大麻戦争/宇都宮餃子VS関西タコ焼き 第一章 野田家のキッチンにて
麻屋与志夫
第一章の1 野田家のキッチンにて
1
シンクで食器を洗う音がしていた。清潔ずきの母は草太の出勤前に洗いものをはじめてしまう。汚れた食器をそのままにしておけない性格なのだ。水のはねる音と食器の触れあう音がしていた。
「母さん、いってきます」
母の背に声をかけた。父が玄関まで送ってくれる。
「大阪の住吉にな――」
まだ先ほどの会話をつづけている。
まあいいか。まだ時間はある。父の話しを玄関先で聞くのも親孝行のひとつだ。草太は三日間の有給休暇明け。ひさしぶりの出勤だ。たっぷりと休んだので早く起きた。今朝はまだ出勤までに時間が余っている。父は定年で退職した。関西での話をまだしたいらしい。
「少林寺拳法の「恩田道場」は住吉にあって、そこの先代がここの隣町、鹿沼出身だ。その鹿沼からとんでもない逸材が入門した。それが毎朝新聞の中藤竜夫だと大阪府警の友だちにきいたことがある。草太の知り合いだとはな――。すごい、スグレモノらしいぞ」
「風俗の女にいれあげてしまって、二年も大阪にトバサレテいたのに――」
「いや、そういう奴が、くせものなのだ。草太もはやく女をつくれ。孫の顔をみたい」
と……いつもの口癖、定年で兵庫県警から戻って来た父の言葉を背中できいた。
玄関の引き戸を静かに閉めた。
「あらぁ、草太さん今朝は遅いわね」
「オヤジのグチをきいていたから」
「モカでいいわね」
喫茶店「雷」のカウンター。街のレアな情報をシコム。草太のコーヒーへの偏愛と情報源となっている、毎朝通勤前に顔をだすナジミの場所だ。
木製の分厚いカウンターはキレイに磨かれている。ホコリひとつついていない。この店の古さを物語っているような光沢。
「あら、かわったリストウオッチね」
母とは、宇女高での同級生だというママは、なにかと草太への気配りをしめす。
「オヤジの形見なんだ」
「お父さん元気なのよね。そういうのは形身とはいわないのよ」
いまどきの若者は、言葉の使いかたをしらないのね。あんた、記者でしょう――初老のママがいった。ことばはキツイが、怒っているわけではない。
そういわれてみれば、なにか生涯でいちどというような大手柄をたてた時の、記念品だときかされている。ぼくも、大スクープをとりたい。
草太は、のこっていたコーヒーをのみほした。カップの底にめずらしくよどみがのこっていた。いつもと同じテイスト。べつに、濃かったわけではない。でも、草太はこだわった。いつもとちがう日になるかもしれない。
時計みると、八時。just。まだ十分間に合う。街があわただしく動きだしていた。地下鉄はない。バスだけが交通手段だ。バス停には長い列ができていた。
コンビニで競合紙の栃木新聞の朝刊を買った。シリーズで、風俗嬢の行方不明事件をキャンペーンとしてのせている。でも、今朝はちがっていた。
オリオン通りでレイプ事件があった。昨夕だ。もちろん、被害者の名前はふせて
あった。年齢は明示してある。十六歳。宇女高生。県内一の進学校だ。東大の合格者が毎年でる有名な女子校だ。母や、いまでてきた「雷」のママの出身の校だ。なにかママが言いたそうだったのは、この事件のことだ。
いままさに、その現場、オリオン通り宇都宮各種学校の前まできていた。現場には黄色いテープ―が張られていた。草太は県警の記者クラブ務め。熟知の間柄の大野警部補の顔を認めた。オヤジの後輩なので子どものころからジッコンのあいだがらだ。やさしいオジサンのような知りあいだ。いつものように、ゆるめにネクタイをしめている。ひと目があるので、キュツとしめなおしてやるのは遠慮した。大野が草太の視線にニャッと笑い、ネクタイに手をやった。
「よう。ジュニャ―」
大野のほうから声をかけてくれた。あたりに、ニュースを追いかける仲間の姿はなかった。草太は休暇がおわったのを自覚した。ニュースからまったく離れて過ごしてきた。みんな気をつかって、なんの連絡もしてよこさなかった。テレビも新聞もみなかった。
過去に「電通」の事件があり、労働時間や有給休暇のとりかたが問題となっている。それで、ムリに休まされたようなものだ。
「中藤の竜ちゃんが顔をみせるのは今日からだったかな」
さすがに、よくしっている。情報通だ。もっとも、県警と警察学校の剣道部を竜夫の父が指導しているからだろう。
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