天の青さ 日の白さ 2
「おー、居た居た」
書道部の顧問、品川が大きく手を振りながらこちらへと向かってくる。
「先生、どうしたんですか?」
「今日は大会で出払ってて演劇部も体育館を使ってないからね、書道部で借りてきちゃいました」
品川は胸を張ると、自慢気に笑った。
「というわけで、ウォーミングアップが終わったら体育館に来てね」
「はい」
「先生、紙は?」
「用意してあるわよ、練習用だけどね」
その瞬間、獅子屋の目が強く輝いた。
「行くぞ、千尋」
「え、ちょっと」
獅子屋の勢いに半ば引きずられながらも、二人は下駄箱へと向かった。
体育館は出入り口も窓も開け放たれていて、初夏の心地よい風が通り抜けていく。
すでに書道部員によってレジャーシートが引かれていて、思い思いに大きな書を手掛けている。
「すげぇ」
獅子屋が感動するのも頷ける。獅子屋が書道教室で使っていた模造紙二枚を繋げたのと同じくらい大きい紙が敷いてあった。
「部費からだからあんまり枚数は用意できないんだけどね。
今回はせっかく体育館も空いていることだし、二人も大きいもの書きたいでしょ」
獅子屋も千尋も力強く肯く。いつも眠たげな獅子屋が、目を爛々と輝かせている。
――本当に書道が好きなんだな。
書道好きな獅子屋を見て嬉しく思うくらいに、今や千尋も書道が好きになっていた。
品川が他の生徒の書を見るために離れていくと、二人は早速大きな紙を前に向かった。
「何を書こうか」
「だな。この間千尋の書いていた『雨』は?」
「この大きさだと、二人でも雨粒を描くのがキツいと思う」
「なるほど」
何を書こうか、相談をしながら紙の周囲を回る。ふと、なにか物足りないような気がして、千尋は顔を上げた。
――そうだ、逆瀬部長。
いつもこんなとき真っ先にアドバイスをくれる彼女が、今日は声をかけてこない。
千尋は体育館を見渡すと、端のほうで黙々と書いていた。
千尋達の紙は半紙を大きくしたような形に対して、逆瀬が書いてる紙は縦に長い。
「
書道に使われる和紙には、それぞれ名前がある。条幅は書き初めなどで見かけるわりとポピュラーなものだ。
「展示会とかでは見たことある」
「けっこうバランス崩しやすいんだよな、あれ」
逆瀬の真剣な表情に息を呑む。
書も絵も、創作の現場で作品に向き合っている人の目はいつも力強さの中に険しさを感じる。
自分も、作品に向き合っているときに逆瀬のような目をしていられたらいい。
千尋は獅子屋に向き直ると、アイディアを打ち明けた。
桶いっぱいに墨を入れた獅子屋は、紙の左上に居る。ちなみに墨も書道パフォーマンス用に大きなものを用意してくれた。
二人とも裸足で、ジャージの腕と袖は捲り上げている。気合も十分だ。
千尋が「始めるぞ」と声をかけると、「おー」と声が返ってきた。
スマホを操作して、曲をかける。
JITTERIN'JINNの『夏祭り』だ。
獅子屋は横へと真っ直ぐ線を引きながら駆けていく。
その間に千尋は紙の下側から、黄色の墨で放射状に線を描いていく。
獅子屋は一筆書きのように、黒の墨を迷い無く引いていく。
反対に千尋はあちこち移動しながら黄色で大きな花を描いていく。
最初はお互いの位置を確認しながら、ぶつからないようにしていたけれど、次第にボルテージが上がってきて、自分のことに夢中になっていた。
サビに入ると、獅子屋も黄色の墨を入れた桶を持って、二人で筆を振り上げた。
勢いよく振り下ろすと、黄色の滴が音を立てて紙の上に飛び散った。
まるで、水遊びでもしているかのように、二人は駆け回りながら筆を振る。
曲が終わる頃には全体的に鮮やかな黄色の書が出来ていた。
先程、校舎の外周を走って感じた夏のイメージを、そのまま形にしたい。
千尋のアイディアから、『夏』という字を書こうということになった。
獅子屋が駆けて書いた大きな『夏』の字。
千尋の描いた鮮やかな黄色の花、ヒマワリ。
そして二人で筆を叩きつけるかのようにして飛び散らせた滴は、夏の日差しの力強さ。
肩で息をしている千尋と対照的に、獅子屋はまだまだ余裕そうだ。
「……僕ももっと体力つけなくちゃ」
「ドンマイ」
振り返ると、拍手を送ってくれる人の中に、意外な人物が居て千尋は目を剥いた。
「小山部長!」
千尋が掛け持ちという形で所属している、美術部の部長、小山がいつものおっとりした雰囲気で笑っていた。
「お邪魔させてもらっています」
「お前達が書き始める少し前に、小山が絵の参考にって来てな」
逆瀬がやれやれと頭を振った。小山に言い負かされでもしたのだろうか。
「夏休みの展示会に出す作品をどうしようかなって思って、題材を探していたところだったの」
確かに小山の足元にはスケッチブックと筆記用具がある。
「見る?」
「見たいっす」
獅子屋と覗き込むと、二人の書く背中が、ラフにも関わらず今にも動き出しそうに描かれていた。
「さすが小山部長」
千尋が褒めると、小山はいつものように微笑んだ。
「すごく楽しそうだったよ。わたしも混ぜてって言いたくなるくらい。でも表情とは反対に、目はすごい迫力だった」
小山の細かい感想に、少しくすぐったい気持ちになる。
「これ、展示会に出させてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
獅子屋も口を挟んでこないから、恐らく肯定なのだろう。顔を鮮明に描かれているわけではないし、なにより千尋も小山に描いてもらえて光栄に思う。
彼女は間違いなく、今美術部で一番表現が上手い。
「よかった。じゃあ、逆瀬さん。また明日」
小山はスケッチブックと筆記用具を大事そうに抱えると、体育館を後にした。
千尋と獅子屋は改めて出来上がった『夏』の書を見下ろす。
「楽しかったな」
「うん」
獅子屋のダイナミックな『夏』の字が、黄色の中で踊っている。
「君たちは成長著しいなぁ」
「まだまだだろ。もっと上手くなれよ」
そう憎まれ口を叩きながらも、逆瀬の目は優しかった。
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