第二章の1

第二章。


「恐れていたことが起こった。危惧していたことが襲いかかった。」

              ヨブ記 三章 二十五節(新共同訳)



 宇都宮はJR駅東口に「餃子の皮に包まれたビーナス」の餃子像がある。

 地元大谷石製の巨大な餃子の背のほうをなでると「彼氏」ができる。合わせ目のほうだと「彼女」。そうした都市伝説がある。待ち合わせ場所としてけっこう人気がある。

「やだぁ、Hなことソウゾウしてたんけ……」

 突然後ろから栃木弁で声をかけられた。合わせ目をさすっていたところを、竜夫はメグに見咎められた。

「すごくイヤらしいさすりかただったよ」 

「そんなこと、なかぺな」

 竜夫も栃木弁。照れている。

 メグは竜夫の手をとる。歩きだす。メグはルンルン。デイト気分だ。

 麗子の『マロニエ』に餃子連盟の東支部が置かれた。メグは電話番の連絡係をボランティアでやっている。

 駅東地区。この周辺に増えつづけるタコ焼き屋の動静を見張るためだ。タコ焼き屋をマークするというよりはその腰抱きをしている関西のヤクザの動きを警戒してのことだ。市場実態調査。「このありのマーケティングサーベイをするためだ」ひらべったくいえば、このあたりを見張るためということになる。竜夫も一応はマスコミ人間だから、横文字を多用する癖がある。メグがなにかとイチャツイテくるのを、英語を使っていなしながら、それでもたのしそうに歩いている。

「あら、メグチャンイラッシァイ」

 メコンがたどたどしい挨拶をする。

「かわったことない?」

「また一軒。タコヤキ屋デキタヨ」

「ゲツ、ホントケヨ」

「餃子会館のすぐソバ」

「気づかなかったな」

 竜夫は会館の六階のウイクリーマンションにとりあえず住んでいる。いまも、そこから歩いてきたのだ。名物のカンピョウ餃子で昼食をすませてきたところだ。ひとと会う約束があるのでニンニク餃子はひかえた。

「まだタコ焼き屋の看板はダシテナイヨ」

「ああそれで、竜チャンも気づかなかったんだ」

 メグがあいづちをいれる。

「ママは? 二階かな」

 メグがぎゅっと竜夫の腕をひねる。

「アイタ」

「会いたくても、あえないネ。二階にいないよ。パセオの地下にお惣菜の買い出し」

 タコ焼き屋の情報を集めるのがメグの仕事だ。

 電話をかけまくっている。

 竜夫はマロニエの裏に止めて置いたパールカラーのシビックをスタートさせた。

郊外の『蓮見病院』に向かう。サラリーに見合うだけの仕事を退社時の5時までは果たさなければならない。

 勤務先、毎朝新聞宇都宮支局では『マロニエ広場』というタブロイド版のPR紙を発行している。栃の木はマロニエということで、栃木県の県花になっていた。

 県庁前にマロニエの並木がある。こんもりと茂ったマロニエの並木の両側には文化施設があり県民の憩いの場ともなっている。

 その裏側の路地、泉町通りに竜夫の勤務先はある。広告とりの営業もかねているが竜夫の名刺には編集部となっている。肩書きはまだない。


「県名が日光県とかわったからといって、並木の栃の木を植えかえるわけにはいかないだろう。県名を変更すれば、知名度があがると安易にかんがえるのが、愚かしいとは思わんのかね」

 蓮見院長の卓見がとぎれたところで、竜夫は要件をきりだした。

「宇都宮の食文化について先生に書いていただきたいのですが」

「竜夫君が宇都宮にもどってきたのだ。歓迎するよ。ニンニク餃子の健康効果について書きましょう。ぼくの随筆がのるのでは、病院の広告は二段抜きで頼もうかな。待合室に置くから5千部くらいもってきてよ」

 蓮見院長が貫禄をみせる。商談成立。竜夫はほっと安堵の吐息をもらす。

 5時から男だ。夜のほうに生きがいがある。業務にはあまり熱意がない。

 首にならない、ホドホドの仕事しかこなさない。負い目がある。だからこそ、院長のうれしい言葉に吐息がもれたのだ。痩せぎすの体格で、甲高い声が――。豪放磊落で太っ腹な声にきこえた。

 話がまとまってよかった! という竜夫の心理が院長に反映したのだ。よかった、よかった、これで中洗デスクにもどやされないですむ。

 広い窓のかなたで、宇都宮短期大学の時計台が茜色の夕暮れの光に輝いている。

「ぼくはここの風景がすきでね。中藤君は明日香にいったことは……」

「ありません」

「大阪にいたのに、残念だったね。大和は日本の故郷だからね。ここの風景が似ているんだよ。低い丘。雑木林。川が流れていて、よく耕作された畑が広がり……これで歌枕でもあればな」

「先生。急患です」

 院内放送だ。けたたましい音声が部屋にひびいた。

 交通事故の急患だった。

 フロントにかけつけてみる。

 血だらけの顔。

 キャリャーにのせられて集中治療室に消える。

 血血血血血。竜夫は一瞬昨夜の西のヤクザとの乱闘を思う。

 うろたえるひとびとの合間をくぐってパーキングにでた。

「野田ちゃん。交通事故だ。三の沢。作新学院の先」

 携帯片手に報道部に連絡を入れシビックをスタートさせる。いままでヌウボーと田園風景を見ていた顔が緊張にこわばっている。

 さすがは、記者だ。獲物をかぎつけた猟犬だ。

 事件だ! 事件の気配を敏感に捉えた。廊下で見た血の色が頭からはなれない。指先から血がたれていた。

 ――あのままでは、麗子がヤバイ。

 血をみたためか。不意に麗子のことが心配になった。ぼくがいないときに、また襲われたら、どうしょう。

 なんとか説得して他の場所に、マロニエを移転させよう。

 血を見た。不安な予感ばかり脳裏に浮かぶ。

 目前に事故現場が見えてきた。スピードを落とす。警官が中腰でなにか拾っている。白いものが舗道に散乱している。

 餃子だ。冷凍餃子がまばゆい光をあびて散乱している。

 竜夫はシビックを急停車させた。タイヤのスキット音に警官がとんでくる。

「なんだね、あんたは……」

 交通課の腕章を巻いた短足。太め。中年の警官が声をとがらす。竜夫もまけずにプレスの腕章を誇示する。とたんに、愛想がよくなる。

「はやいもんだ」

 極端に態度がかわる。

「たまたま、通りすがりですよ」

「邪魔するなよ」

 発泡スチロールの容器。ひしゃげた食いかけの餃子も散乱している。

 舗道の血の跡や、大破したクラウンの形骸のそばに、白い餃子のつまった矩形の容器が白昼の路上で光っていた。

 クラウンは病院に運び込まれた男が運転していたものだろう。

 冷凍餃子を運送している車のなかで、ドライバーがほっかほっかの焼きたて餃子を食べていた。その光景がまぶたにうかぶ。

 さすが餃子消費量日本一の土地柄だ。どこもかしこも餃子だ。

 食べていた餃子を、衝突のショックで吐いたのか。追突したライトバンの運転手が青ざめた顔で職務質問に応えている。

 彼のほうはケガはない。口許に餃子のたべかすがこびりついている。

 苦しそうだ。ふるえている。なにかおかしい。

 竜夫にはわからない。なにが変なのか。なにが起きたのかわからない。

 わかっていることは、冷凍餃子を神沼に向かって運搬していたライトバンが追突事故を起こしたということだ。追突されたクラウンに乗っていた男が蓮見病院にかつぎこまれたということだ。

 警官と男の会話は聞き取れない。近寄れない。警官が顔をしかめているのが見える。ニンニクの匂いを放つ加害者の息に耐えているのだ。

 ラバコーンの内側には立ち入らないように警告されていた。竜夫はいらだちながら、赤い円錐形のラバコーンの羅列を恨めしく眺める。危うく蹴飛ばすところだった。

 ライトバンの運転手の体がゆらいだ。ガクッと膝をついた。路上にまた吐いている。ものすごい量の吐しゃ物だ。倒れこむ。

 目の前で起きていることが理解できずにいらついていると、肩を叩かれた。駈けつけてきた野田だった。竜夫の携帯がこのときピコピコなる。

「竜っちゃん。たいへん。きてぇー」

 さきほど別れたばかりのメグだ。きてぇー、という語尾がなんともエロイ。そそる。悲鳴をあげても嬌声に聞こえる。

「ほんとなのか」

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