遥かなる、青に進め 4
翌朝、二人のお見舞いのおかげか、すっかり熱も下がった千尋は、いつも通りに登校した。グラウンドでは、丁度野球部が朝錬をしているようだ。
公弘はキャッチボールをしていて、少し離れたところで勇樹と先輩らしき人が話をしていた。
――がんばれ、二人とも。
千尋も胸を張って、教室へ赴いた。
長めの休みが明けて、四階までの階段を上がるのは少し息が切れた。まだ、部活をしている生徒以外は登校中というところだろう。校舎の中の人影は疎らだ。
教室の後側から入ると、すでに登校していた獅子屋が机に突っ伏しているのが見えた。ボサボサなのか、そういう髪型にしているのか、すっかり見慣れてしまった頭に声をかける。
「獅子屋」
「あ?」
声をかけた千尋が、思わず固まる。獅子屋の声が少し低くなって、乾いたような声に変わっていた。
「え、具合悪いのか?」
「いや、声変わり」
「は?」
「ゴールデンウィーク中に声出なくなったんだよなぁ。休み明けるのに間に合ってよかった」
「あ、そ、そう……」
思わず間抜けな返事をしてしまい、千尋は仕切り直すか迷っていると、獅子屋が横の席の椅子を引いた。
「まあ、座れよ」
「そこ、お前の席じゃないだろ」
「
適当なことを言って、獅子屋は大きい欠伸をひとつした。千尋は渋々といった体で、櫛田の席を借りることにした。
二人はお互いを見ずに、黒板のほうを向いている。
「……あのさ、獅子屋。話してほしいことが多々あるんだよね」
「オレも、そろそろ話したほうがいいだろうなと思ってた」
「僕、休み前に書道部に行ったんだけど、部長さんが書道パフォーマンスやってないって言ってた」
「そうだな。逆瀬さんは書道パフォーマンスに嫌悪感があるらしい」
逆瀬が言ってた「どいつもこいつも」の一端は獅子屋のことらしい。
「担任に土下座してたのは?」
「書道パフォーマンス部、創っちまおうかと思ったんだ。まだ返事は貰ってない」
「……声変わりは?」
「身長も伸びてるし、まあ来てもおかしくないだろ」
「なんで黙ってたんだよ」
「誘ったのに、活動の場がありませんじゃ格好つかないだろ」
「じゃあ、なんで今話そうと思ったんだ」
千尋は、獅子屋の方へ振り向いた。ぽつりぽつりと生徒の数が増えていく。始業のチャイムも直に鳴るだろう。
獅子屋も千尋の方を向いた。髪の間から、獅子屋の猫目がうっすら見える。
「活動の場を作るのに協力してくれないか、聞こうと思ったからだ」
「お前さぁ……」
一緒にやると決めたのに、一人で頑張っていた獅子屋に腹が立つ。そして同時に、獅子屋の書道パフォーマンスをやるという意思が揺らいでいなかったということに、ホッとした。
正反対の感情を持て余した千尋は、とりあえず獅子屋の肩を軽く殴っておいた。
「羽鳥くん、退いてもらえる?」
上から降ってきた櫛田の涼やかな声に、千尋は詫びてから自分の席に行くことにした。
「今日は逃げるなよ、獅子屋」
自席のある教室の前の方へ行く千尋の背を見送って、獅子屋は背もたれに凭れて、仰ぐようにして背を伸ばした。
「おはよー、櫛田」
「おはよう」
獅子屋は櫛田のてきぱきと支度している姿を眺めていた。
櫛田
獅子屋の視線に気付いているのかいないのか、支度を終えると背筋を正して椅子に座り直した。
獅子屋は後頭部をガリガリ掻くと、大きく欠伸をした。
――千尋は声変わり、気付いたんだけどな。
朝の挨拶、一通り話が終わると、担任の
獅子屋が教室を縦断して通りすがる途中、千尋の席に寄って、机に手を置くと人差し指で二回叩いた。
千尋が顔を上げると、獅子屋の大きな口が、来いと形を作った。
何も聞かずに獅子屋の後を付いていくと、教室を出て左手、廊下の突き当たりの視聴覚室の前で三森が立っていた。
「羽鳥も一緒か」
三森は体育を専門にしている、三十代半ばの教師だ。組んでいる腕の太さから、普段も鍛えていることが窺える。
いい先生なのだろうが、熱のありあまっているところが、生徒達との間にずれとして現れているのに、本人は気付いていなさそうだ。
「どうなったんすか」
教師の前でも、ふてぶてしさの変わらない獅子屋に、千尋は冷や汗を感じた。
「それがなぁ……先生もあちこち頼み込んでみたんだが、許可が下りなくてな」
「そうですか」
落ち込む千尋の横で、獅子屋は大きく溜息をついた。
そして、隣に居る千尋にやっと聞こえるかくらいの小さな声で、「つかえねーやつ」と、獅子屋は呟いた。
「そういう訳だが、先生は二人のそのやりたい気持ちが大事だと思っている。いつでも協力するからな」
そう言って、千尋と獅子屋の肩を叩くと、颯爽と職員室へ行ってしまった。
「あーあ……無駄に土下座した」
「お前なぁ、聞こえたらどうすんだよ」
「どうもなんねぇよ。頼み込んでるって嘘だろ。あいつ絶対なにもしてない」
獅子屋の怒っている理由は痛いほどわかる。プライドを投げ捨ててまで頼んだのに、先生から返ってきた言葉が「いつでも協力するからな」では報われない。
それでも、ここで問題になれば、活動する場がないという小さい問題だけではなくなってしまう。
「なあ、獅子屋。もう一度、書道部の逆瀬部長と話をしないか」
「……あの人聞く耳すら持ってくれないぞ」
「それでも、逆瀬部長が唯一の突破口な気がする」
書道部に入れて貰えれば、少なくとも顧問と場所が与えてもらえる。
書道が出来るとはいえ、獅子屋も書道パフォーマンスに関しては素人だ。少しでも頼れる人が居たほうがいい。
千尋は、獅子屋の顔を見上げた。
「あのさ、逆瀬部長に僕達のパフォーマンスを見てもらおうよ」
「……百聞は一見に如かず、か」
「ううん、ただ見て納得してもらうだけじゃない。これは挑戦状だ」
――僕達が、書道部に必要と思わせるための。
以前の千尋だったら、この状況に置かれたら諦めていたかもしれない。今は胸の内に炎があるように、前に前にと突き動かされる。
放課後に打ち合わせることにして、二人はそれぞれの席に戻った。
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