道から、道へ
道から、道へ。 1
季節が巡って、春。
まだ桜の咲かない、三月の半ば。
春とは名ばかりで、まだ肌寒く、風が吹く度に震えてしまいそうになる。
それでも、窓から入ってくる日差しは柔らかくて暖かく、
卒業式の行われる体育館は、陽が入らないため、この教室よりもずっと寒いことだろう。
千尋は式の行われる体育館のほうを見詰めた。
先ほどまで校庭に見えた保護者達も、体育館へと案内されていた。いよいよ始まるところだろうか。
お見送りは生徒会と二年生に任されていて、千尋達はこうして書道パフォーマンス用に借りている教室で、式が無事に終わるのを待っていた。
すでに、教室の半分を使って紙が敷かれていて、墨もバケツ二つ分用意してある。
黒板には、松下にも協力してもらって、卒業おめでとうと松下力作の黒板アートが施されている。
彼は描くなり帰ってしまったけれど、美術部の先輩方にあとで伝えておこう。
今回は二人とも学ラン姿で待機していた。
獅子屋はもうヘアゴムで前髪をくくっていて、いつでも書ける準備が出来ている。
「あっという間だったな」
「そうだな」
獅子屋に書道パフォーマンスをしようと誘われてから、本当に色々なことがあった。
活動場所を得るために動き、逆瀬に頭を下げ、書道部に在籍させてもらった。
自分たちで考えながら、時にアドバイスしてもらいながら、一歩ずつ着実に獅子屋と千尋は書道パフォーマンスをしてきた。
最初は否定的だった逆瀬も、入部してからはとても面倒を見てくれた。
そして、逆瀬が見てくれるようになると、他の先輩も教えてくれるようになっていった。
初心者の千尋にとって、とてもありがたかった。
それから、書道部以外に、美術部の先輩方にも千尋のエゴで声を掛けさせてもらった。
美術部も最初は色紙と花だけということだったけれど、元部長の小山に、千尋は恩を感じていた。
一度は辞めようかと思ったこともあったし、兼部を許してもらえなかったら、獅子屋とこんなに楽しい思い出を作ってこれなかっただろう。
式は無事に終わったようで、校庭には三年生で溢れていた。
笑い声。泣き声。
たくさんの感情で溢れた声が、この教室にまで響いてきた。
体育館から、二年生の作った花道を通って最後のアーチを潜ると、それぞれ仲の良い生徒達で写真を撮ったり、話をしたりして別れを惜しんでいる。
そんな中、静かな校舎内に足音が聞こえてきた。
賑やかな声も聞こえてくる。
きっと先導してくれているのは、屋古だ。
そして、入ってきたのは、いつもの笑顔をした小山と目を赤く晴らした逆瀬だった。
「ご卒業おめでとうございます!」
千尋と獅子屋は深く頭を下げて、そして顔を上げた。
書道部の先輩も、美術部の先輩もみんな来てくれたようだ。制服の胸に、赤い花を付けている。
千尋は、小学校の卒業式を思い出した。
この日のために練習をしながら、ずっとこの日が来なければいいと思っていた。
屋古に手伝ってもらって、BGMが流れ始めた。森山直太郎の『さくら』だ。
千尋達は五十センチほどの大きな筆で、高村光太郎の詩、『道程』の一節を書き始めた。
逆瀬に書道部へ入部することを認めてもらうために書いた、あの一節だ。
『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』。
あのとき、千尋はまだまともに筆すら持ったことのない素人で、獅子屋が全文を書いていた。
今は違う。獅子屋と手分けして書くと、今度は筆を持ち替えた。
二十センチくらいの、半紙に書く一般的なサイズの筆だ。
獅子屋とアイコンタクトを交わすと、書き始めた。
高村光太郎の詩、『道程』は雑誌に発表されたとき、百行を超える詩だった。
教科書に載っているのは、編集されたものだと聞く。
千尋達は先に書いた一節の間を縫うように、書いていた前の文を書き足した。
『步け、步け
どんなものが出てきても乗り越して步け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ』
丁度、BGMが終わる。
千尋達は息を合わせて読み上げた。
「步け、步け
どんなものが出て来ても乗り越して步け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」
一瞬の静寂のあと、拍手と歓声が上がった。
中には泣いている人もいる。
逆瀬が腕を広げて、二人に抱きつく形で飛び込んできた。
「……ありがとうな。お前達の道程に付き合えてよかったよ。
励めよ。お前達なら、もっと上手くなれる」
振り絞るような逆瀬の声に、千尋も貰い泣きしてしまいそうだった。
獅子屋も、じっとして動かない。千尋からは見えなかったけれど、感極まっているのかもしれない。
「逆瀬先輩……」
「羽鳥くん、わたしもありがとう」
小山が千尋の肩を優しく叩く。
小山の目にも、うっすらと涙が浮かんでいるのがわかった。
「本当は、羽鳥くんが美術部で居辛そうにしていること、わかってたけど……ずっと、なにもしてあげられなくてごめんね。
今日は素晴らしいパフォーマンスありがとう」
「小山先輩、そんなこと言わないでください。僕は美術部に入れて、居れたこと感謝してます。
小山先輩が部長でいてくれてよかったです」
また拍手に包まれて、千尋は安堵した。
みんなに、おめでとうとありがとうが届いたのだとやっと実感できた。
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