第25話 再会は突然に


 ケースが開き自然に目を開ける。


 ログインシークエンスが開始されてから、時間は数分しか経っていないはずだが、夢の中だからなのか、綾斗は眠気をあまり感じなくなっていた。


 全裸の綾斗は再び被検者服に袖を通す。

 エソラも起きたようで隣の個室から物音がした。


 白く透き通ったきめ細かな生足が下着を滑り、掻き揚げた豊かな長髪がふわりと宙を舞う。

 不覚にもエソラの裸を想像してしまった自分を戒める様に静かに首を横に振った。


 玄関の前で待ち合わせ。

 綾斗にやや遅れてエソラが姿を現した。


「お待たせ」

 

 爪先を軽く打ち鳴らし、外履きを馴染なじませた後にそう言ったエソラは綾斗に正面を向けた。


 綾斗達が着用している被検者服はVネックの長袖、長ズボンで白を基調として、シルバーやブルーのラインやタグが施されている近未来的デザイン。素材としては医療者が使用する様なスクラブ生地に近い。

 男女でデザインに微妙に差があり、女性服の方がボディラインが強調きょうちょうされていて、エソラはモデル顔負けのスタイルでとてもうまく着こなしている。

 改めて容姿端麗ようしたんれいだと認めざるを得ない。


 ――胸だけはひんそ……ひかえめだが。


「準備が整ったようだね」


 リアルサイドにいる聡次郎の声が拡声器を通して聞こえてくる。


「アドベントする前にもう一度確認しておくが、予定滞在期間は3日だ。システム上は約半年間連続ログインできるが、こちらからは向こうの状況が一切確認できないから、取りあえずまず向こうの様子を報告するために戻ってきてもらう。その期限を過ぎた場合に何か不都合がある訳では無いが……」


「大丈夫。余計な心配はかけないわ。ちゃんと戻って来るから安心して」


 聡次郎の不安な気持ちを察してエソラが告げた。


「……ああ。それでも、くれぐれも無理はするな。綾斗くん、エソラの事を頼む」


「私の盾となり足となって働いてもらうから覚悟かくごしてね、


 エソラはサディスティックな笑みを浮かべたまま横目で綾斗を見やった。

 確かに名目上、綾斗はエソラのボディガードなのだから完全に間違いとは言えないが釈然しゃくぜんとしない。


 ――はあ……、厄介事に巻き込まれそうな予感がすごい。


 二ヵ月前、エソラが演じた魔女を思い出して躍起やっきがれる。

 それでも綾斗は気を取り直し、東の壁の前へと重たい足を進めた。



 『エデンの東』――。


 そう銘打たれたのは、エソラが手懸てがけた油彩の巨大な絵画。

 当初はプロジェクトの成功を祈念きねんして作成され、東の壁に設置されたのだが、そこにレムの精神が迷い込み、皮肉にもそれがプロジェクトの進行を妨げる事になった。

 しかし、綾斗とエソラがその問題を解決し、結果的にVR内の異世界『エデンの東』が形成されたことによって未来予知への近道が開かれる事になった。

 


「お先にどうぞ」


 エソラにあご先で促され、苛立いらだちを抑えながら更に一歩足を踏み出す。

 この絵の中に入るのは簡単だ。ただ、絵をじっと見つめていればいい。


 ――この感覚は何度味わっても慣れないな……。


 聡次郎やエソラからその現象は確認できない。

 油彩で描かれた空が、砂漠が、まるで腕を伸ばすように視界を埋め尽くす。

 一言で言えば浸食しんしょくする絵画。

 たった一歩足を踏み出せばいいのだが、あまりの不気味さに躊躇ちゅうちょしてしまう。だが、


 ――エソラに臆病者だと罵られるのはまっぴらごめんだ。


 勇気とは呼べない半ばやけくそな感情に背中を押され、綾斗は輝く光の中へ足を踏み出した。


 

 視覚情報よりも先に届いたのは砂地を踏み込み、僅かに沈んだ体の感触と、灼熱しゃくねつの温痛覚。

 ホワイトアウトから抜けると眼前に広がるのは澄み切った青空。そして砂漠の大地の遙か彼方にそびえる舌鋒ぜっぽう――始祖山しそざん

 それから綾斗は確かめる様に後ろを振り返り、ゆっくりと見上げながら感嘆かんたんを漏らした。


 乾いた大地に照り付ける太陽よりもぎらつくのは宇宙の彼方まで続く光の壁。

 光の壁もとい『光の海』はこのレベナル全土を取り囲み、日中問わずその厳かな光を放ち続ける。

 初めて見た時はうごめくような光の圧倒的を不気味とすら感じた綾斗だが、この光が魔女を倒し異世界に平和をもたらしたのだと思うと、何とも言い難い感慨かんがいが湧いた。


「いつまでそこに突っ立っているの?」


 ふと視線を下に降ろすと腕を組んで佇むエソラの姿。

 すさまじい後光を背に受ける彼女は、綾斗の目に神々しく映った。


 この世界の住人達は光の海の向こう側からやって来る者を神だと信じているのだが、


 ――エソラは神様なんかじゃない。みんな……だまされるな。


 と、この世界の住人達に綾斗は切実なる祈りを捧げた。


 瞑目する綾斗を置き去りにしてエソラは先へと進む。

 

「転移は使わないのか?」

「少しデザートコールの様子を伺ってからオートレデンに行きましょう」


「デザートコールまで歩いて行くのか?」

「転移術は結構疲れるのよ。距離にもよるけど一日3回から5回が限度なの」

「へえ、そんなものなのか」


 綾斗は単に相槌あいづちを打っただけだったのだが、エソラはそれを『へえ、その程度か』と受け取ったようで、


「まあ、グラヴィトンのセンスがゼロの綾斗くんには分からないでしょうけど」


 と毒づく。


「……たく。お前はいつも一言余計だ」


 そしてさらに綾斗は、


「……まあ、お前らしいけどな」


 と皮肉を吐いた。

 

 それに対するエソラの反応は無言。


 何か言い返してくるだろうと踏んでいた綾斗はいぶかに彼女の表情を覗き込んだ。

 一見、無表情。

 だが、綾斗にはその微妙な違いが分かってしまった。

 僅かに細めた目。口元にたたえるのは冷笑れいしょう


 ――俺をさげすんでいるのか? ……いや、それとは違う気が――。


 綾斗は唐突とうとつに思考を止めた。

 『ヒューン』という聞き覚えのある落下音が耳朶じだを打ったからだ。


 ――この音はまさか……。


 綾斗はすかさず頭上を見上げた。


 太陽に重なる小さな影。

 それはみるみる大きくなって、直ぐに太陽をさえぎるまでにふくらんだ。


「グオォォオオウ!」


 巨大な両翼りょうよくを広げ急制動を掛けるとともにえ、固まる二人を縦長の瞳でねめつける。

 この世界で最強種のモンスター。


「ドラゴン⁉」


 突然の乱入者に慌てふためく綾斗。


「正確にはフレイムドラゴンよ。古い文献ぶんけんではDragonドラゴン de flammeフラメの名で記述きじゅつされる彼らの生息域は主に砂漠地帯で――」

「いや、お前の記憶力が凄いのは分かったから少しは慌てろよ!」

「どうして?」

「どうしてって……この状況、どう考えてもヤバいだろ」


 前回、ドラゴンに強襲きょうしゅうされた時は、運よくスグリと四人の騎士達に助けてもらった。共鳴術と各々の武器を組み合わせて戦う騎士達は強力だが、それでも四人がかりで撃退げきたいするのがやっとだった。

 辺りをさっと見回したがエソラと二人っきりの事実は変わりない。


 ――誰かスタンバってるなら早く出てきてくれ……。


 というかすかな期待を頭の片隅に追いやりながら、綾斗は呼吸を整えた。


 深い集中状態。


 綾斗の『エス』――冷徹れいてつの条件が満たされ、心臓の鼓動が『ベース』となり、フォトンに干渉。綾斗の瞳は『共鳴素子フィブリル』を映し、蛍光色の光を灯す。


 すっと手を伸ばし掴んだのは地面に照り返した一筋の光。そのフォトンを励起れいきさせ、唱える。


 ――レイ・ストライト!

 

 綾斗の掌から放たれた光の槍はドラゴンの片目を直撃した。

 

 確かに直撃した。


 直撃したはずなのだが――。



 ドラゴンは全く意に介さないと言うように悠然ゆうぜんとホバリングしていた。


 直撃させた左目を見ると熱による変性で眼球は白濁はくだくし、瞼にもやけどの痕が――。

 ある予感からドラゴンの顔から視線を下にずらした綾斗は確信にいたり、こおり付いた。


 ――首の傷。こいつはまさかあの時の……。


 そう、どういう因果いんがか、そのドラゴンは二ヵ月前、綾斗が初めてアドベントした時に襲ってきたドラゴンだったのだ。



 ちょうどその時、ドラゴンの方もいつか取り逃がした得物だと気付いて雄たけびを上げた。


 思い出したのだ。騎士達から受けた痛恨の痛みを。

 長く伸びる様なその咆哮ほうこうには二ヵ月前に受けた屈辱くつじょくと再会を喜ぶ歓喜かんきの色が混じっていた。


「あらあら、どうやら逆効果だったみたいね。次はどうするの?」

「だから、なんでお前は他人事なんだよ! 命の危険は感じないのか⁉」

「私たちは死んでもエデンに戻るだけじゃない」

「いや、そう言う事じゃ無くてだな……」

「ふふ、冗談よ」


 ――こいつはついに人間の感情をも失ってしまったのか?


 とまで綾斗は思うに至ったが、エソラの余裕は別の理由によるものだった。


「さっき、どうして慌てないのかって私に聞いたわよね?」

「そうだが今はそれどころじゃ――」


 エソラは綾斗の言葉をしなやかな右手で遮って、


「だってあんなの――」



「――雑魚じゃない」



 その言葉の意味を知ってか知らずか、怒りを爆発させるように突撃を開始する空の支配者。

 対するエソラは『見てなさい』と言うように目くばせし、綾斗に向けていた右手をドラゴンへと向ける。


「……グラビティ・ランページ」


 その瞬間、空間がめちゃくちゃにかき混ぜられたようにいびつにねじ曲がり、その渦中かちゅうにいたドラゴンは不可視の刃に切り刻まれるように、皮膚ひふを弾けさせ、白い砂地に熱い鮮紅色せんこうしょくのシャワーをまきらした。


 流麗りゅうれいなる式句の余韻よいんえられたのは、モンスターの悲痛な叫び声。


 その悲惨ひさんな光景を見て綾斗は何度も瞬きを繰り返した。


 ――は……? 何だ、このでたらめな強さは。


 死を運んでくるはずの恐怖の対象がもはや不憫ふびんに思えてしまう程の圧倒的強さ。

 その一撃を以て到底とうてい敵わぬ相手と思い知ったドラゴンは素早くUターンを決め、傷ついた翼を必死にはためかせ、虚空こくうへと去っていく。


 ――なんてあわれな。


 思わずモンスターに同情してしまったが、その認識はまだ甘かった。


「この術は疲れるから嫌なのだけど……」


 全力で飛行するドラゴンは既に豆粒ぐらいの大きさになっているにも関わらず詠唱を開始するエソラ。


「……アブリビエイション」


 それは転移術。

 グラヴィトンを励起させ、重力に干渉かんしょう。人が二人通れるぐらいのゲートをドラゴンに向かって形成。続けて、


「……トラップド・ディザスター」


 怪しく赤熱する物体が、流動する黒いまゆの様な物質で包まれたが、エソラの手から解き放たれ、超高速でゲートを通過する。


「当たるのか?」

「少しぐらい外れても大丈夫よ」


 閃光せんこう、爆発。


 ビッグバンを思わせる一瞬の閃きに続き、直径百メートルほどの空間が一瞬にして爆炎に包まれる。


 今度は驚きすぎて瞬きするのも忘れていた。


 空気だけでなく地面をも揺るがす程の衝撃波しょうげきはが駆け抜け、目標はまるで蚊が朽ち果てる様にひゅるひゅると黒煙を上げながら落下していく。


「……やり過ぎじゃないか?」

「生かしておいたらまた誰かを襲うかもしれないでしょ? それを防ぐ力があるのに行使しないのは怠慢たいまんよ」


「いや、それはそうなんだが……」


 壮絶そうぜつなるエソラの戦闘を初めて目の当たりにした綾斗は思った。



 ――俺、らなくないか?

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