第二章の5


 美しい夜景。

 JR駅前を流れる田川の河畔。

 遊歩道ができたのは世紀末のころだった。

 そのころ、宇都宮駅ビルのショッピング街は『ラミヤ』と呼ばれていた。地元の 人は愛情をこめて、宇都宮に『ミヤ』というニックネームを付けている。『ミヤ』に『ラ』をつけて、『ラミヤ』――あんなネーミングをするから吸血鬼が集ってきたのだ。ラミヤなんて女吸血鬼じゃないか。ひとの子どもをたべた食人鬼。ラミアの名前をつけたショッピング街に全国から吸血鬼が集合してきたのだ。その経緯が夙川組のQ――疑似吸血鬼たちの侵攻をたやすくした。あのころからすでに彼らをうけいれる準備はととのっていたのだ。

 河畔の遊歩道をそぞろ歩きするものはあまりいない。

 とくに月のでない夜には。

 街の人は知っていたのだ。

 闇に潜む者のいることを。

 そのころからだ。だれが仕掛けたのか。宇都宮が餃子の街となったのは。

 街の人は知っていたのだ。

 闇の一族の存在に気づいていたのだ。ニンニクをきらう闇の一族がタコ焼き屋の味方をするのはあたりまえだ。

 遊歩道に人影がわいた。メコンだ。故郷でひとびとの悲惨な死を見聞きして育ったメコンが、いま吸血鬼の餌食になることを覚悟して河畔をそぞろ歩きしている。 麗子ママのために。

 あんなに、吸血鬼をこわがっていたのに。麗子ママのためになるのなら、ナンデモスル。ママが元気になるのなら、わたし生贄にだってなる。わたしが、ストリートガールだったのを救ってくれた麗子ママだ。あのまま、あんなことをしていたら、生きてはいられなかった。命の恩人の麗子ママのためならなんでもする。死んでもいい覚悟だ。

 河川敷のベンチから竜夫が立ち上がった。

 麗子のためにで戦う。

 吸血鬼を倒さなければ麗子は元のからだにもどらない。

「わたしひとりのほうがいい。吸血鬼おびきよせる餌でいいよ。麗子ママをあんな目にあわせたあいつらがニクイ」

「麗子はどうだった」

「拘束衣を着せられていた。麻酔が切れてあばれたの。身動きできないで……竜夫、竜夫って泣いていた。これがすんだらはやくいってあげてね」

 恋人同士のように歩いた。吸血鬼の存在を信じているメコンと竜夫だ。

 川下から霧が流れてきた。黒い霧が川面を消し遊歩道を覆う。

「これを首にまいて」

「このバンダナ、何……」

「護符がぬいつけてある」

「竜夫さんの匂いする。わたしうれしい」

 メコンが潤んだ目で竜夫を見上げる。

「きたぞ」

 一瞬遅れて夜霧の中にタコ面の吸血鬼が現れた。

 ながい黒のコートをきている。

 メコンがふるえる。むりもない。

 おぞましいタコ面の吸血鬼と正面対決をしてしまったのだ。

 それにしてもおかしい。美女を囮に吸血鬼をおびきだす戦略だった。

 二晩や三晩はかかると覚悟していた。

 これではまるで、こちらが待ち伏せされていたようだ。

 なんという、タイミングのよさだ。

「タコだけ一人できたのか。ターコ」

 竜夫が挑発する。

「アンサンの相手は、わてや。ワテだけで十分だよ」

 どっと、竜夫がこける。竜夫のからだが傾く。

 関西弁を話す吸血鬼など聞いたこともない。

 いや、あるではないか。夙川ビルの駐車場でたたかった――。Qだ。コイツは若頭の本田だ。すっかり、Qとしての擬態? が、吸血鬼の形態がさまになっている。

「Q、やはりキサマか。夜なよな、宇都宮の女の血をすっていたのはQ、キサマとその配下だな」

 ピンポンピンポン。ぴんぽんぴんぽん。

 鳴りものいりで肯定している。

 にぎやかな奴だ。

 おどけたヤツだ。

 ふざけたヤツだ。

 こういう奴が、怖いのだ。にこやかな顔で女の生血を吸う。

「そのトーオーリ。こんどは、おぼえてくれましたね」

 ――おどけている。なんという変貌ぶりだ。あの肉団子のように肥満した男が、筋肉質の吸血鬼に変身している。コイツにはきまった姿がないのか。さいしょにつけた腕はもちろん、胸の傷など癒えている。これでは、リカントロピでも起きたと

しか思えない。感心ばかりもしていられない。

「あまくみられたものだな」

 倶風となって竜夫が吸血鬼に正面飛びげりを仕掛ける。

 Qがばさっと黒いコートをひろげて後ろへ逃れる。

 大きなコウモリが翼を広げて飛んだようだ。いやほんものの翼かもしれない。竜夫の延ばした腕の先、黒のグローブの先から針がとぶのをメコンは見た。

 吸血鬼の黒い両翼がとける。酸でもかけられたようにジュっととけていく。翼につきたった針は銀色にひかっている。

 そして、シャカシャカと竜夫の手にきらめく特大のバタフライナイフも銀色だ。竜夫の体も銀色のオラーをはなっている。

「きさま、ハンターだったのか。宇都宮に吸血鬼ハンターがいるとは聞いていないぞよ」

「へんな日本語を学ぶまえに、古典でも勉強するんだったな。おまえら、夜の一族、鬼族が昔、ここ下野の地、太平山は大中寺に住みつき、里のものを食らっていた」

「それを倒したかのがハンターか」

「古武道、中藤流の中興の祖だ。徳のある僧侶だった」

「わては、藤はきらいだ」

 藤という言葉に吸血鬼がひるんでいる。

 古からの共通記憶がどうやら、あるらしい。

 大中寺の庭で、快庵禅師の藤の禅杖で頭を打ち砕かれた先祖の記憶があるのだろう。吸血鬼の記憶はかれら共有のものだ。ネットワークでつながっているようなものだ。

 吸血鬼は黒のコートを脱ぎすてた。着脱自在のコートなのか、やはり……。銀の針を打ち込まれたコートはジュクジュクと溶解している。

 ブルッと吸血鬼が身震いした。

「春なのにまだ寒むうゴザイマスヨ」

 またおかしな日本語がとびだす。

「そのマスクを外してもらおうか」

 竜夫のサムライに似てきた声の調子。いよいよ竜夫がノッテキタ。

 挑発にのって吸血鬼が襲ってきた。

 シャカ。ナイフが横なぎに吸血鬼の胴をはらう。

 受けたカギヅメは切断された。

 胴から上に翻った銀色の光。

 胸元から青い血がふきだす。

「しんじられない。ワテを傷つけることのできるハンターがいるなんてシンジラレナイ」

 古い流行語を連発して吸血鬼がよろめく。日本語を勉強したらといわれたことをマジで気にしていたのか。

 吸血鬼が飛び退く。

 竜夫のナイフさばきはメグの目にはとまらない。竜夫が手をふるたびに、吸血鬼の体から青い粘液がとびちる。

 ウッと竜夫がふみとどまる。

 じぶんの意思でそうしたわけではなかった。

「かかったな。ワテと戦うなら、夜の一族の得意ワザくらい勉強してくださんしょ」

 ヘンナな日本語で逆襲された。

 青い粘液に竜夫の両足はからめとられていた。粘液は固まると接着剤のようになった。

 犠牲者を石化させるわさ技だ。

 動かすことができない。両足が地面に固定されてしまった。

 さらに痺れるような痛みが脚をはいのぼってくる。

 吐き気を催すような異臭。粘液がじわじわと竜夫の下半身を浸食する。

 強烈な異臭にめまいがする。粘液は痺れをもたらす。動くことが出来ない。

 背後で悲鳴。上半身をねじって竜夫は背後を見た。

 メコンが西のヤクザに襲われていた。群がっている。

 メコンの衣服をはぎとろうとしている。すでに乳房は、タコのような口に吸いつかれている。乳房が犯されていた。

「ヤダァ。竜夫さんなんとかして」

「ワテが、ひとりできたと思いよるのかね」

「こんなのわたしのタイプジャナイ。タイプじゃないよ。ターコ」

 悲鳴をあげつづけるメコン。

 このとき。メコンの首筋に噛みついた男の歯がもげおちた。

 口から煙がふいている。霊験あらたかな大中寺の護符が効能を発揮した。

 バンダナに護符を巻きこみ、ヒソマセテおいたのが功を奏したのだ。

 口から煙をはきつづけている。タコ面の口元がジュと溶けていく。

 メコンを守らなければ。

 麗子のために尽くそうとする異国の少女を守らなければ。

 竜夫はあせった。ねばねばしたものが脚をはいのぼってくる。

 石になったように動けない。吸血鬼の乱杭歯が迫ってくる。眼は赤く光り、害意の照射が竜夫をとらえている。迫ってくる。

 両側に大きく裂けた口からはヨダレがたれている。

 犬歯が伸びて、腐った息が竜夫の顔にかかる。

 竜夫は息もできない。悪臭が鼻孔から入ってきて吐き気がする。

 醜悪な悪意が、殺気が迫ってくるのに、動けない。

 口もきけない。頭がくらくらする。倒れこむ寸前だ。

「メグ参上。北関東「空っ風」のメグ参上。メコンおくれてゴメン」

 パッと光がついた。レデイスの勇姿が光のなかに浮かび上がった。

 全員「必殺」というバンダナをまいている。

 乱闘の場に周囲からバイクのヘッドライトが放射された。

 白昼のように明るい。一瞬にして、ライトは乱闘の場の細部まで照らしだした。

 タコマスクのつきでた口がよく見えた。

 これはちがう。マスクなんかではない。光の中でよく見るとそれがわかる。

 擬態だ。どんなものにでも化けられる。それを見せつけたいという慾望がみえみえだ。竜夫は必死で、最後の力をふりしぼった。

 銀の線をひいてナイフが竜夫の手からとんだ。

「Q、覚悟!」

 ナイフはタコの口に突き立つ。

 グリップまで深く突き立っている。

 グリップがふるえている。

 グリップには銀の十字架が彫られている。

 麗子のためだ。とどめを刺さなければ。

 麗子、いま助けてやる。銀の針を構える。

 竜夫はベルトを外した。銀の針を投げる。

 その二つの動作を一気やった。

 からだが動いたのが不思議だった。

 麗子を救いたい。助けたい。あの血の乾きから解放してやりたい。助けたい。

 メコンを救いたい。麗子のために命をなげだしし報恩しょうとしているメコン。

 メコンの健気さ、そのねがいに励まされて、竜夫の攻撃が可能となった。

 竜夫はおおきく新鮮な空気を吸いこむ。

 Qがタジログ。口臭がとおざかっている。

 下半身をおおっていたベタつくものをすべて竜夫は脱ぎ捨てた。

 下半身スッポンポンになって跳躍した。

 河川敷の広場には外灯をあびて、竜夫の下半身をおおっていた靴からスラックスまでがのこった。立体的なその下半身だけの残像は、まるで竜夫の上半身だけが不意に消えてしまったようで不気味だ。

 メグがレデイスをひきつれて、やっと駈けつけた。

 ライトの軸の包囲にあって吸血鬼の群れがたじろいでいる。

 いまがチャンスだ。

 竜夫は高く跳躍した。

 銀の針が束となって吸血鬼につきたった。たこ面がハリネズミとなった。

 吸血鬼の咆哮。そして逃亡。逃げ足がはやい。

 残念ながら、とどめはさせなかった。

 スラックスを脱ぐときにパンツまで脱いでしまった。

 あらわになった股間で竜夫のモノは……。

「さすがタッチャン」

 とエールが起きた。

 いまどきのレデイスは竜夫のモノから目をそらすようなことはしない。

「竜っちゃん。竜っちゃん。立ってる。ヤバイ」とはやしたてた。

 どこかで羽ばたきの音。コウモリの羽ばたきが遠ざかっていく。

 川風がよみがえった。風が味方してくれた。強烈なニンニクの匂いが風に乗っている。それでアイツの力が弱ったのだ。駅前どおりに宮餃子の支店がいっきに三店舗も開店した。自家製で皮をつくったのだろう。皮屋が拉致されてしまった。コレから当分の間、皮の仕込みにおわれるだろう。営業自粛などしていられない。

 このニオイをたやしたら吸血鬼の夜の行動は活性化する。

 このニオイをたやしたら宇都宮の夜は吸血鬼の世界となる。

 このニオイをたやしたら街は関西ヤクザのはびこる街になる。

 これは裏事情で一般人はなにも知らされていない。西の吸血鬼の侵攻をくいとめるためにも、餃子は作り続けなければならないのだ。

 その英断が、宮の商人魂が濃厚なニンニクのにおいとなった。

 夜風にのって田川の河川敷までただよってきたのだ。

「やったわね。竜ちゃん」

「あいつは、吸血鬼だ。死んだわけではない。あんなのはかすり傷だ。こんどは

もっと強くなって襲ってくる」

「どうしたらいいの」

 メコンとメグが同時に訊く。

「戦うだけだ」

「勝てるの」

「わからない。だがおれは戦い続ける。愛する麗子と愛するこの土地のために。宇都宮、さらに日光県のために。この宇都宮を侵略しようとしているモノには赤い血は流れていない。赤い血を吸うモノたちだ」

 少しキザかなとおもったが、竜夫は淡々と言い放った。

 この土地に長く住みつき、この土地を守ろうとする竜夫たちと、この土地を侵略しようとする悪意が、せめぎ合っている。

 

「ニンニク餃子おごって、竜夫さん」

 レデイスが異口同音。まだはやしている。

 メグがレデイスのジャンバで竜夫の股間をおおった。

 袖の部分を背後にまわしてしばった。

 レデイスのロゴの刺繍のあたりが、まだモッコリしている。


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