艱難辛苦 汝を玉にす 4


 曲は約四分。力強い三味線の音と、耳馴染みのあるギターやキーボードなどのロックのテイストが混ざり合う。

 時折、屋古が合いの手を入れる。それが、どのくらい書けているかの進捗を教えてくれることになっていた。


 ――部長はあとちょっと、かな。


 千尋もあとは『部』のおおざと偏を残すのみだ。

 曲もラスサビに差し掛かり、盛り上がっている。

 最後、筆を放す瞬間まで集中をしていて気付かなかった。


 ――よし、書けた!


 顔を上げた瞬間、待っていたのはいつものような歓声や拍手ではなく、ざわめきだった。

 不穏な空気と視線に、足が震えそうになる。

 ふと、嫌な予感がして、横にいる正親に視線を向ける。


 そこには、筆を持ったまま立ち尽くす正親の姿があった。


 曲が終わり、一瞬の静寂が恐怖心を煽る。

 こんな大事な場面で……と、頭の中が黒く染まっていく。

 同時に正親が不調なのを知っててやらせてしまったことへの後悔が募る。

 どうしよう。どうしたら、この場を切り抜けられるだろうか。

 正親の向こう、屋古が動こうとしたその瞬間、ざわめきが大きくなった。


 振り返ると、ツインテールの女の子が身軽に舞台に上がってきた。

 胸元に赤い花と新入生の札。


「獅子屋先輩、筆、お借りしますね」


 彼女は棒立ちの正親の手から筆をするりと抜くと、バケツに勢いよく突っ込んだ。

 

「君……」


 それから、なんの躊躇いもなく『道』の点を打ち、そのままずるりずるりと紙から放すことなく筆を進める。

 その勢いのよさに、誰もが息を呑んで見守っていた。


「はい、できましたー!」


 屋古が覗きこみ、そして頷いた。

 それから舞台袖でマイクを受け取り、頭を下げた。


「ちょーっとお時間かかってしまってすみません。それではご覧ください」


 垂れてしまいそうな墨を拭き取り、出来上がった『書道部』の文字を書道部のみんなで掲げる。


「書道部で待ってます! ありがとうございました!」


 困惑した疎らな拍手が体育館に響き、書道部の面々は一礼をしてから道具を抱えて舞台袖へ下がった。

 みんなの不審感の籠もった視線が正親に集まっているなか、屋古が一緒に付いてきたツインテールの新入生に「ありがとう」と頭を下げた。


「いやぁ、君のお陰で助かったわぁ」

「あー、まあまあ。元々書道部入部予定だったんでー」

「そうなん? それはこれからよろしゅうな。

 あの場でいきなり崩し字で書けるってことは、昔からやってた感じなんかな」

「ええ、まあ。っていうか」


 彼女は赤い花の付けられた胸元を指さす。

 そこには見慣れた名字の名前が書かれていた。


「あたし、逆瀬 美夏みかです。姉がお世話になってましたー」

「逆瀬部長の妹!?」

「すげー、全然似てねぇ!」

「どーも、どーもー」



 逆瀬の妹の登場に書道部員の関心が移っているなか、千尋が正親に歩み寄る。

 正親は自分の両手を見下ろしたまま、唇を噛み締めていた。







 つづく。














 

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竜を画いて、睛を点ず 美澄 そら @sora_msm

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