遥かなる、青に進め 3
「テレビで少しだけ見たことあるけど、団体だとまた違うなぁ」
「すげぇな、これ。千尋、いつの間にこんなの始めてたんだ?」
二人それぞれに興奮をしているのと対照的に、千尋のテンションはみるみる下がっていく。
「いや、それが……まだ始めてはないんだよね」
ついに千尋の肩ががっくりと下がる。本日二回目の盛大なため息をつくと、千尋はあったことをぽつりぽつりと語り始めた。
「獅子屋、書道パフォーマンス、やってもいいよ」
先週の月曜日。千尋は登校するなり、仰け反るように座っていた獅子屋 正親の胸倉を掴むと、そう宣言してやった。
「おお、よろしく頼む」
獅子屋はもっさりした前髪の下の口を、にんまりと大きく緩ませて笑った。
しかし、それからと言うものの、休み時間になればチャイムの音と共にどこかに行ってしまい、放課後すら捕まえられない。タイミングよく捕まえたところで、飄々と去ってしまう。
「獅子屋、僕達、書道パフォーマンスするんだよな?」
一度、そう問い詰めたら、獅子屋はなぜそんなこと聞くのかと言わんばかりの表情で「当たり前だろ」と返してきた。
訊いた千尋のほうが面食らってしまった始末だ。
しかし、そこから先の話はない。活動方針が決まらないので、千尋もいつものように授業を受けて、放課後は美術部で黙々と作業をして帰る日々を送った。
そんな中で、美術部の部長、小山が千尋の作品を覗くようにして話しかけてきた。
「羽鳥くんって、人物画は描かないの?」
肩の少し上くらいの長さでボブヘアーをしてる小山の、垂れてきた髪を耳にかける仕草が千尋はなんだか好きだった。
柔らかそうな栗色の髪が、指先からするりと抜けていく。
「苦手なんですよ。いつもバランスが崩れるから」
「そうなのね。今度みんなでモデルを交代しながら、写生会でもしようと思うんだけど……どうかしら?」
「それ、やりたいです!」
誰かをモデルに描けることはなかなかない。千尋は小山の提案を小躍りしたい気持ちで受け入れた。
「良かった、喜んでもらえて。あとは松下くんに訊いてみるね」
千尋と同じクラスの松下は、今日も黙々と油絵に力を注いでいる。
「あ、あの、部長。兼部って、今からでも可能ですか」
「ええ。でも、もう一つの部活はこれから入部するの?」
「はい、書道パフォーマンスをしたいので、書道部に」
それまで和やかだった小山の表情が曇った。
「……書道部?」
――あれ、なんかまずかった?
犬猿の仲なのかと思った千尋だったが、小山の口から予想と違う答えが帰ってきた。
「んー……書道部で、書道パフォーマンスをしているって聞いたことないのよね」
「え?」
美術室は水道が設置されている以外は、教室の作りと変わらない。小山は前の席の椅子に、横向きに腰を下ろすと、千尋と同じ目線になってから話を続けた。
「書道部の部長、
――部長、さらっと酷いこと言ったな。
「少しだけ行ってきていいですか?」
どうぞ、と小山は微笑んで見送ってくれた。
美術室は校舎の北館一階にあるのに対して、書道部が使っている空き教室は南館二階にある。コの字型の校舎を南館に進んで行くと、すれ違う人が千尋よりも頭一つ分以上大きくなった。
特別教室を除けば、北館は一、二年の教室が固まっているのに対し、南館は三年のみだ。
さすがに千尋もすこしばかり緊張をしていた。
二階の奥の空いている教室だよ、という小山の言葉を反芻しながら、階段を上がる。目的の教室に、書道部と豪快な筆遣いで書かれた書が垂れていた。
千尋は一度喉を鳴らすと、鼻から息を吸って、右手の拳で控えめにノックした。
「はい」
現れたのは、眼鏡の女子生徒だった。細身だけれど千尋より目線が高く、一六〇センチはありそうだ。千尋からすると、壁のように感じた。
千尋を見下ろす切れ長の目は、先ほど美術室で座って居たときに小山に見下ろされたのと全く違う。
鋭く冷たい視線にプレッシャーを感じて、半歩下がった。
「……なに?」
――この人が逆瀬部長か。
小山の言うことが決して誇張されているわけではなく、本当に堅物なのだろう。乱れのない真っ黒なポニーテール。セーラー服のスカート丈が、昔の不良のようにふくらはぎ辺りまでだらりと長い。
「あ、あの……僕、書道パフォー」
話す途中にも関わらず、逆瀬部長と思しき人物は千尋の胸倉を掴むなり、キスでもしそうなほどの近さで、千尋を睨みつけた。
「まったく、どいつもこいつも! いいか! うちは書道パフォーマンスなんて軟弱なものはしていないんだ! 一昨日来やがれ!!」
問答無用と言わんばかりに、千尋を突き放すと、扉を勢い良く閉めてしまった。
残された千尋は何故怒鳴られて、突き放されたのかさっぱりわからず、その場にへたりこんでしまった。
その後どうやって美術室に戻ったのか記憶は定かではなく、小山の「大丈夫?」の一言で我に返った。
そうして、放心状態が続くなか、ゴールデンウィークを迎えたのだった。
千尋の肩を労うように叩いた公弘は目尻に涙を浮かべていた。
「大変だったな」
「本当だよ、なんで僕がこんな目に」
獅子屋と逆瀬が、千尋の頭の中で輪を作って回っている。
「獅子屋ってさ、千尋のクラスのでっかいヤツだよな」
勇樹の問いに、千尋は肯いて答えた。
「……前にさ、担任に用事があって、部活の前に一年の職員室に行ったときなんだけどさ」
東南中学では、学年の担任用に小さい職員室が設置されている。一年の職員室は同じ四階の丁度真ん中、三組と四組の間にある。
「獅子屋、職員室の前で土下座してて、千尋のとこの担任慌ててたよ」
初めて聞く話に、千尋は眉根を寄せた。
「なに、それ」
「たぶん、オレくらいしか見てないんだ。だから千尋の耳に入らなかったんだろうけど、一回話し合ってみたら?」
勇樹は柔らかく微笑んだ。眦にある皺に温かみを感じる。
「……うん。そうする」
それから、一時間くらいお互いの近況を話して、二人は帰ることになった。
「長々ごめんな」
「ううん、呼んだの僕だし。二人と話せてよかったよ」
クラスも部活も違うため、こうして機会を作らなければゆっくりと会えない。
「千尋、オレ、初めてキャッチャーやるつもりなんだ。千尋と同じ、初めて」
勇樹は手の平を広げて、球を受け取る素振りをしてみせた。
「だからさ、お互い頑張ろうぜ」
「試合見に来いよ、オレもホームラン打ってやるからな」
「楽しみにしてる」
二人が帰ったあとの玄関で、千尋は大きく深呼吸をした。
ちゃんと、獅子屋と話そう。
書道パフォーマンスをどうしていくのか。
そして、土下座の理由はなんだったのか。
話さなければいけないことが、山積みだ。
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