冬来たりなば春遠からじ

冬来たりなば春遠からじ 1


 底冷えする寒い冬が訪れて、間もなく冬休みになった。

 千尋は、スマホを手にしては机に置くという動作を繰り返して、夕陽が薄ら見える山の稜線を眺めていた。

 ミケが千尋のベッドの中心で主のように丸くなって眠っている。

 千尋は勇気を振り絞って、もう一度、スマホに手を伸ばした。

 五組のグループラインや、仲のいい獅子屋、松下、八乙女、櫛田のグループラインではなく、八乙女 幸個人とのトーク画面を開いた。


「こんばんは」

 

 散々迷った挙句そう送ると、すぐに既読のマークがついた。

「こんばんは!」という返事と共に、可愛いクマのスタンプが挨拶をしている。


「今、暇だった? 大丈夫?」

「さっきまで課題やってて、終わったところだよ」

「僕も」


 ラインでメッセージを送るまでに、一時間も悩んだことは伏せておこう。


「羽鳥くんさえよかったら、電話しない?」


 突然のお誘いに千尋はにやけそうになった口許を押さえた。


「いいよ。僕が掛けるね」

「お願いします」


 コール音が二回鳴って、幸の「もしもし」という小さな声が聞こえた。

 耳に宛がっているせいか、教室で話すよりもずっと声が近い。


「こんばんは、八乙女さん」

「ふふ、なんかお電話って照れちゃうね」


 今、電話の向こうで彼女はどんな表情をしているだろうか。

 想像すると、こっちまで嬉しくて、胸の奥から温かなものが溢れてくるような気がする。


「えっと、声を掛けたのは、四日後のクリスマスの予定を聞きたくて」


 そう言うと、幸が息を呑んだのがわかった。

 以前獅子屋に、デートでもしてこいと言われたことがある。

 確かに、付き合ってからというもの、幸と二人で出かけるようなことはしていない。

 それどころか、美術館に一緒に行ったっきりだ。

 幸とこうして話しているだけで満足している千尋はともかく、幸はデートしたいと思っていたかもしれない。

 こういう時はやっぱり男の自分から、と勇気を出した。

 一時間を使って、やっとラインで――ではあるけれど。


 電話の向こうで、紙を捲る音がする。

 手帳で確認をしてくれているのかもしれない。

 千尋は、断られることを想像して、ゆっくり深呼吸をした。

 自分達はまだ中学生だ。

 もし、家族や友達と過ごす予定があるならば、そっちを優先してほしいと思っている。

 ただ、幸が断ってきたとき、あまりがっかりした態度を取らないようにしなくては、と千尋は考えていた。

 きっと優しい幸のことだ。千尋が落ち込めば、断った自分を責めてしまうかもしれない。


 ――できれば、空いていて欲しい、けど。


 千尋は祈りを込めて、もう一度深呼吸をした。


「大丈夫! あと、イブだったら、部活もお休みだけど」

「……それならよかった」


 幸の明るい声に安堵して、千尋は椅子の背もたれに体を預けた。

 重い荷物でも下ろしたように、体から緊張が解けた。


「じゃあ、イブを空けておいてもらってもいいかな?」

「うん!」


 それから、一言二言話して通話を切った。

 千尋は、ミケを避けるようにして、ベッドにうつ伏せに雪崩れ込んだ。

 シーツの冷たさが火照った頬に気持ちいい。

 ミケがいなかったら、きっとベッドの端から端まで転がり続けていたかもしれない。

 正直、こんなに上手くいくとは思っていなかった。

 目の前で揺れるミケの尻尾にじゃれると、ミケは一瞬顔を上げて、千尋のことを確認してから、また丸くなって眠り始めた。


 ――そういえば、デートって、何をするんだろうか。


 はた、と思い至って、飛び起きた。

 服は? プレゼントとか用意するべき?

 デートの場所は?

 気づけば、疑問符だらけだ。


「うぅ……どうしよう……」


 今度は混乱で、頭が熱くなってきた。

 初めてのデートだ。幸が喜んでくれるような、一日にしたい。

 千尋は体を起こすとスマホに手を伸ばした。

 いつもなら、公弘か勇樹に相談を持ちかけているところだが、今回ばかりは自力で調べようと思っている。

 まずは、デートスポットだ。


 ――よし、頑張るぞ。


 千尋はメモ用紙とペンを用意して、スマホで得た情報を書き記していく。

 四日も先のことなのに、今からもう楽しくて仕方がなかった。



 幸はドレッサーの鏡を覗き込んで、ほぅっと息を吐いた。


 ――クリスマスってことは、デート……だよね?


 千尋からの連絡が、いつものグループラインではなくて個人宛だったのを確認する。

 今もスマホを当てていた左耳が熱を帯びていて、胸がドキドキと高鳴っている。

 変なこと話してなかったかな。

 少し不安になりながらも、耳許で響く千尋の声を思い出して、またほぅっと息を漏らした。

 髪、どうしようかな。アップがいいかなぁ。

 服は、ニットのワンピースにコートを着て……リップはちょっと赤くしていこうかな。グロスにしておこうか。

 幸はコットンにたっぷりと化粧水を取って、頬に押し当てた。

 いつもより、少し乾燥している気がする。

 クリスマスまでに肌のコンディションを整えなきゃ。


「お母さんっ! パック一枚頂戴っ!」


 幸は二階の自室から、声をかけると、階段をバタバタと駆け下りた。



 二十四日までの一日一日、二人はラインでやりとりを交わした。

 なにが食べたいか。

 なにをしたいか。

 お互い、なんでもいいと言い掛けて、ちゃんと意見を出すことにした。

 こんなのはどうか。

 こういうお店はどうか。

 千尋は調べた情報から、幸の気に入りそうなお店をいくつか提案すると、幸が一つのお店に絞ってくれた。

 それから千尋が予約の電話を入れると、イブが平日の昼間ということもあって、意外とすんなりと予約は取れた。



 そして迎えたクリスマスイブ。

 千尋は全身鏡で服装を確認して、跳ねた横髪を直した。

 獅子屋のようにスタイルが良ければ、雑誌のモデルの格好をそのまま真似したのかもしれないけれど――千尋はいつもより少しだけ背伸びして、以前櫛田に教わったヘアセットをしてみた。

 服装も、伊達眼鏡を用意してみたり、ダークグリーンのカットソーにホワイトのPコート、グレーチェックのパンツ。

 そして、幸へのプレゼントを入れたボディバッグを肩に掛けて、手袋をはめると千尋は家を出た。





 

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