第36話 リザレクション

 ファロムの案内で着いたのはレンガ造りの骨格を石膏でコーティングしたような白一色の建物。赤十字の代わりに巨大な十字の剣が高々と掲げられている。

 病院は三階建てで一階は急性期の患者、二階は回復期、三階はリハビリ期の患者が収容されていた。


 共鳴術士の中でも治癒系の術に特化した治癒術士が治療にあたり、特に急性期の治療にあたる者をアキューター、慢性期の治療にあたる者をクロニカ―と呼ぶ。


「彼がこの病院の責任者、アキューターのチャールズ」

「お初にお目にかかります、綾斗様、エソラ様。当院へご足労頂き大変光栄に思います」


 ファロムに紹介されたのはネイビーブルーのローブを纏った三十代ぐらいの聡明な顔つきの男性。胸に所属と役職と名前が記入されたバッジプレートを据えている。

 一階の玄関ホールには他にも似た服装の亜人が忙しそうに行き来していた。ネイビーブルーがアキューターを示すカラーという訳だ。


「現在、新患の搬入はありませんが、状態が思わしくない患者が数名、まだ急性期を脱せずにいます」

「じゃあ、そこに案内してくれるかしら。もちろん、本人達の許可が得られればだけど」

「お心遣い感謝いたします」


 急性期の病室は個室ではなく、全十床のベッドを白のカーテンで仕切っただけのもの。オープンな感じが野戦病院らしいが、これは数少ない治癒術士を最大限活用するためには効率的だ。

 各ベッドにはモニターこそ無いが点滴台が設置されており、雰囲気としては現実世界のそれに近い。


 左右に五床ずつ並んだベッドの内、手前の八床は空いていた。

 チャールズはまず最奥の左手側のベッドへと三人を案内する。


「ジョルジさん。入りますね」

「……はい」


 弱弱しい男の声が帰ってくると、チャールズは仕切りを開いた。

 ベッドに横たわるのは五十代前半くらいの男性。体中に包帯を巻いている。虚空を見つめるような焦点の合わない目線で、まだ意識が混濁してる様子だった。

 覚悟していた事だが、ここもある種のリアルな戦場なのだと改めて自覚する。


「彼は三日前に全身の打撲と右大腿骨および上腕骨骨折、それに出血が酷く、止血は出来たのですが余りに多くの血を失ったため、まだ意識がはっきりと戻らないのです」


「輸血は出来ないのかしら?」


「輸血……というのは他人の血液を血管を通して分け与える行為であっていますか?」


「ええ。でもその様子だと輸血はタブーという事ね」


「……はい。大昔の文献で見た事がありますが、患者が死亡した例があり、死亡する可能性が高いと分かっていて輸血を行うのは不殺の戒めに反するためできないのです」


 死亡例とは血液型不適合や重症のアレルギー反応などの副作用で命を落とす患者の事を言っていた。この世界では血液型の概念どころか採血検査という技術が存在しないため、安全性が確保出来ないのだ。


「じゃあ、今彼に施している治療は?」


「残念ながら、点滴と共鳴術による除痛や組織の再生促進だけです。これらの治療は本来であれば回復期に当たるのですが、上が満床のため、こちらで診ているのです」


「もし急性期病棟まで満床になったらどうするの?」


「回復期以降の患者は都市中央に位置する大病院へ転院となります。ただ、病院を利用するのは負傷した騎士だけではありません。今はまだ施設の損傷や人手不足で受け入れが滞っているのが現状です」

 

 チャールズは虚ろな目をした騎士に優しく声を掛けると、今度は反対側のベッドへと三人を案内した。


「ハンナさん。入りますね」


 しかし、返事はなかった。

 チャールズは悲しそうに目を細めたが、決意したようにカーテンを開いた。


 安らかな顔で眠るのは二十代後半くらいの女性。栗色の髪は日々丁寧に梳かれているためか艶めいている。

 頭元のローテーブルの花瓶には一輪挿しのユリの花。可憐だがどこか儚いその姿が、ベッドで眠る美しい彼女に重なるようだった。


「ハンナさんはもう一週間も昏睡状態が続いています。外傷はひどく無いのですが、モンスターに毒針を複数個所刺されてしまって……」


 チャールズは悔しさを滲ませるように、声のトーンを落とした。


「情報提供してくれるのはありがたいのだけど、本人の了承なしに個人情報を得てしまってもいいのかしら?」


「それは大丈夫です。本人に意思決定の能力が無い場合、家族の意志が尊重されますので」


 チャールズはベッドで眠る女性に温かな視線を送り、瞑目すると小さく頭を下げた。

 綾斗にはそれが「すまない」と言っている様な気がして、ある事に気がつく。


「チャールズさん。まさかあなたは――」


「……そうです。ハンナさんは私の妻なのです」


 チャールズは神に祈るように右手を胸に当て、語り続けた。


「ハンナさんの受けた毒は麻痺性の神経毒で、まだ四肢を動かす事ができません。そして最も厄介なのが、心臓に及ぼす影響で、心臓麻痺までは至っていませんが、不整脈と血圧的低下が持続していて、意識が戻らない危険な状態なのです」


「そんな……、何か治療法は……」

「私にできる事は毒素が体から排出されるのを待つだけです。それまでハンナさんの体がもってくれるかどうかは、誰にも……。ただ――」


 チャールズは吐露したい気持ちを堪える様に口を引き結んだ。

 それを見かねた綾斗が、何か助ける方法があるなら、と言おうとした時、エソラが先に答えに行きついた。


「ハンナさんを救う方法、それは――リザレクションね?」


 チャールズは申し訳なさそうに頷いた。


 リザレクション――。

 それは綾斗だけが使える固有術――マスターアームで心臓の鼓動を増強し、瀕死の状態から急速に身体を回復させるかつては失われていた秘術。

 以前、ファロムが共鳴術の過剰使用によりブラドーシュ――血糖の欠乏を起こし、心停止寸前、追い込まれた綾斗が偶然に再興させたものだ。


「綾斗のリザレクションならきっと元気になる! 私が保障する!」


 とファロムは主張する。

 だが、あの時とは条件が違う。


「確かにリザレクションを使えれば助けられるかもしれない。だが、ハンナさんのベースを増強するためにはハンナさん自身がエスを満たす必要がある」


 そう、ファロムの場合、まだかすかに意識が残っている状態で、さらにファロムのエス『快楽』は外的に誘発させ得るものだったから発動できたのだ。

 対してハンナさんは意識が無く、エスを満たす事は不可能。しかしエソラは諦めていなかった。


「可能性はゼロじゃないわ。綾斗くんが真のリザレクションを発動できればね」


「真のリザレクション?」


「それは私が説明しましょう。リザレクションは失われた秘術でしたが、古代の症例の記録事体は残っていまして、それによりますと『意識の無い状態の患者をも蘇生できた』と記されているのです」


「これは私の予想だけど、綾斗くんがよりエスを充実させることができれば、サイトヴィジョンでエスを満たしていない対象の鼓動を視認できるんじゃないかしら」


 つまりエソラが言いたいことはこうだ。


 綾斗が使用できるサイトヴィジョンは励起された力の媒介粒子――共鳴素子『フィブリル』を視認すると言うもの。だが、よりエスを充実させることにより、励起されていない媒介粒子が視認できれば、それに同調し増強する事は可能なのではないか。


「――試してみる価値はあるな」


 

 そして臨床実験の舞台が整った。

 左手には昏睡状態のハンナ。そして仕切りを取り去った右手のベッドにはファロムが腰かけている。


 なぜ、ファロムまでスタンバイしているかと言うと、『閾値いきちが分からない事象を捉えようとするよりも、既に実証されている現象の延長と捉えた方が成功の確率が上がるわ』とのエソラに助言によるものだ。

 これはつまり、まずファロムがエスを満たした状態で綾斗がサイトヴィジョンによりベースを視認し、それがよりはっきり見える状態まで綾斗のエスを充実させてからハンナの鼓動を見ようとした方が遠回りに見えて効率的だという事だ。


 これに綾斗も賛成し、現在の状況となったわけだが……。

 ローブだけでなく、当たり前のように下着を外しにかかる幼女。


「おい、ファロム。裸にならなくていいからな⁉」


 するとファロムは物欲しそうな上目づかいで、


「あの時は、綾斗から……」


 それに続く言葉を綾斗は不自然な咳払いで誤魔化し、


「さあ、取り掛かろうか!」


 と張り切って見せるが、エソラを騙せるはずも無く、


「『あの時』の事、後でゆっくり聞かせてもらおうかしら」


 と狂気じみた笑顔が彼女の顔に刻まれた。


 ――絶対後で変態とかロリコンとか蔑まれるな……。


 と半ばあきらめに似た境地で綾斗は顔を引きつらせた。



 気を取り直して、エソラとチャールズが見守る中、実験を開始する。

 まずは横たわるファロムの胸部――心臓の位置を注視する。

 そしてゆっくりと息を吐くたびに深く深く、落とし込むように冷徹さの中へ心を沈ませていく。


 するとその現象は直ぐに確認できた。


 ファロムが自発的にエスを満たしていた事もあるのだろう、彼女の鼓動に合わせてドーム状に光が放たれていく。だが、勿論その範囲はごく狭いもので、下着の上からギリギリ確認できるという程度。


 これをさらに深く深く、冷徹さの深淵を覗き込むように……。


 綾斗はかつてないほどに集中していた。


 この時、ファロムはエスを満たすため、綾斗とのいかがわしい絡み合いを想像し、息荒く顔をとろけさせていたのだが、そんな事が全く気にならない程に、綾斗は鼓動を観測する事だけに専念していた。


 その結果、ファロムのベースはその光度を増し、綾斗の瞳によりはっきりと蛍光色が映った。


「次はハンナさんの鼓動を……」


 誘導するエソラに頷き返し、綾斗は白ユリの傍で眠る女性に視線を移した。だが――。


 ――これでも見えないのか……。


 あれこれ粘ってい見たものの結局ファロムのベースしか観測できず、焦れば焦るほど、冷徹さからはかけ離れていく。


 綾斗はふっと目を閉じた。


「……駄目だ。視えない。……チャールズさん、すみません」


「謝らないでください。無理を承知でお願いしたのですから。それに、治癒術士でありながら私の家族にだけ特別扱いをしようとした報いかもしれません……」


 それはチャールズが自身に向けた皮肉だった。綾斗もそれは分かっていて、何か否定の言葉をかけるべきだと思ったが、上手く言葉が出ない。ただ、目覚める気配の無いハンナに向けて、「すみません」と心の中で何度も謝る事しかできなかった。

 


 少し気持が落ち着いたチャールズは温かさを確かめる様にハンナの手をとり、こう言った。


「できる事は少ないですが、それでも妻の事は私が全力で治療にあたります。なので、お二人は心配なさらないでください。この国のためにお二人が活躍される事を私は……私とハンナは心から願っています」


 その瞬間、彼の言葉は二人の心に深く刻み付けられた。無力さを嘆いている時間は無いと彼の心が訴えている様に思えたのだ。

 綾斗とエソラは黙ったまま深く首肯し、自分達に出来る事に全力を尽くすのだとその目線で確かめ合った。

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