第二章の3
3
夙川ビルの地下駐車場にある事務所。駐車場のコンクリートの床から鉄骨階段を八段ほど上ったところにある。麗子をヤクザが昨夜連れこんだ場所だ。メグは駐車場正面のシャッターをガードマンを脅して開けさせた。暗い洞窟の入り口のような駐車場。その淡い光に照らされた傾斜を下る。
メグはダット地下への傾斜を駆け降りた。そして八段ほどこんどは上った。声が辺りにひびいた。
「てめえ、こんなことして、すむとおもうな」
「それは、こっちのセリフよ」
メグのバールが男の脚にたたきこまれた。骨の折れる音がした。
「よくも麗子ママをいたぶってくれたわね」
ばんとドアのガラスを手にしたバールで叩き割る。アイドル系のメグの顔が怒りで真っ赤に興奮している。レデイスもバールを振るって破壊活動に専念する。
だがどうもおかしい。事務所に組員はあまりいない。
だれもこれだけ暴れても出てこない。広い地下駐車場には組員の気配がない。
車の影だけが淡いライトの下で並んでいる。静かすぎる。
するとこのとき、ギギギと錆びた蝶番がきしむような音がして……。
竜夫は麗子を抱いたままシビックの後部座席で待った。遅い。メグたちはどうしたのだ?
時間がかかり過ぎる。
一刻も早く麗子を病院に連れていきたいのに。しかし、メグたちをこのままにしていくはけにはいかない。麗子はぐったりとしたまま荒い呼吸をしている。豊かだった胸がしぼんでしまっている。麗子をこんなふうにしたヤツラも憎い。麗子どうする。どうすればいいのだ。
麗子の肌のはりがないのは昨日たしかめている。麗子は痩せた手で、竜夫の手を握って放そうとしない。
「すぐだ。すぐもどってくるから」
幼子のように頭を横に振る。いやいやした。
麗子も大切だがメグたちのことも心配だ。
メグとメコンは事務所の破壊は仲間にまかせて、がさつなきしみ音のする地下駐車場へもどった。たしかに薄暗い隅のほうで音はしていた。
「注意してよ。メコン。なにか気味悪いよ」
「かびくさいね」
「湿った土の匂いだよ」
メグとメコン。レデイスたちの破壊のすさまじさが竜夫の目をうばった。麗子ママの復讐にメグやメコンたちがいかに燃えているか視認できた。
竜夫の視線の先のレデイスの中には、しかしメグもメコンもいない。レデイスは事務所からでて、階段を駈けおりてくる。駐車場の奥に向かっている。最後のひとりが階段をおりきった。
声をかけたが聞こえなかったらしい。このときふいに彼女たちの進行方向の暗闇で悲鳴が起きた。竜夫は走った。
中古車の陳列会場みたいな地下のパーキング。車の扉が開いた。いやな予感。体温が急激にさがる。
「ここはおかしいよ、もどろう、メコン」
「メグのいうとおりにするのよ」
だが、レデイスはひきかえすことは、できなかった。
白線内に等間隔で並んだ車。
窓に遮光シールで目張りされた廃車まがいのおんぼろ車。
ドアがいましもギギギット少しずつ開いていく。
古典的な軋み音をひびかせて現れた者は、どこといってかわったところのないヤクザだ。スリコミやピアスなどをしていて、チンピラふうではあるが、ふつうの定番どおりのヤクザだ。
竜夫が昨日、相手にした連中もまじっている。
目が赤くひかった。
「なによ。こいつら目が赤いよ」
「これって、映画のSFXなの」
メグもメコンも息をのんだ。沈黙していたレデイスの群れから悲鳴があがった。ジーパンが下ろされた。
あっというまに、車に両手をつかされ背後からつらぬかれている。逆らえない。男の腕力にはかなわない。そんなヤワナなレデイスてばないはずだ。逆らうことのできない暗示にでもかかっているようだ。
禍々しい男根がつっこまれている。瞬時の出来事だ。粘液をこねまわすような淫音がたちまち起きる。
「ちくしょう」
やっとわれにかえったメグが果敢にも男の背にバールをたたきこむ。
ばんとはねかえされる。硬質ゴムのタイアをたたいた感触だ。
レデイスから悲鳴がつづく。同じように犯されている。あまりにもなれ過ぎている。周囲は一瞬にしてHな音とHなうめき声にみたされる。
「なによ、これ? おかしいよ」
「メグ、こいつらキュウケツキだよ」
「メコンちゃんなにいってるの、このゴクドウがバンパイアだっていうの」
両眼がたしかに赤光を放っている。
残虐な感じだ。
ありきたりのヤクザではない。人間ではないのかもしれない。女の犯しかたが敏速すぎる。犯されているレデイスが逆らえないでいる。
普通だったら、こんなに簡単に犯されるレデイスのメンバではない。なにか逆らえないような赤光がヤッラの眼から放射されている。
レデイスはうっとりとしている。吸血鬼にのどに噛みつかれて血を吸われているのに恍惚とした表情をしている――あれと同じことが、いま、ここで起きている。
喘ぎ声さえだして、はやくもよがっている。だからといって、吸血鬼なんて信じられるほうがおかしい。こんなのって、魔術だ。リアルであるわけがない。
恐怖の粟粒がメグの体にふきだした。
肌がひりひりする。恐怖におののいているのだ。だがまだこいつらが吸血鬼だなんて思えない。
「ウソヨ。こいつらバンパイアなの? メコン、そんなこといわれても困るよ」
車のドアがことごとく内側から開かれた。吸血鬼? 群れが無言でメグとメコンに迫る。 万葉のむかしから『下野の防人』として扶桑第一の勇猛さを誇ったものたちの末裔だ。女だからといって、メグはひるむことはない。
「くらえー」絶叫マシンでの悲鳴のようだ。
レデイスの犯されていないメンバーも悲鳴にちかい絶叫を挙げて、仲間を犯している群れにおそいかかる。
「やめろ」
竜夫がこのとき駐車スペースに駆けこんできた。
パイプでなぐってもだめ。ダメージをあたえることができない。いや、確かにゴギっと骨折音はする。殴打された部分は曲がったり陥没したりはする。
だが、瞬く間に回復してしまうのだ。
レデイスにはふつうのヤクザに見えている。
いや、すこしおかしい。そうは感じている。
だが、吸血鬼だなんて、シンジラレナイ。
「でも……吸血鬼なんだ」
竜夫にいわれても、メグは信じられないでいる。
首にパイプをたたきこんだ。
首を傾げたままニヤニヤわらいながら迫ってくる。
あまりに異妖だ。あまりに異常だ。
でも、メコンや竜夫にいうようにこいつらを吸血鬼として認めてしまうのが怖い。気がおかしくなってしまう。
メグは勇気をふるいおこして、パイプをふりかぶった。
逆手をとられた。
乱杭歯がメグの首筋につきささった。
と、いうことはなかった。腕で男の顎をおさえる。
「口が臭うんだよ。このターコ」
メグがわめく。
竜夫の飛びげりがいままさにメグの首筋に噛みつこうという横顔をヒットする。
メグにおさえられていた顎から乱杭歯が飛び散った。
メグにも見えた。コイツラただのヤクザではない。
異形の者。
吸血鬼のような鉤爪。
白く尖った牙。ようなではない。モンスター、吸血鬼そのものだ。
「退くんだ」
レデイスの面々もいうことをきく。
おそいかかってきた吸血鬼の歯牙から必死で逃れる。傾斜の途中に麗子がいた。ゆっくりと降りてくる。
「車にもどるんだ」
竜夫が大声で麗子を叱咤する。
麗子が竜夫を見る。
うつろな目。
「竜夫。あなたが欲しい」
すがるような、悲哀にみちた顔。
青い血の気をうしなった肌の色。
麗子の視線は竜夫の喉を見ている。
「欲しい。竜夫がいますぐ欲しい」
両眼が赤く光る。ニョロっと犬歯が伸びる。白く鋭い犬歯が竜夫の喉を裂く。だれもがそう知覚した。麗子の顔が歪む。乱杭歯が竜夫の喉に突き立った。と、だれもが見た。
つぎの瞬間彼女たちが見たのは……竜夫の掌底が襲いかかってきた、麗子の顔面を軽く支える姿だった。
静止した竜夫と麗子。
「麗子ママ。ママ、噛まれていたのね」
メグとメコンが同時に叫ぶ。
「欲しい、竜夫がほしい」
吸血鬼に噛まれ、その血に支配されようとしているのだ。
吸血鬼の群れが放つ凶悪な波動に麗子が共鳴している。
麗子を苦しませているヤツが憎い。
許せない。竜夫の顔が怒りでひきつる。
ピーと金属音がする。音源は中古車からではない。
棺桶がある。まだ蓋の開いていない棺桶から音はきこえてくる。
車の羅列のさらに奥。墓場の土の臭いが漂ってくる。厚い豪華な彫刻のほどこしてある棺桶からだ。
「麗子をたのむ」
バールをレデイスからうけとる。
おそいかかる吸血鬼をバールでなぎ倒す。
紋章の彫刻。山羊の頭部に吸血鬼の牙と紋章。あそこに真正の吸血鬼がいる。
この棺桶だ。竜夫はバールをこじあける。両手を死者のように組んで……たこの 面をかぶっている。
ふざけたバンパイアだ。面をはがそうとした手をはねかえされた。
凄まじいパワーだ。
「くらえ」
心臓をねらってバールを突き立てた。金属音が止む。杭となってバールが深くバンパイアの胸にくいこむ。心臓からはずれている。それでも、金属音はとだえた。バンパイアたちのうごきも鈍くなった。
「またまた……アイマシタヤンカ。あんさんとは、エンがあるとおもうたんや」
バールをボッテリとした腕をのばして、力づよく握りしめた。ズズズットと抜き放つ動作を平然とやってのけている。
顔色ひとつ変わらない。でも、顔面の肉づきに変化があらわれる。変貌はまず肉が落ちることからはじまった。マルマルとしていた肥満顔から肉がこそげ落ち、狂相となる。吸血鬼にふさわしい顔になっていく。
吸血鬼は、こんな顔ではないかといままで見た、あらいる映像メディアからうけたイメージどおりの顔。
まるで、天才コロッケの早送りものまね顔面模写をみているようだ。こくこくと、かぎりなく吸血鬼の顔になっていく。
「アンタカ」
ようやく、オクレバセナガラ、気がついた。駅のコンコースでクラッシュした捉えどころのない肉の壁男。いや、肉団子ではないか。はじめてこの地下駐車場で乱闘したときの若頭。本田だ。腕の傷など回復している。
駅のコンコースで衝突したときの、気持ちの悪いブワンとした触感。手のひらがおぼえていた。コイツはどんなふうにでも擬態できる。そのつど声の調子までかわってしまう。捉えどころのないヤツだ。
「ソウヤ。そのワテャ。その肉団子や」
こいつこちらの思念をリードできる。
「オモイダシテクレテアリガトサン」
――あまりおもいだしたくはない相手だった。
「そういわんと、ヒトツワテトアソビマヒョウカ」
――まだ、バールはぬけきっていない。
さすがに渋い顔をしている。苦痛が顔にでないだけでも、たいへんな意志力だ。
「Qとでもオボエテヤ」
――なにいっているんだ。キューリのQちゃんか、はたまたシドニーオリンピック金メダリスト、のマラソンランナーの高橋尚子のQちゃんのニックネームを擬したのか。だとしたら、これからの逃走劇はアイツに分があるぞ。どこまでも、おいかけてくる。おいつかれる。噛まれて犠牲者が出る。
「逃げるんだ。早く、全速力でにげるんだ」
――アイツがバールを完全に抜いてからでは遅い。遅すぎる。いますぐ逃げるんだ。
「いまのうちだ、逃げるんだ」
「ごめんね。竜夫。わたしがまんできなかった。また竜夫の血を欲しがったら、わたしを殺していいから」
麗子らしい愛の告白だ。愛する竜夫に迷惑はかけられない。
「おれの血をのみたくなったら、麗子の下の唇におれの白い血を注入してやる」
竜夫らしく、Hなジョークで応えた。
「バァカ」
麗子の頬が紅色に染まる。華やいだ声。艶やかさはまだもどっていないが、いつもの麗子だ。
だが、キーンという音がきこえてきたら大変だ。あの金属音の可聴領域の外に連れ出す必要がある。
――なんとかして、逃げきらなければ。
マスターを消滅させなければ……麗子はもとの麗子にもどれない。
竜夫はさらにシビックのアクセルを踏み込む。
携帯が着信音をかなでる。
「やられた」
野田が興奮している。
「餃子の皮を専門に作っている川村商店の夫婦が拉致された」
皮に睡眠や吐き気を催す薬物が混入されていた。野田からの情報。餃子を包む皮から薬物が検出され。
事件は思わぬ展開をみせた。夫婦は薬物混入の容疑をかけられた。なにものかに先手をうたれた。
薬物はまだ特定されていないが餃子館? のペントハウスにある連盟本部に餃子の販売自粛の連絡が県の保健所から入ったというのだ。
「こちらもとんでもない、発見をした。麗子を蓮見病院に入院させたらすぐに戻る」
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