思う念力 岩をも通す

思う念力 岩をも通す 1

 九月二十日。気持いいほど透通った青空が、窓の外に広がっている。天気予報によれば明日の運動会も晴天に恵まれるらしい。

 母の朝子が気合を入れてメイクをしているのを横目に、千尋は急いで玄関に向かった。

 お気に入りの黒い靴を履いて、カバンを背負うと忘れ物が無いかもう一度確認をする。

 鍵に、スマホ、ハンカチにティッシュ……忘れ物はなさそうだ。


「気をつけてな。父さん達も、あとで千尋の作品を見に行くよ」

「うん、行ってきます」


 今日は父の良夫に見送られて、千尋は元気よく駆け出した。



 



 学校は、日昇祭にっしょうさいと屋上のフェンスに掲げられており、あちこちバルーンや紙の花なんかによって華やかに飾りつけられている。

 千尋は自分の机にカバンを置くと、クラスメイトとの挨拶もそこそこに体育館へと向かった。

 オープニングに関わっている生徒会や放送委員会は、登校次第体育館集まることになっている。

 教室には既に獅子屋の席にはカバンが置いてあった。もう体育館に居るのだろう。

 千尋と獅子屋も、オープニングに出演をするため、教室で集まらずに体育館で支度をすることになっている。

 校舎から体育館へと続く渡り廊下の途中、ポケットに入れていたスマホが振動して立ち止まった。

 入院中同室になった、東南高校に通っているという真藤しんどうからだった。

 彼は、偶然にも書道に精通しているらしく、千尋に丁寧にアドバイスをくれた。入院で練習を休まなくてはならなくなって、焦っていた千尋にとって、恩人ともいうべき人物だ。

 ラインには、今日の学園祭の成功を願うというメッセージと「よければ書道パフォーマンスの様子を撮ってくれないか」と書かれていた。


 ――断る理由もない、よな。


 千尋は「わかりました」と一言返すと、スマホを仕舞った。



 爽やかな風が吹いている。

 筆で払ったような薄い雲が、ゆっくりと流れていく。

 千尋は風に背を押されたような気がして、一歩踏み出した。







 体育館は開け放たれていて、すでにステージの上から舞台裏、パイプ椅子の並べられた生徒の座る方まで慌しく生徒と教師が走り回っている。


「羽鳥くん、こっち」


 舞台の袖から櫛田が顔を覗かせて、千尋を手招きした。

 ステージによじ登って、櫛田の元へ向かうと、獅子屋が既に袴に着替えていた。


「おはよう、二人とも」

「おう」

「おはよう、羽鳥くん」


 櫛田に用意してもらった袴は千尋も獅子屋も同じもので、上は真っ白で、下は墨色のものだ。

 モデルのような綺麗なバランスの体躯をした獅子屋は、袴もあっさりと着こなして、余裕の欠伸をかましている。

 千尋ももうそんな獅子屋に慣れて、嫉妬も羨望も無かった。


「次は羽鳥くんね」

「櫛田さん、着付けまでありがとう」

「気にしないで。好きでやってることだから」


 人が多く出入りして騒がしい舞台袖。

 その端で、櫛田は千尋の周りを回りながら、人形にでも着せ替えるかのように整えていく。

 獅子屋は胡坐をかきながら壁に寄りかかって、今にも寝そうだ。


「……はい、出来た。今日一日着てていいけど、着崩れたら言ってね」


 千尋は着せてもらった袴を見下ろす。

 普段着ないものを着るというのは、照れがあるものの、いつもと違う自分を感じさせる。

 櫛田のコスプレが好きなのも、少しわかった気がする。


「ところで、獅子屋くん」

「んあ?」

「髪、そのまま行く訳じゃないわよね」

「ゴムならあるけど」


 獅子屋の人差し指には黒いヘアゴムが引っかかっている。


「ダサくなるから止めて」


 刃物のような鋭い視線で、獅子屋を一刀両断していく。

 獅子屋も櫛田には弱いのか、反論せずにいる。


「……こうなったら仕方ないわね。わたしがやってあげる」


 そう言いながら、彼女は手のひらサイズのブルーの丸いケースを取り出す。


「ヘアワックスは校則でダメなんじゃないのか?」

「予め先生には言っておいたわ。見た目の華やかさも書道パフォーマンスに必要なんで、お願いしますって言ったら許可が下りた」


 言うなり、櫛田は獅子屋の髪をがっしり掴んで、粘土で遊ぶかのように自由にこねくり回している。

 獅子屋の鬱陶しい前髪は右に流され、おしゃれに纏められて、眠たげな猫目が露わになる。

 その慣れた手さばきに思わず感嘆の声が漏れた。


「羽鳥くんもやる?」

「やる!」


 千尋は前のめりに答えた。

 櫛田は目を白黒させて、二度瞬きすると、くすくすと笑った。


「任せて」







「おはよう」


 生徒会長と一緒に屋古が姿を見せた。


「なんや、えらい気合入っとるなぁ」


 千尋と獅子屋の変身ぶりに、屋古は驚いたのも束の間、笑いを堪えている。


「なんですか」

「いやいや、かっこよくなったなぁって思って」

「本当に褒めてます? 笑いすぎですよ、屋古先輩」


 千尋は前髪の右半分を掻き上げる形にしてもらった。

 いつもは隠されているおでこが剥き出しなのが、なんだか気恥ずかしい。

 櫛田は千尋のセットを終えると、教室へと戻って行ってしまった。

 似合っているのか、いないのか、自信がなくて思わず左側の前髪を指で弄ぶ。

 そんな中、ぐっと親指を突き立てて生徒会長が笑った。

 焼けた肌に真っ白な歯が煌めく。


「袴いいなぁ! 期待しているぞ!」


 千尋と獅子屋は力強く頷き、揃って「はい」と応えた。




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