真夏の優遊涵泳 3


 それから、千尋はメジャーを手にした櫛田に、あちらこちらを採寸された。

 メジャーを体の一部みたいに操る櫛田を見て、どんな衣装になるか期待が膨らむ。


「櫛田さんって、家庭部なんだっけ」

「そう。料理もするわ。でも、わたしは服飾のほうが好き」


 背中から抱きつくような格好で千尋の胸囲を測っているため、櫛田がどんな表情をしているかはわからないけれど、なにかに夢中になっている人物がどんな表情で臨んでいるかは身近な例からも想像がつく。


「でも、二人分も作るの大変じゃない?」

「一から作るかはわからない。さすがに、リメイクだったり、サイズ調整で済ませるかも」

「そっか」


 夕陽の差し込む書道教室で、大人しく櫛田に採寸されながら千尋は整えられた庭を眺めていた。


「……はい、終わり」


 とん、と背中を押されて、振り返る。

 櫛田は表情を見せないように俯いた。幸より背の高い彼女は、千尋と視線は変わらない。

 夕陽のせいで、彼女の頬が赤く見える。


「獅子屋の無茶振りで申し訳ないけど、僕からもお願いします」

「それはいいの、わたしも報酬は貰うから。……じゃあ、正親、わたし帰るから」


 櫛田は勝手知ったる様子で獅子屋の家から去っていった。

 千尋が測ってもらっている間にTシャツを着た獅子屋が、櫛田の背を見送る。

 まるで名残惜しそうだ。


「……好きなの?」


 ちょっとした意地悪のつもりだった。


「好き、だった」

「え?」

「……今は違う」


 そう口で言っているものの、獅子屋の表情は曇っている。


 ――意外だなぁ。


 獅子屋が誰かに恋をしていたことも、違うと言いながらも苦々しい表情をしていることも。


「櫛田さんの作ってくれる衣装、楽しみだな」

「ああ」

「学園祭でなに書こうか」


 それから、二人でだらだらと案を出して、千尋も獅子屋の家を後にした。



「おかえり、随分遅かったわね」

「うん、ちょっと獅子屋の家に寄ってきたんだ」

「そうなの。ご飯出来てるから、荷物置いたら降りておいで」

「はーい」


 二階の自分の部屋へ行くと、ミケが我が物顔でベッドを占領していた。


「ただいま、ミケ」


 頭を撫でてやると、もっとと頭を差し出してきた。さらに撫でてあげていると、スマホが鳴った。

 公弘からだ。メッセージではなく着信なのが珍しい。


「もしもし」

「千尋!」


 耳を突き抜ける公弘の声に、一瞬スマホを離す。

 ついこの前、失恋を嘆いていた彼の面影はどこへやら。


「なに、どうしたの」

「……美術部の部長さんの名前、なんて言うんだ?」


 千尋は一瞬言葉に詰まった。撫でていた手が止まったせいか、ミケが不思議そうに見上げてくる。


「小山部長だよ」

「バカ。下の名前だよ」


 公弘のこうした一連の言動に身に覚えがある。


「……由紀子さん、だけど」

「ありがとう! ……俺、好きになっちゃった、かも」


 ――ああ、薄々そんな気はした。


 どうも、千尋達と違うルートで二人は美術館の中を巡っていたらしい。……遭遇しなくてよかった。

 小山の可愛いところなるものを聞かされながら、元気な公弘の声に千尋はホッとした。


「……じゃあ、僕これからご飯だから」

「おー。ごめんな、長々と」

「いいよ」

「千尋の描いた天使、良かったよ。八乙女さんにもよろしくな」


 動揺してスマホをベッドの上に落として、千尋は頭を抱えた。


 ――うわぁ……絶対八乙女さんがモデルだってバレてる。


 この調子だと、他に観に行った人にもあれこれ言われそうだ。

 通話の切れたスマホの画面を見て、溜息を落とした。

 今日一日で自分を含めた、色んな人の、色んな側面を見た気がする。


「今日は疲れたよ、ミケ」


 ミケは毛繕いに夢中で聞いてくれているのか、いないのか。

 千尋は窓を開けた。

 残念ながら風はなく、外にはまだ昼間の熱気が残っていた。

 夜空には少し欠けた月が上がっている。

 夏休みはまだ始まったばかりだ。


 


  


つづく


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