朝虹は雨 夕虹は晴れ 2
翌日は朝から雨だった。
水溜りを避けながら、ゆっくりと歩いて登校する。校舎の向こうに聳える山は、白い雲にすっぽりと覆われている。
外の静寂が嘘のように、雨の日の玄関は賑やかだ。下駄箱に、黒地に銀のラインが入っているお気に入りのスニーカーを納めて、爪先で上履きの履き心地を調整していると、肩を叩かれた。
「おはよう、千尋」
「あ、おはよう。公弘」
傘を畳み、公弘が隣で靴を履き替える。二人は久しぶりに教室までの道を肩を並べて、話ながら歩いた。
クラスも部活も違うせいで、近況の話は尽きない。
ゆっくり歩いていたはずなのに、教室までの道のりはあっという間に過ぎてしまった。
「雨で朝練無くなったから、なんかだるいんだよなぁ。今日は体育あるからいいけどさ。んじゃあな」
「おー」
公弘は右手を軽く上げて、千尋の教室の反対方向にある、四組の教室へと向かって行った。
朝のざわめきの中、千尋も自分の教室へと踏み入れる。
「おはよう」
千尋が挨拶をすると、あちこちから「おはよう」と返ってきた。
「おはよう、獅子屋」
「ああ」
おはようと言っているのか、獅子屋の声は欠伸によって掻き消されてしまって、何を言っているのかわからなかった。
ボサボサの髪は湿気のせいか、さらにボサボサになっている。
「なあ、昨日……」
「おはよう、羽鳥くん」
「あ、おはよう。
幸は挨拶をすると、女子のグループへと去って行った。千尋はその背を視線で追っていたが、掛ける言葉が浮かばなかった。
「千尋?」
「あー……またあとで」
獅子屋に、昨日幸と居たことを聞きたかったけれど、すっかり気が削がれて自分の席に行くことにした。
千尋の席は、窓側の前の方なので、教室の後ろから入るとすれ違う人も多く、挨拶の回数も増える。
「はよー、羽鳥」
最後に千尋の後ろの席の広瀬が声を掛けてきた。
「おはよう、広瀬」
千尋が座るなり、広瀬は乗り出すようにして千尋に耳打ちしてきた。
「今日、席替えするらしいぞ」
「席替え?」
そういえば、入学して以降一度も席替えをしていない。今の席順は五十音順だ。
「やっぱ、八乙女さんと一緒になりたいよなぁ」
広瀬の小さく呟いた一言が、千尋の耳に強く残る。
昨日獅子屋と親しそうにしていた幸の姿を思い出して、千尋の胸はきゅっと痛んだ。
「チャイム鳴るぞー、座れー」
担任の
雨の気だるさの残る教室内に、三森のテンションは浮いて見える。いつもどこか生徒たちとの間に温度差があって、千尋も苦手に思っていた。
「今日は、六時間目のホームルームで席替えをしようと思います」
三森の一言に、静まったはずの教室は、波紋が広がるようにざわめきが起こった。
「はいはい、静かにー。最初にどうやって決めるかを話し合うので、それぞれ考えて案を出してくれ」
誰と同じ班になるだろうか。
千尋が振り返ると、獅子屋が大きく欠伸をしていた。
――自由だなぁ。
マイペースな獅子屋を見ていると、周囲に気遣って肩肘はっている自分に気付く。
獅子屋なら、誰と一緒になろうが気にしないだろうか。それとも、やっぱり誰かと一緒の班になりたいと思うだろうか。
姿勢を戻そうとすると、松下と目があった。
松下は眼鏡の位置を直すと、千尋から目を逸らした。
――なんだよ。変なヤツ。
千尋は座り直すと、一時間目の数学の支度を始めた。
窓の外は薄暗くて、教室の明かりが窓に反射して映っている。雨の音が微かに響いていた。
放課後。千尋と獅子屋は廊下を走っていた。本来は走ったら怒られるところだが、幸い目的地まで怒るような人はいなかった。
息を切らしながら書道部の教室へ駆け込むと、部長の逆瀬が仁王立ちをして立ちはだかっていた。
「遅い!」
「すみません」
千尋が肩で息をしながら頭を下げている横で、獅子屋は頬を掻いていた。
獅子屋は息ひとつ切らしていない。
「席替えで担任が張り切っちゃって」
千尋が獅子屋の言葉を訂正しようと考えていると、逆瀬が溜息をついた。
「担任って三森か」
「こーら、逆瀬さん。三森先生、でしょ」
「はーい。……あの人変に力入ってて、好かないんだよなぁ。とはいえ、遅刻は遅刻だ。理由を書いて先生に出すように」
「はーい」
千尋と獅子屋は窓際の前側の席に、隣り合って腰を下ろした。
逆瀬の差し出した遅刻理由を書く紙に、千尋はなんて書こうか逡巡していると、獅子屋はもう書き終わったのか顧問の
獅子屋が言ったのはあながち間違いでもなく、実際、遅れてしまったのは三森のせいもある。
六時間目のホームルーム。席替えをするということで、クラス内は大いに賑わっていた。
千尋の所属する一年五組は、平和で穏やかなクラスではあるが、同じ班になるならば仲のいい人と組みたいというのが本音である。
千尋は誰とでも構わないとは思っていたが、強いて言えば獅子屋と一緒に――と考えていた矢先に三森が声を上げた。
「お前たち、好きな者同士が集まるだけで班が出来ると思うか?」
周囲を見ると、三人のグループも居れば、二人のグループも居る。中にはすでに、男女で六人のグループが出来ている。
そんな中、千尋のように、まだ誰とも纏まっていない人もいる。
「自分たちのことばっかり考えたグループになってるんじゃないか? 席に座っているやつはどこのグループに入るんだ?」
三森の言っていることは概ね正論で、生徒たちは言い返せずに口を閉ざしてしまった。
そこから席替えは何も進まず、時間ばかりが過ぎていく。しかし、チャイムが鳴っても、三森は開放しなかった。
「……今日の席替えは中止だ。明後日のロングホームルームで決まらなかったら、一学期中今の席のままにするぞ」
放課後、三十分も経ってからそう告げると、帰りの挨拶もそこそこに三森は教室を去っていった。
やっと開放されたクラスメイトたちの表情は今日の空よりも重苦しかった。
千尋は明後日が同じ結末にならないことを祈りつつ、遅刻理由を書いて提出した。
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