天の青さ 日の白さ 4



 手の甲で力任せに涙を拭うと、千尋は姿勢を正して、公弘に向かって頭を下げた。


「ずっと、黙っていてごめん。僕も八乙女さんのこと、好きだ」


 獅子屋の家に赴くときに、一緒に居てくれたこと。

 席替えのときの一悶着あったとき、千尋と赤井の間に勇気を出して立ちはだかってくれたこと。

 手作りの落款印をくれて、応援してくれたこと。

 そして、隣の席に居て、笑ってくれていること。


 初めて、誰かに対して、こんなに強く胸を打ち鳴らした。

 苦しくなったり、切なくなったり、でも、走り回りたいくらい嬉しくなったり――きっと、これは恋だ。


「なあ、泣くなよ」


 公弘の優しい声が降ってくる。その優しさが余計に辛い。

 公弘がフラれたことに、心のどこかで、少しでもホッとしてしまった自分を本当は責めてほしい。


「ちーひーろー」


 涙とはなみずだらけの顔を無理矢理上げさせられると、千尋の目には公弘の太陽みたいな笑顔が見えた。


「ばーか」

「ば、ばかって……」

「お前と同じ人好きになったからって、オレが譲ると思ってんのか。今回はたまたまフラれただけだ」

「それは」

「それに、誰がなんて言おうと、邪魔しようと、お前はオレの親友だ」


 ――そうだ、公弘は、こういうヤツだ。


「親友なんだから、変に遠慮してんなよ」

「……うん」


 洟を啜る千尋に、横からハンカチが差し出された。


「まあまあ、そのくらいで」


 勇樹の垂れ目がふにゃりと垂れた。


「なんかさ、二人を見てると恋したくなるよね」

「……勇樹、三組の吉河さんは?」


 勇樹は聞いていなかったとばかりに首を傾げて、公弘の問いをかわした。

 公弘も勇樹が答えを返してくれないと察したのだろう。今回は潔く諦めたらしい。

 日が傾き、山からの風が吹いて、少し涼しくなってきた。


「そろそろ帰ろうか」


 三人で立ち上がって、体に付いた葉っぱを落とす。


「あのさ……僕も二人のこと、ちゃんと親友だって思ってるからね」


 千尋が何気ない風を装って言うと、二人から「知ってる」と返ってきた。

 それでも、きっとこの先も何度も伝えようと思う。

 この感情が風化してしまわないように。




 翌日、千尋は四階からの階段を跳ぶように駆け降りていた。

 一時間前が美術の授業だったため、美術室にペンケースを忘れてきてしまった。

 次の授業までに、と慌てて駆ける。幸い人が少ないから、ぶつかる心配はない。

 毎日教室のある四階まで上っているからか、最近獅子屋と走っていたお陰か、息切れは少ない気がする。

 戸が開けられていたため、そのまま勢いよく駆け込むと、そこに見知った人物がいた。


「小山部長?」

「あら、羽鳥くん」


 いつものように、髪を耳にかけて、小山は笑った。


「スケッチブックを取りに来たの。羽鳥くんは?」

「僕はペンケースを取りに……あ、あった」

「……なにか、いいことあった?」


 小山にそう訊かれて、千尋は間抜けな声を上げて振り向いた。


「羽鳥くん、嬉しそうだったから」


 ――恐るべし、小山部長。


「試験が終わったら、夏休みの展示と、それから文化祭に向かって制作していくことになるから、頑張ろうね」


 小山は優雅に微笑む。そして教室を出る前に立ち止まって、振り返った。


「そうだ、これよかったら。この前の書道パフォーマンスのモデル代に」


 小山がくれた封筒には、美術館で次に展示される作品のペア招待券が入っていた。


「好きな子か、獅子屋くんと行ってね」


 千尋は思わず顔を押さえた。


 ――お、恐るべし、小山部長。




 教室に戻ると、ギリギリでチャイムが鳴り始めて、慌てて席に着く。心配してくれた幸が「大丈夫?」と声をかけてきた。


「大丈夫、ありがとう」


 流石に帰りは息が弾んだ。千尋は呼吸を整えながら、小声でそう返す。


「授業始めるぞー」


 三森のやたら気合の満ちた声を聞きながら、千尋は机の横のバッグに手を伸ばした。

 今なら、ちゃんと渡せる気がしたからだ。

 『雨』の書に、先程小山に貰った招待券を一枚添えて、そっと机の上を滑らすようにして幸の元へ届けた。


「え?」

「……受け取って、くれますか」


 幸は千尋からのプレゼントをまじまじと見つめて、頬を染めて肯いた。






つづく




 






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