第42話 グレーゾーン


「不殺の戒めが発動するのは、故意に人を殺した場合と故意で無くても共鳴術が直接の死因になった場合なのです」


 そう語るのはヴィアンテ。綾斗はその言葉の意味を噛み砕く。

 故意に人を殺した場合と言うのは議論の余地は無い。そもそも亜人たちは不殺の戒めにより殺人衝動を抱く事さえ出来ないので、その場合の加害者は神か王族に限られるわけだが。

 そして問題なのは『共鳴術が直接の死因になった場合』だ。


「列車の運転手はコンティニュアス・カレントという持続的に電流を発生させる共鳴術で車両をコントロールします。つまり――」


「仮に人が列車にはねられて死亡したとしても、その直接死因は共鳴術では無く、列車に接触したから……という事になるわけね」


 ヴィアンテの言わんとするところをエソラが先に察して述べると、ヴィアンテは大きく頷いた。


「その通りです。列車だけに限らず馬車による接触事故や薬の誤投与での死亡など不慮の事故の殆どでは不殺の戒めが適用される事はありません」


 『殆どでは』――。その例外が綾斗には直ぐに想起できた。


「不殺の戒めで人が死ぬのは……戦場か」

「はい。モンスターに対して放った術に仲間が巻き込まれ命を落とした場合です。そのため騎士達は特に注意深くなっています。混戦の時はモンスターに対する警戒心以上に」


 それがモンスター一体に対して四人一組を徹底している理由。

 人手が潤沢な時代はそのやり方がまかり通っていたが、魔女の侵攻以来騎士の数が激減してからは、それが通用しない事例が目立って来ている。アンナが負傷した件はそのほんの一例だ。


「ですから、お二人がモンスターの軍勢を倒してくださって本当に助かりました。騎士達も心から感謝していた事と思います」


 騎士達の思いを想像し、祈る様なポーズで目を輝かせるヴィアンテ。

 エソラは彼女からついっと目を逸らした。


 ――そうか、あいつ歓喜に踊る騎士達を一喝したんだったな。


 いつもなら皮肉の一つでも言って責めたいところだが、あの時ばかりは綾斗も助かったので閉口する。



「長話になってしまってすいませんでした。お二人とも大変お疲れの事でしょう。今日はもう休まれた方が良いのではないでしょうか?」

「まだ伝えていなかったが一度現実……向こうの世界に戻ろうと思う」


 と綾斗が告げるとヴィアンテは表情を一気に崩した。今にも泣きそうなほどに目尻を下げ、瞳を震わせていた。


「また戻って来るから心配するな」


 その一言で十分かと思いきや、ヴィアンテは綾斗ににじり寄って息がかかるほどの距離で、


「それはいつですか?」

 と問い詰める。


「ええっとそれは……」


 スケジュールを決めるのは依頼主であるエソラ。綾斗は目くばせしてエソラにその意を伝える。


「そうね、あと……十年ほど先かしら」


「じゅ……じゅう……ねん……はぁっ」

 ふらっと卒倒しそうになるヴィアンテを綾斗は咄嗟に抱きかかえた。


「おい、しっかりしろ! エソラのタチの悪い冗談だ!」


 きっとエソラを睨むと、隠しきれない優越感を滲ませていた。


「じょう……だん?」


「そうだ、ヴィヴィがこんな大変な時に、長期間放置する訳がないだろう?」


「はあぁぁ、良かった……」


 精気を取り戻したヴィアンテは、綾斗の腕の中で風船が萎むように、ふしゅうとへたりこんだ。

 それとは逆行して綾斗の胸元を掴んだヴィアンテの右手にはぎゅうっと力が込められていた。

 無意識に彼女を抱く両腕に力が入る。

 綾斗の心中では暴力的なまでに庇護欲が掻き立てられていたのだが、それを確信したのは本人よりもむしろエソラの方が早かった。

 

「一週間後よ」

 

 さっきまでの上機嫌はどこへやら。不満をぶちまける様に吐き捨てた。


「一週間後ならすぐですね。ふふふ」


 エソラのあからさまな憤怒とは対照的な幸せそうな笑顔は見ているこっちが微笑ましくなるほどの無邪気さで。


「それで……いつまで抱き合ってるつもりかしら?」


 その一言でようやく二人は密着を解いた。

 と言っても、飛び退くような感じではなく互いに惜しむようにゆっくりと。

 

「分かっていると思うけど、一週間ただ待ちぼうけているだけでは論外よ。次に私たちが来るまでに、リストにあげた長官クラスの人物に声を掛けておいてちょうだい」


 より一層語気を強めたエソラに物怖じしながら首を縦に振るヴィアンテ。


 ――ほんとにこの二人は相性が悪い。


 と綾斗は第三者的な思いを馳せた。その要因の一端が自分にあるとも知らずに。


「そう言えばアリシアの様子はどうなんだ? まだふさぎ込んでいるのか?」


 微かな窮屈さを感じた綾斗は話題を変える。


「彼女はもうじき回復するわ」


 その問いに答えたのはヴィアンテではなくエソラだった。


「どうしてお前にそんな事が分かるんだ?」


「私が彼女の主治医だからよ」


 初めて聞く情報に綾斗は驚きを隠せず「はぁっ?」とマヌケ面をさらした。


「綾斗に言ってませんでしたが、実は二ヵ月前からエソラ様にはアリシアの病状を診てもらっているのです。確か鬱病と仰っていましたか」


「診てもらってるって……お前、医師免許持ってたのか?」


「勿論無いわ。というよりこの世界ではそんな物必要ないわ。それに私はあくまで橋渡し役よ。アリシアの病状を現実世界で父に相談して、医師免許を持つ父に処方してもらう。エデン内にある物はこの世界に持ち込めるから、定期的に抗うつ薬を渡しておいたのよ」


 衣服がそうであるようにエデン内の物は異世界への移動が可能。

 現実世界のエデンに持ち込んだ物が素粒子レベルで正確にコピーされているため、薬効もそのまま発現されるという訳だ。


「鬱病と言うのは本当なのか?」

「あくまで診断名をつけるならの話だけど、正確に言えば自閉症スペクトラムよりの鬱病ね」


「自閉……何だって?」


「まあ、細かい事はいいのよ。とにかく今は必要以上の人との接触は避けて、突飛な行動に移らないように配慮する事が重要よ。心配しなくても症状は一過性で二か月後には人前で話せるようにはなるでしょう」


「……つまり良くなってきているという事でいいんだな?」


 エソラは一度だけ頷いて、「初めにそう言ったでしょ?」と不必要な嫌味を添えた。


 まあ、何にせよアリシアが良くなっているのならそれでいいかと黒い感情を腑に落とし、今度こそヴィアンテに別れの挨拶を告げるとエソラの転移術で東の端へと移動した。


 異世界からエデンに帰還する方法は二つ。死亡するか、光の海に飛び込むか。

 さりげなく新事実を告げられ、綾斗は蠢くような光の塊を見つめながら喉を鳴らした。


「痛く……ないのか?」


 手をそっと近づかせただけで熱量を感じるほどの圧倒的な光量。


「言い伝えによると、心悪しき者がこの壁を越えようとすると、神の怒りにふれて、全身を焼かれ、想像を絶する痛みの中で過ちを悔いながら絶命するそうよ」


 全くもって楽しくない話題を心なしか嬉しそうに話すエソラに、綾斗は顔をひきつらせた。


「大丈夫よ…………綾斗くんが本当に神様ならね」


 と気になる一言を残し、エソラは光に飲み込まれるようにすっと消えていった。


 ――うぐぐぐぐ……。


 いっその事列車に轢かれて死んでいた方が良かったのかもしれないとデリカシーの無い発想まで飛び出してしまう始末。

 しかし、エソラの戯言を信じる信じないに関わらず、目の前に広がる光の壁に飛び込む以外に選択肢は無い。


 ――舌を噛んで死ぬよりはましか。


 綾斗は覚悟を決め――と言っても何度か勢いをつけたり身を引いたりを繰り返した末に、ようやく光の壁の中へ身を沈ませ、異世界を後にした。



 ヴィアンテが言わんとした不殺の戒めのグレーゾーン。



 彼女の口からは実はまだその真意の半分も説明されていなかったのだが、その事が今後の大局を左右するとはまだ誰も知る由もなかった。

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