冬来たりなば春遠からじ 2


 今日は、自転車ではなくバスで移動することにしている。

 待ち合わせをしている幸の家の近くのバス停まで、歩いて十五分くらいだ。

 午前十時。朝陽を浴びて、世界は少しずつ熱を帯びていく。凍っていたものが溶けていくようだ。

 冬の朝は、どこかしっとりとしているけれど、清らかさを感じて心地よい。

 歩いていると、露出している肌は寒いけれど、体の中心から少しずつ温かくなってきた。

 呼吸をするたびに、口から白い息が零れる。

 なんだかそれが楽しくて、大きく息を吸って、一気に吐き出した。

 昨夜は寝つきが悪かったのに、今朝は目覚ましよりも早く起きてしまった。

 遠足前の子供じゃあるまいし、なんて思いつつ、今日という一日が楽しみで仕方ないのは隠しきれない。

 足取りだって軽い。十五分の道のりなんてあっという間だった。


 バス停に着くと、すでに幸が待っていた。

 息で手を温めていた幸は、千尋が来ると花が開いたように笑顔を見せた。


「おはよう」

「おはよー」

「大丈夫? 手袋、貸そうか?」


 幸は首を横に振って、「大丈夫」と答えた。


「羽鳥くんと、手、繋ぎたいから」


 そう言った幸が可愛くて、抱きしめたい衝動に駆られるものの、目の前を自転車が通り過ぎていったので踏みとどまった。


「……じゃあ、左手だけ貸すね」


 そして、幸の右手を寒くならないようにと覆うように手を繋いだ。

 近づくと、幸からフルーツのような甘酸っぱい、いい香りがする。

 千尋にはラズベリーの匂いのようだと感じた。


 バスの到着時刻よりお互い十分以上早く着いていた上、バスが予定時刻より三分ほど遅れたため、二人は寒い中身を寄せ合って待っていた。

 幸はオフホワイトのニットワンピースにくすみピンクのもこもこしたアウターを合わせている。

 ゆるく纏めた三つ編といい、全体的にふわふわと甘い雰囲気で、夏のときと印象ががらっと違う。


「寒いね」

「ね」

「バス、まだかな」

「……ね」


 幸の方を見れなくて、返事も相槌を返すのでいっぱいいっぱい。千尋は地面へと視線を向けた。

 今、顔が熱いのは寒いせいだけではなかった。


 ――気付かれたくないなぁ。


「あ。バス来たよ!」


 幸の視線がバスに向かったことにホッとしつつも、ほんの少しだけ嫉妬した。



 バスは、平日なこともあって空いていた。

 もう少し早い時間だったら、会社勤めの人や学生さんが乗っていただろうか。

 おばさんの四人グループが、楽しそうに話している横を通って、後ろのほうの席へ座った。


「今日はずっといい天気なんだって」

「デートとしては嬉しいけど、クリスマスとしては寂しいね」

「ふふ、羽鳥くんもホワイトクリスマスが良かった?」

「うん。そもそも、あまり雪降らないからさ。去年は全然積もらなくて、すぐ溶けちゃったし」

「そうかも。雪遊びしたいよね」


 車窓は次々と違う風景へと変わっていき、窓際に座った幸が窓の外を指差しながら笑う。

 自家用車と違ったバス特有のガタガタとした揺れに、隣の幸と肩が触れ合う。

 改めて近くにいることを自覚して、胸が高鳴った。

 乗る前から繋いでいた手は、離すタイミングを見失ってずっと繋いだままだ。



 二十分ほど揺られて着いたのは、駅前だった。

 駅近くの中心街は昔はすごく栄えていたようだったけれど、今はシャッターを下ろしてしまっているところも多い。

 一部に人が集まっていて、メインの道路から逸れると人気は疎らだ。

 そんな中でも個人経営のカフェやレストランは少しずつ増えていて、千尋達もそのお店の一つでランチをすることにした。

 小さなビルの二階。

 狭くて少し急な階段を上がっていくと、コンクリートのビルの壁には似合わない木造のドアがあった。


「ここであってるのかな?」


 幸が不安そうに首を傾げる。

 確かに、あまりレストランのあるような雰囲気ではない。


「大丈夫」


 千尋がドアを開けると、「どうぞ」と幸を促した。


「ありがとう」


 一歩踏み入れると、チャイムが鳴って女性の店員さんが店の奥から顔を覗かせた。


「いらっしゃいませー」


 長い髪を横で纏めている店員さんは、千尋と幸の姿を見て、目をぱちくりさせた後、にこっと微笑んだ。


「予約していた羽鳥です」

「どうぞー」


 店内はそれほど広くなかった。

 カウンター席が三つと、テーブル席が五つの小さなお店だ。

 お昼時ということもあって、千尋の予約していた一席を除いて、全部埋まっている。

 千尋達はその空いている二人席へ案内されて、腰を落ち着けた。

 

「すぐにお冷やとお手拭ご用意しますね。こちらメニューです」

「ありがとうございます」


 千尋は微笑み返して、店員さんを見送ると、メニューを開いた。


「ラインで言ってたのはこのオムライスなんだけど、チキンのクリーム煮も人気があるみたいだよ」

「んー、どっちも美味しそうだなぁ……。じゃあ、わたしはオムライスにする!」

「僕はチキンのクリーム煮にしようかな」

「あれ? 同じのにしないの?」


 首を傾げて、幸が聞いてきた。

 ラインでオムライスを勧めてたのに、チキンのクリーム煮を選んだことが引っ掛かったのだろう。


「女の子って、分け合うの好きだよね。僕もどっちも気になるから、良かったらシェアしない?」


 千尋の提案に、幸は目を輝かせて頷いた。


「うん!」


 ランチメニューは、食後にデザートまで付いてきて、二人でティラミスを食べながら、のんびり食後の紅茶に舌鼓を打っていた。

 千尋達が食べている間に、あちこちのテーブルでお客さんが入れ代わっている。

 平日とはいえ、カップルが多い印象だ。


「もうすぐ三年の先輩卒業だね」


 幸がティーカップを覗きながら、寂しそうに呟いた。


「そうだね」


 思い浮かぶのは、書道部と美術部の親しくしてくれた先輩達。


「吹奏楽部ってね、三年生の卒業式の後にはなむけの演奏するの。それで、わたしフルートのパートリーダーを任されてたんだ。精一杯頑張ろうと思って」

「そっか。美術部で色紙書いただけだから、羨ましいよ。それにしても、一年でパートリーダーってすごいね」

「えへへ」


 はにかむ幸に、こちらまで笑顔になる。

 そういえば、書道部と美術部の先輩に何か出来ないだろうか。


 ――次の部活のときに相談しよう。



「そろそろ次のところに行く?」


 お店の壁に掛けられた時計を見ると、まだ一時を回った頃だった。


「じゃあ、駅の方に行こうか」

「うん」


 お会計をして、二人で外へ出る。

 冷たい風が吹き抜けて、なんとなく左手が寂しく感じたけれど、Pコートのポケットにそっと仕舞った。




 


 

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