艱難辛苦 汝を玉にす 3



 体育館の前は、部活紹介に参加する生徒達が集まっていた。

 普段の集会では制服の紺や黒のトーンだけれど、今日は運動部がユニフォームを着ているのもあってカラフルだ。

 野球部の白いユニフォームの集団の中に、公弘と勇樹の姿を見つけて手を振ると、気付いた二人も手を振り返してくれた。

 野球部は最初のほうに紹介があるから、二人はすぐに出番だろう。


「千尋くんっ!」


 駆け寄ってきた幸が、千尋の二歩手前で立ち止まる。

 ふわりと揺れるセミロングの髪と膝の隠れる丈のスカート。幸は両手を後ろに回して組み、頬を染めてはにかんだ。


「今日、書道パフォーマンスするんだよね?

 楽しみにしてるね!」

「僕も、幸さんの演奏楽しみにしてるよ」

「ありがとう。獅子屋くんも頑張ってね!」


 正親は二呼吸経ってから、「ああ」と素っ気なく応えた。

 その様子に幸も首を傾げる。


「ごめんね、幸さん。正親の様子、朝から変なんだ」

「緊張してるのかな? なんか、獅子屋くんが緊張って珍しいね。いつも堂々としてるーってイメージだから」

「そうだね」

「それじゃあ……またあとでね」

「うん」


 名残惜しそうに離れてく幸に、千尋が胸をときめかせていると、美術部の松下まつした つばめが千尋の肩を叩いた。


「うわぁっ!」

「まるで幽霊でも見たような驚き方だな」

「普通に声掛けてくれないからだろ」

「美術部の紹介が先だからって、部長に羽鳥を呼んでくるように頼まれた」

「あ、そうだった」


 千尋がちらりと正親の様子を横目で窺うと、松下も千尋の視線を辿って正親の方を見た。


「獅子屋、どうかしたのか」


 相変わらず壁のように微動だにせず虚ろな表情で立っている正親。


 ――やっぱり、変だよな。


 幸だけじゃなくて、松下まで正親の異変に気付いている、ということに、千尋は不安を覚えた。


「……なんか、はぐらかされてさ。屋古部長に言ってからそっち行くよ」

「ああ」


 正親の事情に踏み込む勇気がない訳ではない。

 けれど、どう声を掛けたらいいものか迷う。

 先ほどのようにストレートに声を掛けても答えてくれないだろう。


 思えば、二人で書道パフォーマンスを始めようと決めたときからそうだった。

 当時の部長、逆瀬さかせに突っぱねられてしまい、書道パフォーマンスをする場所がなかったときのことだ。

 正親は千尋に相談なく、先生に土下座してまで自分で解決しようとしていた。

 他の友人であれば、「なにがあった?」と聞けば答えてくれるけれど、正親はどうも一人で抱える癖がある。

 それをわかっているから、一人で抱えて欲しくないし、頼って貰いたい。

 千尋が肺炎に罹って無理をしていたときに、正親がしてくれたように、自分も正親の力になってあげられたら……。


 ――とりあえず、美術部の紹介が終わってからだ。


 美術部は部長がマイクを持って活動内容を紹介して、千尋達部員は過去の作品を持って舞台に立っているだけだったので、持ち時間の十分は持て余すくらいだった。 

 千尋は舞台を降りると、美術部の面々に挨拶をして、舞台裏で支度をしている書道部に合流する。


「ああ、羽鳥くんお疲れさん」

「屋古部長、準備抜けてすみません」

「気にせんでええよ。緊張はしてへん?」

「はい」


 今回、屋古の判断で舞台上で『書道部』の字を書くことになっている。

 『書』を屋古、『道』を正親、『部』を千尋が書き上げることになっている。


「正親の様子、どうです?」

「んー……相変わらず心ここにあらずって感じやねぇ。前髪もぼさーっと下りたまんま」

「そう、ですか」

「書を前にしてるときの獅子屋くんって、いつも遠足の前の日の子供みたいにそわそわしてんのになぁ」

「……僕、話してみます」

「ん。任せたで」


 墨のたっぷり入ったバケツを前に、正親は座り込んでいた。

 状況が状況でなければ、ただ墨を覗き込んでいるだけのように見えるけれど、今の正親の様子からして何か深く考え込んでいるように思う。

 千尋はバケツを挟んで反対に座り、「正親」と声を掛けた。


「やっぱり、なにがあったか聞かせてくれないか」


 正親の肩が一度大きく跳ねて、子供がだだをこねるように首を二度振る。


「なんで教えてくれないんだよ」

「言いたくねぇ」

「お前、朝から変だぞ」

「うるせーな」


 「ほっといてくれ」と喉の奥から搾り出すような声で言われて、千尋は胸に痛みを覚えた。


 ――なんだよ、それ。


 ほっとけって言われて、はいそうですかってほっておけるわけないだろう。

 他人じゃないんだ。もう一年も書道パフォーマンスを一緒にやってきたんだ。

 「そろそろだぞ」と声を掛けられて、正親と立ち上がる。

 腹の底から沸々と怒りが湧き上がってきて、一歩先にいる正親の背に頭突きを食らわせた。



「次は書道部のみなさん、お願いします」



 放送部のアナウンスを合図に、一斉に舞台に飛び出る。

 千尋も筆を持って舞台へ出た。


「初めまして。書道部の部長、屋古です」


 屋古がマイクを通して新入生に語りかける。

 部活紹介も後半に差し掛かっているので、ちらほらと集中力の切れた生徒の姿が見て取れる。

 書道パフォーマンスはいい刺激になってくれるだろう。


「書道部では昨年から書道パフォーマンスなんかも始めましたんで、今日見てもらって興味出た方は見学にでも来てください」


 屋古の関西弁の抜けた綺麗なイントネーションの説明中に、人一人寝転べる大きさの紙を三枚敷き墨の入ったバケツを三つ並べる。

 屋古がマイクを早川に預けると、屋古、正親、千尋の順に並ぶ。

 そして深々と一礼をして、それぞれの用意してもらったバケツに筆を突っ込む。


「はっ!」


 今回は、津軽三味線の吉田兄弟 『RISING』をバックで流してもらっている。

 屋古の掛け声に合わせて、千尋は墨が音を立てて飛沫しぶきを上げるほど紙に筆を叩きつけた。




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