遥かなる、青に進め 2


 三人が卒業した朝陽小学校は、六学年二クラスずつという編成になっていて、クラス替えは二年に一度行われていた。

 千尋と勇樹は、一年、二年と同じクラスに居たものの、違う友人グループに所属していたため、面識はあってもそれほど仲良くはなく、三年になって、グループの子と離れた千尋と、同じ状況の勇樹、そして隣のクラスの公弘が一緒のクラスになった。

 公弘は姉が二人いるせいか、当時からオシャレにも拘っていて、服に流行色をよく使い、髪型も毎回変えていた。

 釣り目がちで負けん気の強さが顔にも表れていたけれど、基本的にお調子者で兄貴肌だ。

 クラスの中心グループにいつも居て、先生を悩ますこともあったけれど、面倒見のいい公弘はよくクラスをまとめていたと思う。


 勇樹は緩く垂れた目をしていて、笑うと目尻に皺が入る。今でも変わらない、いつもすっきりとした短髪にしている。勉強が良くできたし、スポーツも万能だったために、クラスメイトだけでなく先生にも優等生として一目置かれていた。


 そんな二人と対照的に、千尋は当時、今よりもずっと病弱で、一人でひっそりと絵を描いているのが常だった。

 病院では友人と呼べる人が増えるなか、休みがちなせいで学校では誰かと深く関われなかったから。

 それから、体育は出れないことが多くて、体を動かすレクリエーションは大抵、先生の横で見学をする。

 クラス替えに馴染めない生徒が少なくなっていく中で、千尋だけ孤立したまま夏を迎えた。

 セミの声よりも少し早く、プール開きがあった。

 千尋も肌寒さを感じながらも何度かプールの授業に参加した。泳ぐのは得意ではないけれど、プールは好きだ。

 そして水温が心地好くなってきた頃に、男女混合のグループを二つ作ってリレー対決をすることになった。

 泳げない人も考慮して、二十五メートルプールの半分を繋いでいき、アンカーが二十五メートルを泳ぎきるというルールだ。


「羽鳥、出られそうか?」


 先生に確認されて、千尋はどうすべきか悩んだ。泳げる自信もないし、迷惑をかけるくらいなら見学をした方がいいのではないだろうかとも思えた。 


「出ろよ」


 振り返ると、公弘が仁王立ちで千尋を睨んでいた。


「お前が居ないとチームじゃないだろ」

「おい、南」


 先生より先に、公弘の肩に手を乗せて宥めようとしたのは勇樹だった。


「羽鳥は体が弱いし」

「だからなんだよ! 羽鳥、どんなに足引っ張ってもいいから、泳げるとこまで泳げよ。あとはオレが勝つから」


 後から知ったことだと、この時公弘は五歳離れた一番上のお姉さんの影響で、熱血先生のドラマを観ていたらしい。

 しかし、どんな背景があろうとも、弱気だった千尋の胸にこの言葉が響いたことには変わらない。


「先生、僕、リレーやりたいです」


 千尋はアンカーの前に泳ぐことになり、千尋の前を泳ぐのは勇樹になった。

 相手のチームはスイミングスクールに通っている子がアンカーに選ばれて、チームのみんなが負けると想定していたけれど、公弘だけがなぜか勝つことを確信していた。

 千尋は、六コースあるプールの、三コースの十二メートル辺りに立ち、勇樹が泳いでくるのを待った。緊張で体が固まっていて、たまに波に足が掬われそうになる。

 勇樹のクロールのフォームはお手本みたいに綺麗で、隣のチーム泳者をぐんぐん引き離していく。

 そして、千尋にハイタッチすると「頑張れ」と声をかけてくれた。千尋は強く肯いて、一生懸命に泳いだ。

 クロールをしているつもりだったけれど、犬掻きと変わらないくらいお粗末だった。やっと、公弘にたどり着いたとき、勇樹が作ってくれた差はわずかになってしまっていた。ハイタッチしながらも不安げな千尋に、公弘は歯を見せて豪快に笑った。 


「任せろ!」


 そして、いい勝負を繰り広げながら、スイミングスクールに通う敵チームのアンカーから、勝ちを取るという有言実行してしまったのだから、公弘の自信には恐れ入る。


 それから三人は、自然と一緒に過ごすことが増えていった。

 


「千尋、熱上がった?」


 勇樹が額に手を当ててきて、千尋は驚いた。

 千尋がボーッとしていたのを気にかけてくれたのだろう。


「大丈夫大丈夫、なんか昔のこと思い出してた」

「え、思い出すようなこと話してたっけ」


 勇樹はきょとんとした表情で、千尋に問う。


「僕たちさ、けっこう違うのによく一緒に居れるなぁって思ったんだよね。 それで、小三のプールのリレー思い出してた」

「あれって」


 勇樹と公弘は、口を揃えて、「最低だったな」と「最高だったな」という真逆の評価を下した。


「どこが最低だってんだよ」

「公弘が無理させたから、あのあと千尋が熱出したんだろ」

「でも、いい思い出だよ。僕にとっては」


 それからの千尋は、二人と仲良くなるにつれて、人と関わることも物怖じしなくなった。

 元からあった観察眼が磨かれて、千尋の周りはいつしか人が集まるようになっていった。


「……千尋はオレ達のことけっこう違うって思ってるけど、そんなことないと思う。オレと千尋は一人っ子だし、公弘と千尋はチョコ大好きだし……一回揃えてもないのに、みんな青色の服着てきたこともあったし」


 勇樹は一つずつ指を折り曲げながら、三人の接点を挙げていく。


「あれは酷かったよな」


 公弘が吹き出しながら笑った。そして、ふっと真面目な表情を作ると、千尋の方へ向き直った。


「……そんでさ、千尋は今回なんで熱出したんだ? オレ達との接点云々じゃないだろ?」


 すっかり二人と居るのが楽しくて忘れかけていたが、千尋には頭の隅に転がっていた問題があった。

 一度深呼吸をして、千尋は実はと口を切った。


「獅子屋ってヤツに誘われて、書道パフォーマンスをしようと思ってるんだ」


 早速、公弘が書道パフォーマンスについて疑問符を浮かべているので、千尋はスマホを取り出して動画を流した。

 勇樹も公弘も興味深く見入っている。

 千尋は、こうして千尋のことを知ろうとしてくれる二人を、けっこう違う、なんて思っていた自分を恥じた。

 三人が一緒に居るのは、公弘が面倒見がいいからでも、勇樹が優しいからでもないのだろう。

 動画が終わって、二人は顔を上げた。

 二人の目がキラキラと輝いている。きっと、千尋も初見は同じ表情をしていた。


 だから、獅子屋は千尋を誘い続けたはずだ。












 




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