思う念力 岩をも通す 3



 教室から運んできた椅子が並べられた、一年五組の生徒の座る端の席に、獅子屋と並んで座った。

 袴から学ランに着替えていたこともあって、ステージ上で繰り広げられている劇は終盤に差し掛かっているところだった。

 戻る道中、幸とすれ違った。たしかプログラムによれば次は吹奏楽部の演奏だ。

 幸はフルートを担当していると聞いている。

 視線が重なったとき、心の内でエールを送ったつもりがけれど、幸に届いているだろうか。

 千尋は途中からになってしまった劇に拍手を送りながら、幸の登場を待ちわびた。



 体育館での演目が終わると、教頭先生からマイクを通して学園祭での注意事項を聞いて、自由行動となった。

 千尋は獅子屋を伴って体育館の外へ出る。

 外は光に溢れていて、千尋は目を細めた。

 体育館が薄暗かったおかげで、吹奏楽部の演奏で涙ぐんでいたのを気付かれずに済んだ。

 幸のフルートの音は、探さなくても耳に入ってきた。

 演奏されたのは、八月の頭に行われたコンクールの予選で披露した『木星』やSuperflyの『愛を込めて花束を』、そして今回の学園祭のテーマソングの『アゲイン』。

 思い出すと胸がきゅっと痛くなって、また目頭が熱くなる。

 ふいにポケットに入れていたスマホが震えた。

 メッセージは二件。

 学園祭が始まる前に松下に頼んだ、書道パフォーマンスを撮ってもらった動画。

 そしてもう一つは公弘からの「一緒にメシ食おうぜ」というお誘いだった。


「なあ、獅子屋」

「なんだ?」

「獅子屋は誰かと回るの?」

「いや、書道部に行って来るつもりだ」

「そっか。僕、公弘たちと合流してくるよ。また後でな」

「おー」


 千尋と別れると、獅子屋は体育館と校舎の間にぽっかりと開けた中庭のベンチに座り込んだ。

 青空を仰ぐ。山から下りてきた風が爽やかで心地よい。いい天気だ。

 思わず、ほうっと溜息が出た。

 目蓋を閉じると、ステージで書を書いていたさっきまでの興奮がありありと浮かんでくる。

 千尋と獅子屋の動きを見つめる期待の目。サビで高く突き上げられて、揺れる人差し指。

 今まで付いて来るのに必死だった千尋が、夢中になって書いていた横顔。

 体の内から、熱が溢れてくる。


 ――もっと、書きたい。


 この興奮を、ずっと感じていたい。


「なに一人でニヤニヤしてるんだ、変態」


 どかっと隣に腰を下ろしてきたのは、学園祭でもきっちり纏め上げられたポニーテールと、膝より下までだらりと長いスカート。……逆瀬だった。


「あれ? 相方は?」

「どっか展示物回ってる」

「そーか。……ほら、頑張ったご褒美だ」


 Mサイズの紙コップを渡され、獅子屋は逆瀬をまじまじと見た。


「なんだよ」

「いや。明日の運動会の天気大丈夫かと思って」

「人が気を遣ってやったらなんだ! その言い草は!」

「ジョーダンです。いただきます」


 逆瀬の左手に同じカップがもう一つある。千尋の分だったろうか。

 逆瀬が仕方ないと口をつけた。

 獅子屋も遠慮なく頂く。ほんの少し気の抜けた、コーラの甘ったるさが舌に残る。


「よかったよ、お前達。すごくいい書だった」


 二口目を飲もうとした手が止まった。

 逆瀬は手元のコーラを見つめながら、語る。

 いつも厳しさを宿す瞳は、穏やかだ。


「学園祭が終われば、わたしはもう引退になる。二年と話し合って、次の部長は屋古に決まった。あいつなら、お前達の活動を応援してくれるだろう」

「逆瀬さん、オレ」

「獅子屋、言っとくけどまだ卒業じゃないからその先の言葉はとっとけ。

 じゃーな!」


 逆瀬の背を見送り、コーラを一気に飲み干す。

 甘ったるいコーラが、なんだか今は愛しい。



「お待たせ!」


 千尋が駆け寄ると、二人は千尋を挟んで肘で突いてきた。


「すげーじゃん、書道パフォーマンス!」

「オープニングから感動したよね。オレ泣くかと思った」

「勇樹、それは盛り過ぎ」

「髪型も似合ってるな」

「本当? 公弘に言われると自信つく」


 公弘も勇樹も声が弾んでいて、心から楽しんでくれていたのがわかる。

 教室へお弁当を取りに行きながら、三人は会話を紡ぐ。

 PTAが出しているからあげ、たこやき、ジュース以外に模擬店は無い。

 生徒はそれぞれお弁当を持参していた。


「どこで食う?」

「視聴覚室開いてるんじゃなかったっけ」

「いいね」

「食べたあとは、どこの展示に行こうか」

「やっぱ美術部だよな」

「あと、二時から中庭で吹奏楽部が演奏するって言ってたよね」


 二人の急に悪代官のように笑う。


「あー、もう、早く行くよ!」


 千尋は赤くなった顔を隠すように、早足になった。



 お弁当を平らげて、美術部の展示をしている美術教室を覗くと、けっこうな賑わいになっていた。

 いつもなら部員すら居なくて静かな部室が、人で埋めつくされているのに感動する。


「あ。あれ、この前美術館で展示してたやつ?」

「そうそう」


 勇樹の指差した作品は、千尋が描いた天使の絵だ。


「やっぱ八乙女さんだよね」

「千尋成長したな」

「公弘、どういう意味?」

「そういう意味だって」

 公弘は、二度頷いてから千尋の肩に手を置いた。


 ――なんか、今日めちゃくちゃ弄られてる気がするなぁ。


 とはいえ、嫌な気はしない。


「やっぱり、小山さんの絵めっちゃいいなぁ」

「本当? 嬉しい」


 振り返ると、いつの間にか小山が口許を抑えて穏やかに笑っていた。

 金魚のように真っ赤になって口をぱくぱくさせながら、公弘は背筋を正す。

 以前だったら、また公弘の恋愛体質が――とからかうところだが、近頃は公弘の気持ちがよくわかるせいかからかい難い。


「羽鳥くんと松下くんの絵も人気あるのよ。見てくださる方、一度は二人の絵の前で留まるの。

 羽鳥くんは特に書道部と掛け持ちしながら、よくあそこまで描けるなって毎回思うわ」

「小山部長……」

「そうだ、羽鳥くん。今日の書道パフォーマンス、かっこよかったよ。それじゃあ、わたし友達のところに行くわね」


 柔らかそうな髪を靡かせて、小山が去っていくと、公弘がぽつりと「オレも書道パフォーマンスしようかなぁ」と呟いた。



 それから、三人は社会部の展示を見て、中庭へと向かう途中だった。

 鮮やかな緋色のマントを翻して、階段から下りてくる人物に目を奪われる。


「櫛田さん」

「よくわたしってわかったわね」


 胸元が大きく開いた櫛田の体にフィットしている真っ赤なライダースーツに、赤い猫耳の付いた目を覆う仮面。極めつけに緋色のマント。相変わらず奇抜な格好だ。


「わかるよ。どんな格好してても、櫛田さんは櫛田さんだ」

「……そう、ありがとう」

「なんの衣装なの?」

「これは先輩のオリジナル。被服室に色々展示してあるから、よかったら見に来て」

「うん、わかった」


 千尋とすれ違い様に、櫛田がこっそり耳打ちしてきた。


「書道パフォーマンスよかったわ。……約束、忘れないでね」


 背筋が凍る。一体どんな約束をさせられたのだろうか。


「千尋?」

「はは……行こうか」



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