言葉を有するほどの思いならば、

言葉を有するほどの思いならば、 1



 すっかり肌寒くなって、長袖の学ランが心地よくなってきた。

 窓の向こうに見える山々は青さが薄れて、そろそろと赤や黄が差してくる。

 祭りの熱はどこへやら、書道部はぽっかり穴が空いたようで、千尋も獅子屋もどこかぼんやりしている。

 逆瀬を含む三年は受験の準備で少しずつ来なくなって、部長は屋古が正式に引き継いだ。

 美術部も小山から二年の杉田さんへと部長が替わり、三年のいない部室はさらにがらんとしていて、松下が黙々とキャンバスに筆を走らせている。

 あれから書も絵も何作か書き上げているけれど、どれも納得がいかない。

 獅子屋も同じようだった。


 学園祭の後、二つ変わったことがある。

 生徒会長が便宜を図ってくれて、書道パフォーマンスのために正式に空き教室を貸してくれることになった。

 今まで顧問が空いている教室を探してくれていたけれど、今度からはその手続きが無くても、好きな時に書を書ける。


 もう一つは、認知されたことで、声を掛けられるようになった。

 ――主に、獅子屋が。


「よー! お前ら、ちゃんと書いてるか?」

「逆瀬部長!」

「部長はあっちな」


 逆瀬の指が示した先で、屋古がへらりと笑う。


「やっぱ俺以外おらんやんなぁ」

「お前は相変わらず図々しいな」


 久しぶりの二人のやりとりを見て、部内の空気が和らぐ。


「勉強ばっかりで肩凝ったから、少しだけお邪魔させてもらう」

「どうですか、受験勉強は。捗ってます?」

「まあまあだな。行きたい高校は今の偏差値だったらそこまで厳しくはない」

「来年かと思うと嫌やなぁ。勉強出来ない訳じゃないけど、強制されるのはあんま好きやないから」


 屋古が溜息を吐くと、逆瀬はそれに重ねるようにして大きく溜息を吐いた。


「お前なぁ……」

「逆瀬先輩、どこの高校を受験するんですか?」


 千尋が声をかけると、逆瀬は通路を挟んで隣の席に腰を下ろした。


「東高校だよ。獅子屋の兄貴も居る」


 千尋の家の近くにある高校だ。

 獅子屋の兄、とは一体どんな人物なのだろうか。

 半年以上一緒に居ても、獅子屋の口からはあまり聞いたことがない。


「そういえば、去年から東高の書道部で書道パフォーマンスを始めたらしいな。獅子屋は正治まさはるさんから何も聞いてないのか」


 獅子屋は渋い顔をして、首を振った。


「兄貴とは、書道の話はしてないんで」

「……そうか」


 何かを悟ったように、逆瀬もそれ以上話を続けなかった。


 ――仲、悪いんだろうか。


 隣に座る獅子屋の表情が暗いような気がして、千尋はそれ以上話題には触れないようにして、書の練習を続けた。



 部活動が終わり、校舎が赤く染まる中、千尋と獅子屋は生徒で溢れる昇降口から外へと出た。

 振り返ると、学園祭で書いた書が展示されているのが見えた。

 二学期の間、玄関のところに飾ってもらえるらしい。

 その話を聞いたときは獅子屋と休み時間の度に見上げに来た。

 今でも登下校のときに見上げると、思い出して心が弾んでくる。


「千尋、今度の日曜空いてるか」


 スマホの画面を見下ろしながら、獅子屋が訊いてきた。


「え? あー、うん。特に用事はないけど」

「うちに来いよ」


 獅子屋が遊ぼうと誘ってくるなんて珍しい。

 なにか新しいパフォーマンスでも思いついたのだろうか。


「いいよ」


 千尋はとくに何も考えず、返事をした。


「……覚悟、しとけよ」

「え?」

「じゃあな、また明日」

「おい、なんだよ覚悟って!」


 そう聞き返すも、獅子屋は長い足ですたすたと遠ざかってしまう。

 千尋は首を傾げた。

 


 来る日曜日。

 何度目かの獅子屋宅へ辿り着くと、門の前に獅子屋が立っていた。


「よー」


 千尋が声を掛けると、いつもよりも疲れた様子の獅子屋が手をよろよろと上げた。


「どうしたんだよ」

「……入ればわかる」


 書道教室のほうへ向かっていく獅子屋。千尋は後を追いながら、これから何があるのか恐ろしくなってくる。

 しかし、書道パフォーマンスに関することならば、逃げる訳にもいかない。

 腹を括って、いつもは生徒が使っているであろう部屋へと一歩踏み込んだ。

 踏み込んで、千尋は目を剥いた。

 机がすっきり退けられた部屋の中心に、中世ヨーロッパを思わせるフリフリした服の櫛田が立っている。

 櫛田が居たことにも驚いた、けれど、その後ろ。窓の桟に掛けられた服だ。


「こんにちは、羽鳥くん」


 心なしか、櫛田の眼鏡が反射できらりと輝いている。


「こ、こんにちは」

「学園祭のときの、約束覚えてるかしら」


 ――こっちの条件も呑んで貰えるかしら。


 それは、学園祭の前。急遽決まった、書道パフォーマンスの発表の場で着る衣装を、と櫛田に頼んだときのことだ。

 たしかに、獅子屋と櫛田がそう口約束していたのを思い出した。


「え」


 嫌な予感は的中してしまった。

 でもまあ、コスプレくらいなら……いいか。

 千尋は約束だから仕方ない、と櫛田に肯き返した。


「前から、羽鳥くんのこと見て似合うと思っていたの」


 今まで見たことのない、クールな櫛田さんの朗らかな笑顔に、千尋も釣られて笑う。

 しかし、獅子屋は一人浮かない顔をしていた。


「どうした?」

「いや」


 隣の道具が収納してある小部屋に獅子屋と着替えを持って入る。

 千尋はコバルトブルーの衣装を広げて、固まった。


「……ハーフパンツ?」


 しかも、フリフリの。

 獅子屋の方を見やると、千尋のものとは系統は違うものの、そちらもなかなかのフリフリだった。


 ――覚悟、しとけよ。


 そう言っていた獅子屋の言葉が、耳に蘇った。



 

 

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