第43話 墓穴を掘る者、埋める者
一週間は短いようで長かった。
国の先行きに頭を抱えるヴィアンテの事、命の危険に曝されているハンナの事、騎士達の安否など、幾つもの不安要素が平和な日常を楽観視する隙を与えなかったのだ。
エデンはもともと未来予知を目的に作られた巨大VR機で、必然的にVRサイドの早回し機能が付いており、時間停止も可能であった事を綾斗は思い出し、エソラに次回ログインするまで一時停止することはできないのかと問い詰めた。
しかし、早回しや時間停止はあくまで大統一理論を元にコンピューターが弾き出しているシミュレーションに過ぎず、実際にはVRサイドにもリアルタイムと言う概念が存在しているというのだ。
つまりは早回し等はできるが、それはこれからVR内で起こる事のあくまで予想であり、VR世界にとってのリアルでは無いと言う何ともややこしい話。
さらに言えば、異世界の様子は外部からは観測できないため、シュミレーションによる未来予測を見た上で、現在進行の異世界での振る舞いを変えるというチートも不可能になっている。
――決して楽をしたいわけじゃないが……。俺たちが彼らにとっての神ならばそれぐらいできてもいいのではないかと思えてしまう。
「さあ、着いたわよ」
考え事をしている間に天空城の最上階へと到達していた。
時刻は午前6時過ぎ。まだ昇って間もない朝日がひんやりとした空気に射して温かく胸に染む。
今回は寄り道せずにアドベント後、直通でオートレデンを訪れた。
アドベントした時のスタート地点は必ず西の果てという不便さで、エソラが居なければオートレデンに辿り着くことさえ容易ではない。
「ヴィヴィは……居ないみたいだな」
毎日のお祈りの習慣を健気に守る彼女に合わせてこの時間に訪れたのに。
豊かな表情で胸に飛び込んでくる姿を想像していた綾斗は、胸にしまっていた熱を吐き出すように肩を落とした。
「随分と残念そうね」
「まあな」
隠す事もなく素直にそう答えてしまった自分に綾斗自身驚く。
――どうして俺は……。
と自問自答した時既に答えは出ていた。走馬燈の様に蘇る記憶。
初めてヴィアンテと出会った時の事。
余りの包容力に耐え切れず、彼女の胸の中で涙を流してしまったのだ。
心臓病の発作の様に、突然襲ってきた感情に突き動かされての行動だったため、現実感が無く、脳が幻覚か何かだと勘違いしていたようで。
無意識に閉じ込めていたそれが一気に噴出するように、胸の中に熱い感情が染み渡る。
「分かっていると思うけど彼女は現実には存在しない、仮想現実の中だけの存在なのよ? あまり思い入れるのは良くないと思うわ」
「思い入れ? ただ安否を心配しているだけだ。ヴィヴィはプロジェクトの要だろ? 特別な感情は……ない」
そう言い切った瞬間に、胸に突き刺さる痛み。表情に出さないようにあくまで毅然とした態度で振る舞う。
「……なら、いいのだけど」
顔を背けてエソラは下唇を噛んだ。
心に痛みを感じたのはエソラもまた同様だった。
仮想現実とはいえ、この世界に生きる人々はAIのようなプログラミングされた物とは次元が違う。
その事は綾斗よりログイン時間が長いエソラの方が良く分かっていたはずなのに。
朝の爽やかさとは対照的な沈んだ空気にふっと柔らかな風が吹いた。
「お二人ともやはりここにいらしていたのですね」
どこからともなく現れたのはヴィアンテ。
外出用なのか裾の短い細身のドレスに耐寒素材のマントを羽織っていた。
いつもより強調されたボディラインと胸の谷間に一瞬眼を奪われる。
「何処かに出かけていたのか?」
「はい。少し問題がありまして、現地調査に」
「王族であるあなたが直々に現地を訪れるなんて、何か国の存亡に関わる事かしら?」
「原因が分かっていない事もあり、民の間に強い不安がっていましたので少しでも励ます事ができればと。それに自分の目で直接見た方が、お二人にも伝えやすいかと思いまして」
「そう。それでその問題は何なの?」
「順を追って説明します。最初の事例は三日前……」
それからヴィアンテは淡々と語り始めた。
◇◇◇
三日前の夕頃、中心地に近いある母子家庭の女児が手足の痺れを訴え病院に運ばれた。
診療に当たった治癒術士はその症状から麻痺性毒が原因であると診断したのだが……。
神経毒は量を間違えれば心停止を起こし、対象は死亡する危険性があり、不殺の戒めに反するため、その動機に関わらず、他害はまずありえない。
そうなると少女が誤って毒を摂取したという可能性が浮かぶわけだが、神経毒は基本的にモンスターの毒針や毒液に含まれる物で、それがおいそれと街中に、それも一般家庭内に転がっているとは考えにくい。
しかし彼らがそうやって頭を悩ませている間にも異変は着実に進んでいた。
翌日の未明にかけて同様に手足の痺れを訴える人々が次々に病院に押し掛けたのだ。
患者はいずれも戦場とは無縁な一般市民。しかもオートレデン内の各地区で同時発生し、最寄りの医療機関のベッドはパンク寸前。緊急措置として治癒術士が患者宅を順番に訪れる回診体制で難を逃れたという。
◇◇◇
「それだけ聞くと神経ガスによるテロのようだけど。不殺の戒めがある以上、それはあり得ない事なのよね?」
「はい、善良な民が不殺の戒めを破る事は絶対に」
力強くまっすぐなヴィアンテの視線。
「大した自信ね。でも、もう少し客観的に考察する必要があるわ。各地域ごとの患者のリストはあるかしら?」
「今も患者は増え続けているため、最新のものではありませんが……」
そう言いながら、各医療機関から収集してきた患者一覧を懐から取り出し、エソラに渡す。
綾斗もその資料を脇から覗き込んだ。
資料と言っても患者の氏名と年齢、性別が羅列してあるだけの簡単なメモ書きのようなもの。
それをエソラは斜め読みの要領で上から下へと視線を動かして行った。
時間にして十数秒ほどで、
「なるほど……確かに神経ガスの類ではなさそうね」
と断言した。
「なぜそんな事が分かる?」
綾斗が抱いた疑問はヴィアンテも同様で、「わたしも分かりません」と言いたげに首をブンブンと横に振った。
「患者の氏名と住所それからオートレデンの地図から、患者の発生分布を頭の中で再構成したのよ」
二人は口をぽかんと開けたまま数秒間固まった。
「全部……記憶していたのか?」
「ええ、人員の再配置を行う時に。まあ、ことのついでというやつね」
綾斗は「はは……」と頬を引きつらせる。
――ついででできるような芸当じゃない。
ヴィアンテを見るとまだ理解が追いついていないようで固まったまま視線を泳がせていた。
「あ……あの、えーと……」
それを見かねた綾斗は補足する。
「エソラには完全記憶能力がある。一度見たものは忘れないんだ。そして普通なら患者の名前と住所のリスト、それに市街地の地図を並べて、一人ずつマッピングしながら行う気の遠くなる作業を頭の中だけで完結させたんだ」
自分で言っておいて、耳を疑う内容。ヴィアンテは口をパクパクさせながらなんとか噛み砕こうとしている。
「大体の説明は合っているけれど、対象を記憶しようという意志が無いと流石の私も完璧には覚えられないわ」
ひとり会話に付いて来れていないヴィアンテを見かねエソラは、さらに、
「もし、理解できないのならこう思ってもらって結構よ。神は全知全能。故に私も全てを知っていて当然」
――いや、それはいくら何でも誇張表現だろ。
そう突っ込もうと綾斗は思ったが、ヴィアンテが妙に納得していたので、もう訂正するのも面倒になって静かに閉口した。
「それで、その全知全能の神様とやらには事の真相が見えているんだろうな?」
「勿論よ」
高慢な神を鎮めようと放った皮肉に、まさかの返答。
「原因はどの家庭にもありふれたもの――飲料水よ」
ヴィアンテは疑う事を知らない子供のような顔で「なるほどっ!」と声を上げたが、信仰心ゼロの綾斗は納得しない。
「どうして水だと言い切れる? 市民が口に入れるものなら他にもあるだろう?」
それが何とは断定できないが、例えばパンの原料である小麦が収穫前にモンスターの毒に侵された、と言った可能性もあるのではないか。
しかし、エソラの表情は微動だにしなかった。
「被害者は一般市民だけで、騎士が含まれないのは何故だと思う? ついでに言えばヴィアンテも発症していない……と綾斗くんに聞いても無駄だったわ。綾斗くんは神の例外だから」
エソラから皮肉のカウンターブロウを喰らうも、――現実世界ではお前の方がマイノリティだ! と心の中で牽制。
しかし間髪入れず、渾身の右ストレートが放たれる。
「ああっ! なるほど!」
とすっきりした顔で同意を示すヴィアンテ。
「ヴィヴィ……まさかお前まで俺をバカにしていたのか⁉」
綾斗はノックダウン寸前のところで、ふらつきながら今わの際の捨て台詞を吐いた。
「あっ! いえ、その、あの、別に綾斗が神様の例外と言うところに共感したわけではなくてですね……」
ヴィアンテはワタワタしながら両手を振って必死に否定すると、エソラに向けて、
「水の供給元の違い……ですね?」
と問い掛けた。
「供給元の違い?」
「はい。実はこの首都では水の供給元は二つあります。一つはこの天空城が大気中の水蒸気――つまり雲を集めて作った蒸留水。もう一つは始祖山の中腹にある真水の湖です」
その情報をもってやっと綾斗にも理解が追いつく。
「なるほど……王族と騎士達が使用する水は蒸留水で、その他の市民が使用する水が湖水という訳か」
「その通りです! つまり湖水がモンスターによる何らかの汚染を受けたという事ですよね、エソラ様?」
折角の答え合わせだと言うのに一瞬変な間が開いて、
「そう……かも知れないわね」
と煮え切らない解答。
「……まあ、とにかく原因が分かったのだから対策は簡単。市民達にも蒸留水を使わせてあげればいいのよ。古いしきたりにこだわってる場合じゃないわ」
「そうですね。原因を断つことができればゆっくりとですが毒素は抜けて、後遺症が残る事も無いでしょう」
ヴィアンテは頷き、そう答えた。
それで一件落着すればよかったのだが――。
綾斗はエソラの見せた僅かな焦りに違和感を感じて、ヴィアンテに問う。
「被害者たちが飲んだ湖水はいつ採取したものなんだ?」
「あれは……そうです、ちょうどお二人がこちらに要らした日です。騎士達にフライングビークルで定期的に運ばせていますので」
――日付、湖水、毒……何かあと一つ揃えばパズルが完成しそうな……。
綾斗の頭の奥でカチリと音が響く。
――……そうか、そう言う事か。
「エソラ。お前の素晴らしい記憶能力をぜひ貸して貰いたいんだが、神経毒を持つモンスターに心当たりはないか? 例えば黄色い目が八つあって足が十二本ある蜘蛛みたいな……」
エソラの額に一筋の汗がたらりと流れた時、
「それはもしかしてスパイク・スパイダーの事では無いでしょうか? 頬の内側の袋に毒液を貯め込み、口から吐き出すと記憶しています」
とヴィアンテが正直に答えた。
「……そうか、これは奇妙な偶然だな」
目を合わせようとしないエソラの様子から綾斗は確信に至った。
――一週間前、俺とエソラが真水の湖で対峙したモンスターの名はスパイク・スパイダー。エソラ自身がそう言っていたのを記憶している。そしてそのモンスターをエソラは倒した。毒袋を含む頭部を派手に吹き飛ばして。
――物的証拠は無い。だが状況から考えて、さらに言えばエソラの態度から鑑みてもこれは明かだ。
「まさか、原因に思い当る事があるのですか?」
少女の心臓がドクンと跳ねた。
「……いや。すまない、俺の気のせいだ」
綾斗はこの事件の犯人を告発する事も出来たが、敢えてそうしなかった。
神の気まぐれの所為で善良な民達が苦しんだなど、冗談でも言えない。
それにエソラには助けてもらった借りもある。それを返す気持ちで事実を黙殺する道を選んだのだ。
「俺に何かできる事があったら何でも言ってくれ」
「俺たち……でしょ。勿論私も……全身全霊で協力するわ」
こうして二度目の訪問は事態の収束に充てられて終わったのだった。
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