遥かなる、青に進め 6
「……獅子屋は書道が嫌だから書道パフォーマンスを始めたわけじゃないだろ」
――お前の絵となら、もう一回書いてみたいと思ったんだ。
獅子屋が千尋を初めて誘ったとき、そう言っていたのは記憶に新しい。
「当たり前だろ。書道パフォーマンス甲子園では、書の美しさも審査対象だからな。切り離して考えたことはない」
きっと獅子屋の中で、表現の方法が変わったとしても、書道を愛する気持ちに変わりはない。
「じゃあ、逆瀬部長も分かってくれるだろ」
「……まあ、そうなるといいな」
「そのためにも、色々考えようぜ」
「おう」
一週間で道具を揃えて練習をしなければならない。
時間を無駄にしないためにも、二人は計画を立て始めた。
それから濃密な一週間が経ち、千尋と獅子屋は書道部の前に立った。
揃いの真っ黒のジャージ。獅子屋はコーム付きのカチューシャで前髪をがっつり上げている。
「緊張してるかも」
千尋は両手を拳にしては開いてを繰り返した。
「やれることはやっただろ」
獅子屋はこれから走り出しそうなほど入念にストレッチしている。
獅子屋なりに緊張を解しているのだろう。
「……よし、行こうか」
戸を開けると、先日あの騒ぎでも自分のことに集中していた部員、全員の視線が二人を包んだ。
それぞれ準備を済ませると、千尋と獅子屋は視線を交わした。いつもと違い、はっきりと獅子屋の表情が分かる。
やっぱり、普段から前髪を上げたほうがいいのではないかと千尋は思った。
「……よろしくお願いします」
書道部の面々に深く頭を下げて、千尋は黒板に横向きに貼った模造紙に向かい、獅子屋は教卓の上に半紙を並べた。
さすがに書道パフォーマンス甲子園のような大きな書は出来なかった。一週間で出来る精一杯を形にした結果が模造紙パフォーマンスだ。
千尋の準備が終わったのを確認して、獅子屋が教卓の端に置いたスマホの、予め用意しておいた音楽の再生ボタンを押した。
流れ始めたのは、『アイーダ』という歌劇の中でも有名な凱旋行進曲だ。サッカーでよく耳にする、クラシックを聞かない人にも馴染み深い曲でもある。
曲が流れると同時に、千尋は左手に持ったパレットから筆で色を掬い上げると、模造紙に豪快に塗りたくる。
教卓の獅子屋は、半紙に素早く文字を書き始めた。
千尋は模造紙の下半分に緑を、上半分に濃い青を塗っていく。
獅子屋は書き終わったのだろうか。筆を置くと、書体の違う『道』と書かれた三枚の半紙を一枚ずつ掲げて見せた。観客である書道部の面々の視線が、獅子屋に注がれる。
パフォーマンスも中盤に差し掛かり、BGMが盛り上がり始める。
獅子屋は紙を重ねると、一気に引き裂いた。
周囲から驚きで声が漏れる。
獅子屋はさらに一辺を五センチほどに細かくすると、教卓に並べ始めた。
その間に、千尋は模造紙に背景を完成させた。青空に雲が悠々と浮かび、何色もの重ねた緑が青々と生い茂る草原を思わせる。
千尋と獅子屋は場所を入れ替えると、模造紙の青空の部分に獅子屋が詩を入れていく。
そして、獅子屋が上に文字を入れている間に、千尋は先程獅子屋の引き裂いた半紙をまだ絵の具の乾いていない模造紙に貼っていった。
三つの書体の違う『道』が貼り合わされて、新しく『道』の字が生まれる。
曲が終わると同時に、二人の作業も終わった。
鮮やかな夏の風景の中心に、千尋が貼り合わせて出来た『道』の字。
そして、青空の部分に獅子屋が書いた『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』。高村光太郎の詩、道程の一節だ。
二人は声を合わせて詩を読み上げると、深々と頭を下げた。
お互いの荒い息遣いしか聞こえない。作品はちゃんと完成しているだろうか。出来上がった姿をまじまじと見ていないので、どうなっているのかが気になる。
やがて、ぱちぱちと、一人の拍手が広がって、教室中に拍手の音が響いた。
二人が顔を上げると、さらに拍手は大きくなった。
「すごいやんかぁ、一週間で素人がやったなら上等やと思うで」
「まだまだだろ。字はまあまあだが、文字を貼り合わせるなんて聞いたことも無い。音楽も上手く使えていないし、パフォーマンスとしても微妙だ」
逆瀬の評価は手厳しい。
けれど、付け焼き刃の技術だ。厳しい評価を甘んじて受ける。
「……でもまあ、意外性はあった。それに、わたしの言葉から『道』にしたんだろ」
――いいか。書道は剣道や柔道と同じで道が付く。道を究めるためのものなんだ。
逆瀬の言葉から、『道』を書こうというのは、千尋と獅子屋の中ですぐに決まった。
「はい。逆瀬部長と獅子屋は、表現が違うだけで、書道を好きな気持ちは変わらないと思います。獅子屋に『道』を三種類書いてもらったのは、それが表現できたらなと思って」
いつか、違う『道』を選んだ二人が、分かり合える日が来るように。そんな願いを、千尋は込めていた。
「へぇ。ちゃんと考えてんねんなぁ」
「僕は美術部に所属しています。美術のコラージュという技法から着想を得て、やってみました」
「逆瀬さん、オレ達を書道部へ置いてください」
獅子屋が逆瀬に深々と頭を下げると、千尋も頭を下げた。
「お願いします」
合わせようとしたつもりはなかったが、二人の声が綺麗に揃う。
逆瀬は、大きくため息をついた。
「仕方ない、出来に関しては大目に見てやる。だが、書道部の看板に泥を塗るようなことがあったらすぐに叩き出すからな」
――やっと、これで、活動できる。
今終わったパフォーマンスが気持ちよくて、千尋は早く活動を始めたくて仕方ない。
獅子屋と拳を突き合わせて喜んで居ると、逆瀬が二人の肩に手を置いた。
「……ところでお前達、書道パフォーマンスをどこで披露するつもりだ」
「え?」
逆瀬の質問の意図が分からず、千尋はきょとんとした顔で逆瀬を見返す。
「言っておくが、書道パフォーマンス甲子園は高校生しか参加できないぞ。
まあ、道に背かず、青雲の志を抱いて頑張れよ」
書道パフォーマンス甲子園に参加できない。
思いがけない言葉に、千尋は目の前が真っ暗になった。
つづく
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