第41話 前に進め


 内装・外装共にロンドン駅に似ていて異国情緒漂う雰囲気の中で三十分に一本の列車を待つ。

 大時計を見ると列車到着まであと数分と言ったところ。

 客足はまばらで経営的な面を心配してしまうほどだ。だが、おかげで一般客の列とは離れた乗車口に二人だけで並ぶことができ、正体を隠すのにちょうどよかった。


 エソラからもらった糖蜜を摂取して倦怠感や空腹感は軽減したが、まだ十分に疲労困憊と言える状態。これ以上信心深い民達に群がられたら、なけなしの体力を持っていかれそうだった。


 無心になって何かに体を預けたい衝動に駆られながらも、綾斗はある事を思い詰めていた。


 それは自分の存在意義だ。


 先の戦いでも、湖の一件でも、モンスターを討伐したのは紛れもなくエソラ。綾斗はお膳立てを――捉え方によっては不必要な演出をしたに過ぎない。


 ――保護対象に命を守られておいて、何がボディーガードだ。


 綾斗がS.C.SのVRトレーニングを続けてきた理由。


 エソラの母――アンジェリーナが亡くなった時、自分の未熟さを思い知り、底なしの無気力さに飲まれた。自分の存在が、それまで積み上げてきたことが何もかも無意味だったとふさぎ込んでしまったのだ。


 臆病さ故に救えなかった一人の女性と、奪ってしまった加害者の命。どちらか片方だけだったとしても七歳の子供に背負うには重すぎた。


 もう、何もかも投げ出してしまいたいと思う心が確かにあった。だが、それは余りにも無責任だと責め立てる声が綾斗に前に進む道を与えた。


 ただひたすらに自分に鞭を打ち続ける事で生きながらえる事が許された道。


 同じ過ちは繰り返さないと心に釘を刺すことで、少しずつ生きていくために必要な何かを取り戻してきたのだ。


 だが、それが揺らぎつつある。


 ――誰かを護るための力を欲してきたのに俺は護られてばかりいる。騎士達と共にサーヴァントと戦った時もそうだ。身を捨ててまで俺を生かそうとしてくれたファロムやグレゴーリ。彼らが生きていたのは運が良かったと言わざるを得ない。もし、彼らが命を落としていたら……。


 綾斗はそんな事ばかりを考えてしまうが、恐ろしすぎてその先は想像する事さえ出来ない。

 

 ――あいつもだ。


 直近の戦いではエソラがタイミングを少しでも遅らせていたら、綾斗だけでなくエソラも確実に死んでいた。

 普段は呼吸をするように皮肉を吐くエソラでも、命がかかった場面では身を挺して綾斗を救ってくれた。


 ――あいつが真実を有耶無耶にしたのは俺が思い悩むと分かっていたからだ。


 それが余計に惨めさを掻きたてた。


 ――あいつが俺のために死ぬようなことがあってはならない。例え仮想現実だとしても。


 異世界に囚われたレムを救う事ができたのは単に運が良かっただけ。これからも上手くいくとは限らない。


 ――俺は自分を許すためにトレーニングを続けてきたわけじゃない! 勘違いをするな……結果が伴ってこその償いだ!



 綾斗は虚ろな瞳の奥で激しく自分を戒めた。その時――。



『前に進め』



 突然誰かの声が頭に響いた気がした。


 ――そうだ。停滞は罪から目を背けているのと同じ。一歩ずつでも前に進むんだ。



『そうだ、前に進め。一歩、また一歩……』



 響く声は次第に強く、逆に世界の音は遠ざかっていくような――。



「綾斗くん!」



 後から腕を掴まれ体がピタリと静止する。

 と、眼前を列車が通過した。


 いつの間にか綾斗は線路へ飛び込む一歩手前まで歩を進めていたのだ。

 サーッと肝が冷えるような感覚と共に五感が蘇り、綾斗は慌てて後ずさって躓きしりもちをついた。


 ――どうして俺は……。


 心臓がまだバクバクと音を立てている。

 立ち上がれないでいると、焦点が定まらない視界の中にスッと白く綺麗な腕が伸びた。


「大丈夫?」


 これまで綾斗に見せた事の無いような、不安な表情をエソラは浮かべていた。

 綾斗は、――何か言って安心させなくては、と思っても何も言葉が出てこない。


「俺は……俺は……」


 明かに自分を見失い、うろたえる綾斗。

 エソラはぎこちなく口の端を吊り上げると、おどけた調子でこう言った。


「もしかして自殺願望があるなんて事はないわよね?」

 

 ――自殺願望⁉ あり得ない!


 綾斗は忘れていた息を大きく吸って、


「……違う! そんな訳ないだろ!」


「冗談よ」


 シャレにならない冗談だったが、おかげで現実感が戻ってきてパニックから解放されていく。


 ようやく客観的に事態を飲み込めるようになって、


「すまない。いつの間にかぼーっとしてしまって、気づいたら……」


「まったく……無理し過ぎなのよ。それに、背負いこみすぎよ……」


 ――いったいこいつは何処まで俺の心の内を分かっているのか。


 という思考さえも、微妙な表情の変化から容易に読み取ってしまったのだろう。


「私は綾斗くんの事を恨んでいない……と言ってもあなたは自分を許せないのでしょうね。だから私は――」


 エソラは不自然に言葉を切って代わりに、


「ほら、早く乗らないと出発してしまうわ。そんなフラフラな状態で、もう三十分立ち続けたら今度こそ線路に落ちてしまうわ。……ねえ、同じ過ちを繰り返したくは無いのでしょう?」


 いつもの皮肉たっぷりの言葉が何故か胸に染む、言いようのない不快感を綾斗は軽く鼻を鳴らしてあしらった。


 

 ◇◇◇ 



「そのような大事があったのですか⁉」


 エソラからの報告を聞いたヴィアンテは口に手を当てて今にも卒倒しそうなほどに驚愕した。


「そんな事まで報告するな!」


 と綾斗が主張するのは最もで、モンスター迎撃作戦の事だけでなく、列車飛び込み未遂事件のことまで事細かに説明してしまったからだ。


「ヴィヴィもヴィヴィだ。そこそんなに食いつくな!」


 迎撃作戦の報告よりもリアクションが二割増しだったのだ。そう言いたくもなる。


「あの……、すみません」


「あなたが謝る必要は無いわ。全面的に綾斗くんが悪いから。まだ未遂だったから良かったものよ。もし綾斗くんが他の乗客を巻き込んで命を落とすようなことがあったら、綾斗くんをひき殺した運転手まで、後を追う事になったでしょうから」


 一般客の後ろに並んでいたらあり得たかもしれない、考え得る最悪のケース。

 エソラの完全理論武装を受けて、綾斗は身が縮む思いだった。

 自分の無茶の所為で誰かの命を危険に曝しのだ。反論の余地は無いと誰に謝るでもなく顔を伏せた。

 まるで実刑を言い渡される被告の気持ちだったが、実は弁論の余地があった。


「それは、大丈夫かと……」


「それ……というのは運転手が道連れになる事かしら?」


「はい。そのとおりです」


 はっきりと頷くヴィアンテの姿に弁護を受けた綾斗でさえも首を傾げた。


 その理由は言うまでもなく不殺の戒めがあるからだ。


 殺害されたのが神である場合、不殺の戒めは発動しない。というよりも神は寿命以外では死なないため、そもそも『殺害された』と言う事象が発生しない。

 そして、殺害されたのが亜人または王族である場合、加害者は死を以て罪を償うか悪魔に心を支配される事になる。悪魔に心を支配されてしまうのは加害者が王族または神族の場合だけであり、それ以外――つまり亜人が殺人を犯した場合は漏れなく死ぬ定めにある訳なのだが。


「ひょっとして、人身事故または業務上過失致死なら殺人とみなされないという事かしら?」


「そのと言うのは良くわかりませんが、不殺の戒めにはグレーゾーンが有るのです」

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