遥かなる、青に進め

遥かなる、青に進め 1


獅子屋ししや、書道パフォーマンス、やってもいいよ」


 先週の月曜日。羽鳥はとり 千尋ちひろは登校するなり、仰け反るように座っていた獅子屋 正親まさちかの胸倉を掴むと、千尋は少しだけ悔しそうに、宣言してやった。


 そう、確かに宣言してやったはずだった。


 千尋はぴぴぴと軽快な電子音に目を開いた。

 気だるげに、横になったまま、脇に挟んでいた体温計を抜いて視界まで持ってくると、眉根を寄せた。

 身体のだるさから嫌な予感はしていたものの、いざ数値で確認するとうんざりしてくる。

 

「三十七度か……」


 中学に入って初めて迎えたゴールデンウィーク。授業はなくても部活動があるため、完全に休みとは言えない中で、やっと勇樹ゆうき公弘きみひろと遊ぶ約束が出来たところだった。


 丁度、ゴールデンウィークの最後の日。これを逃せば、次の大型連休まで気安く誘えないだろう。

 千尋は枕の横に放っていたスマホを手にすると、ラインのグループに行けなくなったと謝罪のメッセージを送った。


「ふぅ……」


 咳とかはない。疲れが熱という形で表れたのだろう。


 ――いや、ストレスかも。


 最近あったあれこれを思い出すと頭が痛くなってくる。

 ベッドの下から茶トラの猫、ミケが顔をだして鳴いた。千尋が頭をそっと撫でてやると、気持ち良さそうに頭を預けていたが、ふとなにか思い出したようにドアの隙間から出ていってしまった。

 ミケに素っ気なくされて、二度目のため息が出そうになったところで、スマホが震えた。

 ゆるゆると手を伸ばすと、メッセージではなく着信だったのに驚き、千尋は慌てて耳元へスマホを持っていった。


「大丈夫か!?」


 出た途端に公弘の大きな声が響いて耳から離す。


「千尋ー? おーい、ちーひーーろーーー!!」


 勇樹が近くに居るのだろう、「うるさいよ」と諌める声がする。


「……公弘の声で死ぬかと思った」

「ごめんごめん。それで、具合はどうだ?」


 通話環境をスピーカーに切り替えたのだろうか。勇樹の声がはっきりすると同時に、風の音もマイクが拾う。


「大丈夫。疲れたか、知恵熱かだと思う」

「迷惑じゃなかったら、お見舞いに行っていい?  千尋と話したいこともあるし」


 勇樹の申し出が素直に嬉しくて、千尋は頷いた。


「来てよ、すっげぇ退屈だったんだ」


 千尋の部屋は家の二階の上がってすぐ横にある。六畳の部屋はグリーンとオフホワイトで統一されていて、シングルベッド、勉強机、本棚と学生向けのモデルルームのようだ。

 そうしたシンプルな部屋の中で、壁の至るところに貼られた絵画のポストカードが、千尋の部屋を特色あるものにしている。

 ゴッホにミレーにモネ。ダヴィンチにミケランジェロに葛飾北斎。風景画から人物画、西洋画から日本画まで、ジャンルに節操が無いのは、千尋の直感によるものだからだ。

 好きだと思える絵だったら、例え作者が無名でもポストカードを買って貼っている。

 コツコツとドアが控えめにノックされる。叩き方から勇樹だろうなと判断する。


「はーい」


 千尋が応えると、ドアが勢いよく開いた。開けたのは公弘だな、と推測をしていると、やはり公弘が顔を覗かせるなり乗り込んできた。


「千尋! 熱は?」

「大丈夫だって。三十七度じゃ死なないから」

「思ったより顔色良さそうじゃん。公弘がめっちゃ心配しててさ」


 後から入ってきた勇樹が右手に提げたコンビニの袋を顔のところまで持ってきてカサカサと鳴らした。


「千尋の好きなコンソメ味のポテチ買ってきたから、食べようぜ」

「さすが勇樹!」


 勇樹の心遣いに感動していると、千尋の母親、朝子あさこがそっとドアを開けた。


「はい、飲み物持ってきたわよ」


 朝子が勉強机にトレーを置いている間に、千尋は簡易テーブルの折り畳んである足を開いた。


「勇樹くんと公弘くん、遊びに来るの久しぶりね」


 勉強机から、テーブルへと飲み物を移す。タンブラーの中でサイダーが、光を浴びてキラキラ輝いている。


「いつもありがとうございます」


 朝子に丁寧に挨拶する勇樹と対照的に、公弘は照れているのか顔を俯かせた。


「ゆっくりしていってね」


 楽しそうに笑いながら、朝子は部屋を後にした。


「おばさん、元気そうだね」

「今日は二人が来てるから、いつもよりテンション高い気がする」

「変わらないよな、千尋のかーさん」


 テーブルの上にポテチ二種類とチョコを広げると、クッションの上に腰を下ろした。

 朝子がサイダーと一緒に持ってきたウエットティッシュで手を拭くと、それぞれ食べたいものに手を伸ばした。


「千尋、勇樹のやつ三組の吉河さんに告白されてたんだぜ」

「吉河さん?」


 勇樹が公弘に「ちょっと」と声をかけるものの、公弘はよほど話したいのだろう。言葉がするすると彼の口から出てくる。


里木さとき小の子。めっちゃスタイル良くて可愛いの」


 里木小、と言えば千尋のクラスに居る美人、八乙女 幸も卒業生だ。

 そういえば、先日獅子屋の家に幸を置いてきてしまったことを詫びたのだが、その後からなんとなく幸と上手く話せずにいた。

 幸も怒っているわけではなさそうだが、千尋同様気まずさを感じているらしい。


「八乙女さんといい、うちの学年美人多いよな」


 公弘のうっとりとした声に、幸のことを考えていた千尋は面食らった。


「……そうだね。それで、勇樹はどうするの」


 千尋と公弘の一連のやりとりを微笑みながら見ていた勇樹は、首を傾げた。


「どうって」

「付き合うのか?」


 公弘は興味津々といった然で、勇樹もはぐらかせないと察して、ゆっくり言葉を探しながら話し出す。


「……わかんない。どんな人かも知らないんだから」

「付き合ってから知っていけばいーじゃん」


 公弘が同じ立場なら、きっと相手のことなど知らなくても、フィーリングさえ合えば付き合うことを選択するだろう。

 それに対し、勇樹は付き合うことに対して慎重だ。千尋も勇樹と同じで、慎重かもしれない。

 恋愛以外でも、三人は服装から音楽から、趣味嗜好がそれぞれ違っていて、端から見れば一緒にいるのが不思議なレベルだ。


 千尋はふと、二人と仲良くなったときのことを思い出した。


 


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