第35話 天国に近い戦場
外壁はどの方角も同様に崩れ落ちているのだが、東の方がモンスターの出現率が高い。
恐らく、魔女侵攻の際に強力無慈悲なサーヴァントが西に向かって進軍したため、それに伴いモンスター達の生息域は東側に追いやられたのだろう。
移動手段として転移術ではなく、列車を利用したのは力の温存が目的。いざとなればエソラ自ら戦おうというのだ。
――まあ、それについては騎士達の負担が減ってよい事なのだが……。
「一気に百体ぐらい出現しないかしら」
いつにもまして顎高く、息荒く踏ん反り返っていらっしゃる。
「お前、モンスターに八つ当たりするつもりだろ……」
エソラの怒りの原因は寝起きにある。
キングサイズのベッドで抱き合うように眠っていたエソラとヴィアンテはあろうことか同時に眼を覚ました。
はじめの数秒間は鏡でも覗き込むようにとろんとした目で見つめ合っていたが、次の瞬間には嫌悪感を露わにして磁石が反発する様に左右に飛び退った。
綾斗から見てエソラの方が明らかに不機嫌そうだった。
――密着した時にあれが触れたんだろうな……。
と綾斗は察したがそれは決して口には出さなかった。
「跡形も無く消し去ってやるわ」
「頼むから人は絶対巻き込むなよ……」
「分かってるわ。そんなことしたら、魔女の再来でこの国は今度こそ終焉を迎えるでしょうね。ふふふ」
――分かってるならその怖い笑い方をやめろ。人目を引かないようにするために、敢えてフード付きマントで身分を隠しているというのに。
乗客たちの不審者を見る目線が痛く突き刺さった。
「もう着くころね」
言われて車窓から外を眺めると、軒を連ねるレンガ造りの民家の向こうに頽れた外壁が見えた。
この列車は都市の中心たる天空の塔から東西南北に真っすぐ伸びる車線の内の一つを走る。オートレデンは半径約十四キロメートルの正円内が支配領域で、表面積は東京二十三区とほぼ同じ。
中心部から外壁まで停車時間を含めて二十五分ほどで到着。
綾斗は車両を降りて東へと視線をやる。
瞬間、天国へと続く列車に乗っていたのではないか、と錯覚し目を見開いた。
外周壁の際まで整然と並んだ石畳は外壁を超えると青々とした芝に埋もれ、遠くへ行くほど徐々にその背丈を伸ばす。
そしてその向こうには宇宙の彼方までただただ果てしなく続く光の壁。
この壁の向こう側にいったい神の国以外の何があろうか、と自問してしまいそうな光景だった。
「きれい……。彼らがここに首都を築いた理由を教えてくれているみたいね」
「ああ、全くだ」
エソラはすっかり機嫌を直した様子で、奇跡を見たように眼を輝かせていた。
「綾斗ーッ!」
可愛らしくもどこか感情が抜けたような声。
まさかとは思ったが、声が聞こえた方向――頭上を見上げた。
「ファロムッ⁉」
豊かな
それが空から降って来たのだ。
綾斗は反射的に抱き留める。
アクセラを使用していたのだろう、衝撃はそれほどでもなかったが、
「綾斗ッ、綾斗ッ」
幼い声を弾ませながら顔を埋めてくる少女は実は年上なのだが、今はそんな事よりも。
「お前どこから降って来たんだ⁉」
「見張り台。私達第七師団第三部隊はここの管轄」
ファロムはそう言って高く残った外壁の上を指さした。
後から突貫工事で取り付けられたものなのだろう。木材で荒めに組まれた見張り台から数人の騎士達がこちらを見下ろしていた。
綾斗の知らない顔ぶれで年齢も十代後半から四十代とかなりばらつきがある。
「レイド達の顔が見えないが……」
「壁の外側にテントがある。そこで休んでる」
「そうか。……それで、そろそろ離してもらってもいいか?」
しかし、ファロムは余計きつく綾斗を抱きしめた。
「おいっ⁉」
「こうしてると落ち着く。もう少しだけ……」
その様子を冷めた目で見ていたエソラは、
「綾斗くん、子供の相手ばかりしてないで。目的を忘れたの?」
と棘のある言い方をするものだから。
「ファロムは子供じゃない。エソラ様よりお姉さん」
「あら、一介の共鳴術士の分際で神の仕事を妨害するつもりかしら?」
「エソラ、それはいくら何でも大人げなくないか……」
「何を言っているの? 彼女の方が私たちよりも大人なのでしょう?」
――ん? そう……か? 何かもう訳がわからん。
結局、エソラに無理やり引っぺがされたファロムはしぶしぶと言った態度で、二人をテントまで案内してくれた。
テントはロッジ型の大型テントで十人まで寝泊まりできるようなスペースを有する。
簡易式のトイレとお風呂も完備されていて、ベッドも小さいがちゃんと個人用に一つずつ用意されていた。このテントが外周に沿っていくつも点在しているいう訳だ。
テントの手前まで差し掛かった綾斗達。すると中から聞き覚えのある声。談笑しているようだ。男女分かれているのだろう、拾えるのは男たちの笑い声だけだ。
――なんだ、思ったよりも余裕があるみたいだな。
「綾斗とエソラ様が来てるけど……」
テントの外からの声掛けに突然凍り付いたように男たちの声が止む。
そして雪崩のように、テントから一斉に飛び出してくる軽装の騎士達。
「よう綾斗、おひさ! 元気してたか?」
群を抜き先頭に立っていたのは短髪のハルバート使いジャスティン。
「だから、お前は打ち解けすぎだろ!」
続いて飛び出して来て、黄色の頭にキレのある突っ込みを入れるのは、燃えるような赤髪ウルフポニーテール。片手剣使いのレイドだ。
さらにぞろぞろと出て来た騎士達から矢継ぎ早に自己紹介と最敬礼を頂き、猛々しい勢いに押されがちになりながらも「あ……ああ、よろしく」と返す。
エソラはあまり興味が無いのか、無口なままで不愛想に腕を組んでいるものだから、仕方なく綾斗が話を切り出した。
「モンスターが多くて大変だと聞いてたが、思っていたよりも元気そうだな」
「ヴィアンテ様が交代勤務制を導入して下さったので、疲労はあまり溜まっていません」
レイドが代表して答えた。
「ただ……モンスターに苦戦を強いられる事もあり、負傷者が……」
そう言って赤髪の青年は歯を食いしばった。他の騎士達も一様に暗い表情を浮かべている。
――そう言えばまだ彼の姿を見ていない。
「グレゴーリは?」
「彼は――」
それに続く言葉を想像し息を飲んだ。が、
「こ、こ……こんに……こんにちは……」
蚊の鳴くようなどもった声を拾った綾斗はテントへと視線を投げる。
重力に従いすっと垂れる美しいスカイブルーの長髪。ただ顔は半分も見えていない。
シールドアックス使いの美少年グレゴーリが、テントの入り口からこっそりと覗き込むように顔を出していた。
――なんだ、元気そうじゃないか。
綾斗は安堵の溜息を吐いて手を振ると、ハワッとした表情をしてヒュンッと引っ込んで行ってしまった。
圧倒的なパーソナルスペースの広さは健在らしい。
「……あの通り、グレゴーリは肩の傷も治癒していつも通りにやってます」
「それはよかった。それで、負傷者というのは?」
レイドは防壁の方を指さして、
「東西南北の外壁よりにそれぞれ一つずつ野戦病院がありますが、東側の部隊だけでもこの一か月で重傷者が四十一人搬送されています。中には二度と復帰できない者も……」
それを聞いたエソラは綾斗にだけ聞こえるように呟いた。
「まずいわね。東地区に配備されている騎士の数は全部で二千五十六人だから、たった一か月で戦力の約二パーセントが削られた事になるわ。人員の補充は出来ないから、時間が経てば経つほど戦力的に不利。このペースだと一年も持たず防壁が突破されてしまうかもしれないわ」
騎士達の不安を煽らない様にとの配慮であることは明らかで、綾斗は黙って頷き同意を示した。
それを確認すると、エソラはレイドに向けて提案。
「その野戦病院だけど、一度視察しておいた方が良さそうね。案内を頼めるかしら」
「ウィ、ムッシュ。エソラ様。ただ、自分はここの部隊長なので代わりの者を行かせます。そうですね……」
とレイドが代行者を見繕おうと辺りを見渡す。
すると見て見ぬふりをしたくてもできない程に猛烈にアピールする背の低い影。綾斗とエソラの後ろで手を挙げてぴょんぴょん飛び跳ねている。
――無視したら後でどんな嫌がらせを受けるか……。
しばし逡巡したのち、
「ファロム……でもよろしいでしょうか?」
と進言。
二人の後ろで『良く言った』と親指を立てる少女。
「俺は構わないが……」
と綾斗は目線をエソラへ振ると、
「私も文句は無いわ。何せ人手が足りないのだから。それに戦力外のマスコットキャラを道案内に回すのはすばらしい判断だと思うわ。もし私にその権限があればあなたの階級を上げてもいいくらいにね」
「……あ、ありがとうございま……す」
レイドは二人から――否、ファロムから視線をそらしたまま、苦しそうに答えた。
綾斗が只ならぬ気を感じて後ろをゆっくりと振り向くと、そこには満面の笑みの幼い少女がいた。
「喜んでその任、お受けいたしますー」
普段、笑顔を見せる事はなく、いつも眠たそうなロリ娘。だからか、別人と思えるほどの表情から放たれたその言葉には、忠誠心ではなく恐怖しか感じなかった。
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