遥かなる、青に進め 5


 放課後、千尋は美術部を休ませてもらって、獅子屋と共に書道部へ赴いた。

 ノックを聞いて、開けて顔を確認するなり戸が音を立てて閉まった。セキュリティとしては優秀だ。


「逆瀬部長!」

「うるさい! 書道部の邪魔をするな!」

「僕達を書道部に入れてください!」

「書道パフォーマンスはしないと言っているだろう!」


 千尋もなかなか頑固だが、逆瀬はその上をいく。千尋が顔を赤くしながら、戸の向こうの逆瀬に訴えているのを、獅子屋は嬉しく思った。


「おやぁ、なにしてはるんですかぁ?」


 のんびりとした口調が横から入ってきて、千尋は跳び跳ねるように驚いた。

 にんまりとした細目の男が、千尋の横から戸に向かって話しかける。


「逆瀬部長、お客様いらしてますよぉ?」

「客じゃない! そいつらを入れたくないから、お前も今日は休んでいいぞ」

「ちょっとぉ、俺、今日めちゃくちゃやる気やのに、酷ぉないですぅ?」


 身長は獅子屋と変わらないくらいだが、がっしりした獅子屋と比べるとだいぶ細い。顔も、千尋より白くて、病的に見える。

 ほっそりした顔に、細い目と薄い唇が弧を描いている。狐のお面のようだ。


「それで、なぁんでうちの部長は天岩戸あまのいわとに閉じ籠ることになったん?」


 千尋と獅子屋の顔を交互に見ながら、彼は首を傾げた。 ボリュームのあるくるくるした髪が、傾げた方向に寄った。


「……僕達、書道パフォーマンスをしたいんです」

「へぇ。逆瀬部長は派手なの嫌いやからねぇ」

「なんとか、お話をさせて頂けませんか」


 そうやねぇ、と楽しげに笑った彼は歩いていく。


「踊って誘きだすのも楽しそうやけど、強行突破もええよねぇ」


 逆瀬が押さえている反対側の戸を、彼はがらりと開けた。


「戸が開かなくて遅刻しましたぁ、すみませんねぇ」


 逆瀬のヒステリックな悲鳴が聞こえてくる。


「なんで入ってきたんだ! バカ!」

「部活しに来た部員に、部長が言うことやないと思いますけどぉ」


 のんびりとした彼のペースに、逆瀬が軽くあしらわれている。千尋と獅子屋も見計らって教室に滑り込んだ。これだけ騒いでいる中で、他の部員は何事も無かったかのように書き続けている。


「チッ」


 すこし距離があるにも関わらず、逆瀬の舌打ちがはっきりと聞こえる。ここで戦いてはいけないと、千尋は自分を鼓舞した。


「お願いします、僕達を書道部に置いてください」


 千尋が深々と頭を下げる。土下座までした獅子屋は、どれほど苦い思いをしただろうか。


「嫌だ!」

「置くだけならええやないですか。部員が増えるんやし。なんや逆瀬部長、子供みたいなこと言いなさるなぁ」

「お前は黙ってろ!」

「黙ってる訳にはいかんでしょ。次の部長、俺やし。部長になった途端に人がいなくて廃部なんて嫌やないですかぁ」

「次の部長とはなんだ! まだ、今期が始まったばっかりなんだよ!」


 二人の舌鋒に、入る隙が見つからず、千尋はただやりとりを見守る。隣で獅子屋が欠伸をひとつしてみせた。


「ほらほら、そのくらいにしなさい」


 ハキハキと力強く聞こえる声に、逆瀬達も口を閉ざした。


「獅子屋くんと羽鳥くんね。三森先生からお話は聞いているわ」


 四十代だろうか。一年の担任ではないので、初めて会う先生だ。

 ベリーショートの髪に、ロングスカートが印象に残る。堂々とした立ち振舞いを、かっこいいと千尋は感じた。


「新しいことをしたいという、あなた達の志は素晴らしいと思いますが、今の書道部は逆瀬さん達みたいにコンクールを目指している人が占めています。

 中途半端なことをして、部の空気を乱すのは歓迎できません」


 千尋が口を挟もうとすると、先生は続けた。


「遊びではないという、君達の気持ちを見せてもらえるかしら」


 授業の合間に、獅子屋と何度も話し合った中で、今できるパフォーマンスを見てもらおうという結論に落ち着いた。今の先生の提案と合致する。


「……はい!」


 千尋は、力強く肯くと、頭を下げた。獅子屋も合わせて下げる。


「それでいいわよね、逆瀬さん。屋古やこくん」

「いいか。書道は剣道や柔道と同じで道が付く。道を究めるためのものなんだ。中途半端な出来は許さないからな」


 逆瀬はそう言うと、千尋達から目を背けた。屋古と呼ばれた少年は、手の平を振って「まあ、きばってや」と見送ってくれた。


 一週間後に披露するという約束を取り付けて、千尋と獅子屋は書道部を後にした。

 これで一先ず活路は開けた。


「逆瀬さん、書道パフォーマンスだけじゃなくて、オレのことが引っ掛かってるんだと思う」


 獅子屋があまり喋らなかったのは、逆瀬を気遣ってのことだった。

 獅子屋も気遣い出来たんだな、と思ったが、茶化す気になれなくて先を促した。


「逆瀬さんは、オレの家の書道教室に来てたんだ。今年受験生になって教室を辞めるまで、一緒に書道やってた。……オレには三つ上に兄貴が居て、オレも逆瀬さんも兄貴に憧れて書道を続けてたんだ」


 獅子屋の兄とはどんな人物だろうか。獅子屋や逆瀬が憧れるほどの書の才能とはどんなだろう。


「兄貴は書に愛されてるんだと思う。兄貴に追いつけなくて諦めたオレが、書道パフォーマンスをやりたいって言っているから、逆瀬さんは許せないんだろうな」


 千尋は誰かを師事していたことがない。病院でおばあちゃんと絵を描いたとき以来、小学生の図工で先生にアドバイスを受けたくらいで、あとは独学だった。

 獅子屋にとって兄は近い存在なだけに、嫉妬したり、周囲から比べられたりしただろうか。

 千尋も嫉妬したことがない訳ではない。毎年皆勤賞を貰っていた公弘。公弘に誘われて野球部に入った勇樹。羨ましいと思っていたけれど、無い物ねだりだと悟ってからは苦しさは和らいだ。

 でも、もし、公弘や勇樹と同じ土俵に居て嫉妬していたら、今のように仲良くしていられなかったかもしれない。

 獅子屋のように、どこかで、なにかを諦めてしまったのかもしれない。





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