思う念力 岩をも通す 4
中庭に来るとすでに人が集まっていて、千尋たちは端の方で聞くことになった。
いっそ中庭の中心にある大きなケヤキの木に登るか、と公弘がぶつくさ呟いているのを、勇樹が頭に手刀を一撃食らわせて黙らせた。
ギャラリーが作った輪の中心に吹奏楽部の面々が集まり、挨拶をすると軽いチューニングが始まった。
幸のことが背中からしか見えないのが残念だが、不思議と、どこから見ていても幸の奏でる音を探せる気がした。
「それでは、先ほども演奏させて頂きましたが、今回の学園祭のテーマソングであるWANIMAさんの『アゲイン』からお送りします」
体育館とはまた違った音の響き方。校舎に反射した音のカケラが、青い空に吸い込まれていくようだ。
――気持ちいいなぁ。
そして、書きたいという衝動に突き動かされる。
獅子屋はなにをしているだろう。
演奏が終わると、千尋は手の平が熱くなるまで拍手をした。
あとで、幸にちゃんと感想を言いに行こう。
三人は寄り道をしながら、書道部の展示された教室へと辿り着いた。
「すごいなぁ」
「うん」
そこには、逆瀬や屋古の書と並んで獅子屋の書もあった。
千尋が美術部に居る間に書いたのだろうか。お手本のような綺麗な字もあれば、紙からはみ出しそうな字もある。
獅子屋もきっと成長しようと試行錯誤しているのだと思うと、胸が熱くなる。
チャイムが鳴って、一日目が幕を終えることになった。
「なんか、ごめん。僕、時間かけちゃったよね」
「気にすんなよ、オレ達も楽しんでたって」
「そうそう。書道ってけっこう奥深いよね」
体育館へ向かうにつれて人が増えていく。
「明日、楽しみだね」
「そうだね」
にこやかに笑う勇樹と反対に、公弘はなにか堪えるような表情になった。
「公弘?」
「なんでもない」
クラス毎に並べられた椅子の前で千尋は二人と別れた。
隣の席に獅子屋が腰を下ろす。
「全然会わなかったけど、どこ行ってたんだ?」
「書道部と美術部覗いたあと、空き教室で書いてた」
最近毒されてきたせいで、獅子屋が筋金入りの書道バカなのを忘れていた気がする。
「学園祭は学園祭を楽しめよ」
「楽しんでるじゃねーか」
「お前なぁ……」
長い足を放り出して、いつもの大きなあくびを一つ。
ただ、いつもと違うのは、髪型がスタイリッシュなとこくらいだろうか。
「ねえ、誰か幸ちゃん見なかった?」
少し離れた席から、小林さんが周りの女子に声を掛けているのが聞こえる。
「そういえば見てないかも」
「迷子?」
「なんか、美術部の展示を見たいって言ってたけど、もしかしたら見に行ったのかな?」
――美術部の展示。
その言葉が聞こえた瞬間、千尋は席を立ち上がった。勢いよく立ったせいで、椅子のゴムが体育館の床に擦れて、古いドアを開けたような音がする。
「僕、行ってくるよ」
幸の行方を気にしてる女子達にそう告げると、千尋は制止の声も聞かずに体育館から出ていった。
美術室までの廊下は、もう人影もなく静まっていた。
千尋は誰の目も無いことをいいことに、廊下を駆けていた。
リノリウムに上履きの底が擦れて、キュッと鳴き声のような音が鳴る。
廊下の突き当たりにある美術室に着くと、千尋は開いたままの入り口からそっと中を覗いた。
幸は熱心に千尋の描いた天使の絵を見つめている。
「八乙女さん」
振り返った幸は、一瞬だけ目を見開いて、はにかんだ。
「探させてごめんね。どうしても、もう一回この絵を見たくて」
「大丈夫だよ。僕が探したかっただけだから」
「本当、羽鳥くん王子様みたいだよね」
幸は照れているのか、千尋から目を逸らしてまた絵を見つめる。
「ねぇ、羽鳥くん。病院で言ったこと憶えてる?」
「うん。僕のこと知ってたってことかな」
「そう」
千尋と幸は美術室を出て、ゆっくりと歩き出した。
幸は記憶を辿っているのか、三歩ほど進んでから話し始めた。
「あのね、わたしのおばあちゃんが一回病気をして長く入院していたことがあったんだ。そのときに同じタイミングで羽鳥くんも入院してたんだよね」
確か先日入院していたときに教えてもらった。
千尋に絵を描く楽しさを教えてくれたのが、幸のおばあちゃんなのだろう。
「わたし、どちらかというと外で遊ぶのが好きで、絵を描くのとか好きな子じゃなかったの。だからね、羽鳥くんが一緒に絵を描いてくれるのをおばあちゃんすごい喜んでたんだ」
「そうなんだ」
おばあちゃんの優しい笑顔を思い出したら、千尋も自然と口許が緩んだ。
「うん。でも、羽鳥くんが退院してすぐにおばあちゃんも退院だったから、『ちひろ』って名前しかわからなかったの。学校中探したけど、見つからなかった。
……でも、夏休みの美術館の展示で羽鳥くんの絵があったのを見つけたの。よかった。『ちひろ』くんはまだ絵を描いてたんだって嬉しかった」
幸の横顔を見て、一心に千尋の絵を見上げている幸の姿がフラッシュバックする。
美術館で感じたことは、今の会話で確信へと変わった。
「もしかしたら、僕も八乙女さんのことを知ってたかもしれない」
「え?」
「ううん、知ってたんだ。僕の絵を熱心に見ていた女の子が居たんだけど、きっと八乙女さんだと思う」
「……それがもし本当なら、わたしたちずっと前から知ってたんだね」
「うん」
体育館に近付くにつれて、二人の歩みが遅くなっていく。
ここで逃げたら、もう一生言えないだろう。
千尋は立ち止まった。
「羽鳥くん?」
「言いたいこと、いっぱいあるんだ。吹奏楽部の演奏すごかったとか、いつも僕の絵を見てくれてありがとうとか、あのおばあちゃんが八乙女さんのおばあちゃんでよかったとか……とても今は時間が足りないから、一言だけ言わせてほしいんだ」
体育館のざわめきが遠く聞こえる。
この瞬間は、もっと緊張してドキドキするかと思っていた。
「僕は八乙女さんが好きです」
彼女は胸を押さえて、深呼吸をすると、「わたしも、ずっと前から好きでした」と頬を染めた。
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