがいにしろ。


 と奮起ふんきしたのが一か月前。

 それから全くの手つかず。


 だが、どのみちフランス語を覚える必要は無いと綾斗は思っている。その理由は次の通り。


「既にフランス語が流暢りゅうちょうな天才が二人もいらっしゃるんだから、凡人の俺が覚える必要は無いだろう?」


 綾斗は半ば投げやりに言い放った。

 二人の天才はアンジェリーナという名のフランス人を母に持っていた。故に日本語と同じレベルでフランス語を話せる。


そしてエソラは綾斗の皮肉を受けて、


「レムはまだ協力するつもりは無いみたいだから、実質、私とあなたの二人っきりよ」


 と返す。

 

 エソラはその表情から感情が読み取りにくいが、沈んだ声のトーンから愉快ゆかいでないことくらいは綾斗にも察しが付いた。

 

「……そうか。レムが協力してくれれば心強いが、お前ひとりでも十分じゃないか?」


「確かに私も天才だけど、レムには敵わないわ」


「お前には東大生も真っ青な超絶記憶能力があるんだろ? レムと何が違うって言うんだ?」


 ナチュラルに自分を天才と讃えている事はもはやスルーして、さらに声を沈ませたエソラに綾斗は不器用にもフォローを入れた。


「そうね、例えば……」


 エソラはポケットに忍ばせていたメモ帳にスラスラと何かを綴って見せた。


「なんだそれは?」


 間にイコールがあるので何かの式だと判別できるが、かたよった三角形や6を鏡写しにしたような文字は見慣れない。


「シュレディンガーの波動方程式はどうほうていしきよ」


「シュレ……何だって?」


 エソラは「はあ」と溜息ためいき


「シュレディンガーの波動方程式。量子力学の世界では超が付く程有名な数式よ。『波動』と言う名を冠している様に、波を表す方程式。簡単に言えばこの方程式を解くことによって波としての量子の状態を知ることができるの」


「……それで?」


 何とか噛み砕こうとしたが既に訳が分からないので綾斗はそう答えるしかなかった。


「時間はかかるけど、私はこれを暗算で解くことが出来るわ」


 ――自慢ですか?


 という綾斗の思考を読み取って、


「別に自慢するつもりは無いわ。むしろ、その逆よ」


「……どういう意味だ?」


 と、綾斗が問う間も、エソラは変数に適当な数字を当てはめて難解な途中式をスラスラとつづっていく。


「私はただ記憶している解法に沿って器械的に式を解くだけ。でも、あの子は感覚的に理解しているの」


 計算式の答えにたどり着いたのか最後の関数にフィニッシュとばかりに下線を引いた。


「感覚的というのはどういう意味だ?」


「本質を理解していると言い換えてもいいわ。つまり、レムは――」


 メモ用紙を折り畳み、最初の式と答えの関数だけを示し、


「――途中の複雑な計算式をすっ飛ばして答えを導き出せるのよ」


 綾斗は唖然あぜんとした。


 ――それは……すごいのか?


 元の方程式を知らな過ぎて何とも言えない。


「……すまん。分かりやすいようでよく分からん」


厳密げんみつには違うけれど、レムの能力は綾斗くんにとっての九九みたいなものよ。『2×3』を敢えて『2+2+2=6』と計算しないでしょう? レムの場合、その『2×3』が大学院レベルの計算式だと思ってくれたらいいわ」


 ――なるほど? まあ、それならなんとか理解できなくもないか。

 

「とにかく、私とレムじゃ、同じ天才という括りでも天と地ほどの差があるのよ」


 エソラは何度目かの溜息をついてから、少しだけ声色を代えてそう呟く。


 綾斗は頷くでも否定するでもなく、ただ彼女の表情を見ていた。


 壇上の少女を見つめるコバルトブルーの瞳には、わずかだがかげりの色が差しているような気がした。

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