第48話 猜疑心


 深みのある群青の髪色は父から受け継いだ物だ。


 物心ついた時、は森の中の小さな家で両親と二人ひっそりと暮らしていた。

 

 家族以外とは極力関係を持たない。

 止む無く接触する場合は素性を偽り亜人として振る舞う。

 そして――、どんな人間も信じ切ってはいけない。


 これが小さい頃から教え込まれた家訓だった。


 幼少時は特に何の抵抗もなく言われた通りに振る舞ったが、年を重ねアイデンティティが確立されるにつれ、他の子供達との差異が明確になり、違和感を覚え始めた。


 ――なぜ僕らはこそこそ生きなければならないの?

 

 それを両親に打ち明けると、彼らは叱りつけるでもなく、隠れ住む事になった経緯を優しく教えてくれた。

 

 しかし、国の内政が絡んだ複雑な事情は子供が一度聞いただけでは理解できる訳もなく。少年の心には国が父と母を追放した事に対する憎しみが強く植え付けられた。

 それでも父は国を責め立てる事はせず、ただ、自分の過ちを悔いる様に、何度も私に語り続けのだ。


 さらに父は自身が持てる共鳴術の知識を余すことなく私に伝えた。


 私は運が良かった。


 私のエスは猜疑心さいぎしん。人を疑い妬む心。


 物心ついた頃から教え込まれた家訓のおかげで、私は七歳の時に共鳴術の発動に成功した。



 ◇◇◇


 そして十八歳の成人を迎えて幾月が過ぎた頃、ある転機が訪れた。


 魔女の侵攻だ。


『魔女率いるサーヴァント達によって首都が崩落した。ここも危ない。今すぐに荷物をまとめて要塞に逃げ込め』


 近くの集落で聞いた話はとても信じられるものではなかった。

 だが、そう訴える騎士の金属鎧はボロボロで、手入れする道具も無かったのか、ひどい軋みを上げていた。


 ――話が本当なら魔女はやはり、不殺の戒めを破った王族、アリシア姫か……。


 そんな事を考えながら、いつもより早足で帰路につく。

 

 ――騒ぎ立てるのは父に相談してからでも遅くはない。


 そう思っていた。


 知らぬものはそれが轍だと認識できないほどの微かな目印を頼りに、うっそうと茂る草木を抜けていく。

 家の場所は家族以外誰も知らない。万が一発見されないように痕跡こんせきも可能な限り排除する。それを常日頃から心がけていた私の眼は、小さな変化を見逃さなかった。


 乱雑に折られた枝木。

 ぬかるみに残された足跡。


 ――明かに人が通った形跡。


 警戒心を強め、息を殺して、草むらを抜けた。


 大樹の陰にひっそりと建てられた素朴な木造りの家。

 ドア手前で父が立ち尽くしていた。


 声を掛けようと近づいた時、生い茂る草の何かが横たわっているの気付き、


「父さん……これは……」


 私は言葉を失った。


 父が虚ろな目で見下ろすのは、軽装鎧の騎士。


「止めようとしたんだ……私は……止めようと……」


 生ぬるい風が吹いて、家のドアがキイィィっと高い音を鳴らしながらゆっくりと開く。

 そこには蹲り、怯える母の姿があった。


「彼は私の言う事をまるで聞かなかった。後ろから呼び掛けても、警告しても、全く……だから私は……」


 ――そんな……嘘だ。


「……殺してしまった」


 父の言葉を聞いた時、胃が捻じ切れそうな強い吐き気がこみ上げ、その場に膝をついた。


 ――こんなの現実ではない。あってはならない。


 侵入者がいると察知した時、サーヴァント襲撃の可能性は考えていた。だが、それはあくまで可能性。首都崩落の一報を、事実として受け入れられていなかったのだ。


 しかし今、私を取り巻く全ての感覚が残酷な事実を突きつけてくる。


 息を詰まらせながらむせび泣く母の声。

 あらぬ方向に捻じれた騎士の首や四肢。

 

 母を襲おうとしたサーヴァントを父が殺したのだ。


 殺害方法は恐らく重力系の共鳴術。空間を捻じ曲げ即死させた。

 

 意外にも冷静に分析を進める自分に驚きながら、ある事に気がついた。


 ――私達、家族は生きている。それだけでいいのではないか?


 人を殺してはならないのは不殺の戒めがあるから。

 しかし、父は茫然自失ぼうぜんじしつだが、自我は保っている。少なくとも母や私を襲おうとする気配はない。


 ――だったら。


「父さん、母さん。今すぐここを離れましょう。これまでと同じ、人目を避けて暮らせばいい。サーヴァントから逃げるのです」


 息子の落ち着いた声を聞いて母は泣き止んだ。


 いい兆候だと思った。


 しかし父は――。


「……あっ、ああああああああああああああああああああああああああ!」


 人の声とは思えない異様な叫びを上げながら、まるで自身の頭を砕かんとする如く抑えつける父。

 憎しみ映した赤い閃光が、その瞳に鈍く灯った。


 悪魔が誕生した瞬間だった。


「殺さなくては……はぁっ、ああああ……殺さ……なくては……」


 私は恐怖の余り動けなかった。

 そんな異常事態においても、私の中の辛うじて冷静な部分が頭の片隅で状況を分析し続ける。

 

 母と私。先に狙われるのはどちらなのか……、と。


 父は足元に転がった――かつては騎士の物だった片手剣を掴むと、母の方をじっと見つめた。


 ――こんな精神状態では共鳴術を発動出来ない。なら、私が父を取り押さえるしかない。だが、その後はどうする? 


 サーヴァントと化した父は、右手に持った剣を左上段へと持ち上げた。


 結局は父を殺すか自分と母が死ぬかの選択だ。

 父を殺した場合、今度は私が悪魔に心を支配されてしまう。そうなれば母は私の手で殺される。


 どの選択をしても家族全員が死ぬ。


 絶望的過ぎる状況に、私はもはや考える事を放棄した。

 何をやっても無駄なら、もう、神に委ねるしかないのだと。


 父が剣を振り出す寸前、


「……逃げろ」


 それは父自身の声。


 彼の刃は、彼自身の首を滑り、切断された頸動脈から熱い血潮が噴き出した。


 父が自害する事。それが唯一の救いの道だったのだ。


 ――父は、こうなる事を分かったうえでサーヴァントを殺害した……。


 そんな思いを直感的に閃かせながら、父が倒れ逝く様を私は静かに眺めていた。



 ◇◇◇


 私と母は父の最後の言葉通り逃げ続けた。


 身を隠して生きるノウハウは他の人間たちに比べて優れていたのだろう。

 サーヴァントの中には知能の高い個体もいたが、ほとんどは殺意に任せて得物を追う獣のようなやつらばかり。

 隠密行動などできない彼らの気配を察知するのは容易。少しでも不安を感じたら西へ西へと移動した。


 そうして森の端についた頃、サーヴァント達の気配を一切感じなくなった。

 不思議に思った私は転移術を使って辺りを調査したが、彼らの姿は見られず、始祖山よりも東側へと撤退したのだと結論付けた。


 ――なぜ彼らは殺戮を止め撤退したのか?


 私の中でその疑問が解消される事は無かったが、とにかく脅威は去ったのだと理解した。



 ◇◇◇



 そして半年が過ぎたある日、身分を隠して立ち寄った集落でこんな噂を耳にした。

 

『神が真の魔女を打ち滅ぼした。もう首都は安全だ』


 私は信じられなかった。だから自分の目で確かめに行くことにした。


 

 すると驚いたことに確かにオートレデンでは復旧作業が進んでいた。


 ――本当に神がお救いになったのか⁉


 真実が知りたくて、再建国記念日とやらの式典に市民に混じって参列。


 そこでヴィアンテ姫の口から発せられた言葉に、大衆は拍手喝采で二人の神と姫を讃え上げた。

 希望を宿したような亜人たちの瞳は、私にはサーヴァントに殺された人々の無念を踏みにじっているように見えた。


 ――なぜ、こいつらはヴィアンテの言う事をこんなに簡単に信じられる⁉


 神と呼ばれる人間は獣耳こそ無い物の、見た目は王族と変わらない、ただの子供だ。


 ヴィアンテとエソラの顔立ちはうり二つ。


 ――そんな奇跡がありうるだろうか?


 例えば、故レベナル王と愛人の間に生まれた不義の子。

 そう考えた方が自然ではないか。


 もう一人の少年は、髪色こそ王家には珍しい黒色だが、それは亜人種との混血を意味するのではないか。

 エソラと言う名の少女のグレーとシルバーのグラデーションという奇異な髪色が何よりもその証拠ではなかろうか。


 ◇◇◇


 猜疑心がエスであったエレンにとって人を疑うのは呼吸をするのと同じくらい自然な事だった。

 さらにエレンは胸の内には疑心だけでは説明のつかない負の感情が芽生えている事に気付く。

 

 それは怒りだ。


 ◇◇◇


 国を壊滅寸前にまで追い込んでおいて、まだ玉座に君臨し続けようとする王族達。

 そんな彼らの妄言を容易く信じてしまえる愚かな民。 



 ――父と母はこんな愚かな連中を救うために国を追われたのか?


 耳に響く亜人たちの歓声が無尽蔵に怒りを刺激する。 


 私は一人、足下に視線を落とし、両手を握りしめた。


 このまま怒りに身を任せて暴れ回りたい。どんな目で見られようが叫びを上げて、神の名を汚す者たちに制裁を加えなければならない。


 そんな暴力的思考がもの凄い勢いで頭の中を浸食していく。



 が、微かに残った冷静な部分がそれをせき止めた。


「そうか……、そうだったのか……」


 天啓を授かったような感覚に脱力し空を仰いだ。

 父が成そうとしたことを真に理解できた気がした。


 ――このままでは国は本当に滅んでしまう。私が国民に疑いの心を取り戻してやらねばならない。


 ◇◇◇


 感情的に振りかざそうとした行為に正義という大義名分がついた瞬間――彼の中に悪意を持たぬ悪魔が生まれた瞬間だった。

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