真夏の優遊涵泳 2
千尋は今回二つの作品を出展している。
一つは自分のクラスの風景。誰もいない教室と、窓の外に広がる夕景を描いたものだ。
書道部でも使っていた画仙紙に描いたので、どこか日本画の雰囲気を感じさせる。
もう一つは、天使の絵だった。
モデルは、美術部で行われている写生会で先輩がやっていたポーズを参考にしたが、天使がどう見ても幸に似ている。実際に松下に「誰かに似ている気がする」と言われて、どきっとした。
さすがに幸本人は似せられているなどと露にも思っていないだろう。
気付かれたら、恥ずかしくて、こうして隣に立って居られそうにもない。
視線をそっとずらすと、見覚えのある作品が見えた。
「あっちにあるの、松下のかな」
千尋の絵から三つ左先に飾られている油絵。色塗りの途中までしか見ていなかったため、完成後に観るのは今日が初めてだ。
そこには色とりどりの鮮やかな蝶がキャンパスいっぱいに描かれていた。
「すごいね」
「うん、本当にすごい」
「……羽鳥くん、自分の絵観てるときより目が輝いてる」
「そう?」
「うん。この絵が好きって目をしてる」
「……松下のは、素直にすごいしね」
同じ年齢でこうも表現できるのは、賞賛するしかない。
そして、隣の大作を観て、千尋はあんぐりと口を開けた。
「小山部長……」
一メートル四方のキャンパスに、躍動感溢れる二人の少年が描かれている。
――本当に僕達をモデルに描いたんだ。
先日、空いていた体育館で『夏』の書のパフォーマンスをしていたところだろう。
顔はボヤけているものの、表情は読み取れる。
獅子屋も千尋も、今にも笑い声が聞こえてきそうなほど、楽しそうだ。
「絵の中の羽鳥くん、楽しそう」
「僕ってわかる?」
「わかるよ!」
幸は自慢気に胸を張って、笑った。
美術館を出る。陽はゆっくりと落ちてきて、地面からの熱と反対に、風はすこし涼しさを運んでくれる。
お互い自転車だったので、のんびり話しながら幸を家の近くまで送って、土手沿いを自分の家に向かって走っているところだった。目の前を見慣れた背中が走っているのに気付いた。
「獅子屋!」
獅子屋が足を止めたので、千尋は隣に並ぶと自転車を降りた。
「自主練?」
「いや、普通に走りたくなって……三十分くらい走ってた」
「持久走かよ」
「……ちょうどいいか、千尋も来いよ」
「え? どこに?」
有無を言わさずに獅子屋が駆けだすので、千尋も慌てて自転車に跨って後を追った。
千尋の家と真逆の方向、すこし見覚えのある道に出ると、獅子屋の家が見えてきた。
「ちょっとシャワーしてくるから、書道教室のほうで待ってて」
「あ、うん」
お邪魔します、と小さく声を掛けて、千尋は書道教室の引き戸を開けた。
畳の匂いと、部屋のあちこちに染み付いているであろう墨の匂いが混ざって、不思議と落ち着く香りがする。
なんとなく、胡坐をかいて獅子屋を待っていると、ざっと汗を流しただけであろう獅子屋が、上半身裸で現れた。中学生らしからぬ、しなやかで美しい筋肉が妬ましい。
フェイスタオルで乱暴に髪拭っているのも、なんだか雑誌の表紙みたいに見えてきて苛立つ。
「……あのさぁ、すこしは恥らったらどうなの?」
「なんで」
「いや、友人とはいえ僕はお客さんなわけで……っていうか、なんで僕は呼ばれたわけ」
獅子屋も腰を下ろしながら、「そうだなー」といいつつ、二の句はない。
その歯切れの悪さに首を傾げていると、勢いよく障子が開いた。
「ちょっと、正親」
障子に向かって座っていた千尋は、開けた人物と視線がかち合って、お互いに石にでもされたように固まった。
現れたのは、とても奇抜な格好をしている女性だ。豊満な胸元は大きく露出していて、全体的に体のラインを強調した、レザーの素材をしたボンテージ。至る所に赤いリボンの編み上げが付いている。
燕尾服の裾のようなスカートがあるものの、足はほぼ剥き出しだ。
おまけにすっと切れ長の目は右が赤い目で左は青い目……とおよそ常人離れしている。
しかし、千尋はその人物に見覚えがあった。
「く、櫛田さ――」
「おい、正親」
獅子屋の首に掛かったフェイスタオルの両端を持って、今にもキスしそうな近さで獅子屋を睨んでいる。
「羽鳥くんが居るって、どういうこと!」
そのまま前に後ろに揺すられて、獅子屋は蛙の潰れたような声を出しながらされるままになっていた。
「あの、櫛田さん。そろそろ獅子屋がやばい、かな」
「あ――」
手を離すと、珍しく虫の息の獅子屋が畳みの上に転がった。
「誰にも、言わないでね」
女王様さながらのボンテージ衣装の櫛田が、恥ずかしそうに顔を覆いながら、畳みに正座している。
おまけに横には半裸の獅子屋が気だるげに座っている。
とてもシュールな光景に、なにから突っ込んでいいのかわからない。とりあえず千尋は櫛田の言葉に肯いておいた。
「コスプレ、好きなの。昔から、キャラクターとか、こういうの着て写真撮って、自分を演出するのが好きで」
「へぇー。でも、似合ってると思うよ。ちょっと、セクシーかなって思うけど」
目のやり場に困る、とはさすがに言えなかった。
「あ、ありがとう」
櫛田は頬を染めて、はにかんだ。
その表情は、教室でいつもクールにしている櫛田からは想像つかない柔らかな笑みだ。
「……いい雰囲気なところ悪いんだが」
獅子屋が横から顔を突き出して、千尋と櫛田を交互に見やる。
「美咲の趣味を暴露するために千尋を呼んだ訳じゃない。美咲もだ」
そういえば未だに連れてこられた理由を聞いていない。
「今日、書道部行ったら、学園祭でパフォーマンスする場を設けてもらえるって聞いた」
獅子屋の言葉に、千尋は跳ね上がるほど驚いた。
「マジで?」
「おう。そんで、舞台でやるからには衣装が必要だと思ってな」
獅子屋が櫛田を見やる。
「……作れって?」
「さすが、話が早くて助かる」
にんまりと笑う獅子屋と反対に、櫛田の表情は鋭くなっていく。
「いいけど……こっちの条件も呑んで貰えるかしら」
「……わかった」
獅子屋が腕を組んで、深く肯いた。
その言葉に櫛田の表情が、不敵な笑みへと変わる。
――なんだか嫌な予感がするんだけど。
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