カルテ1-2 流れ星の降る丘
図書館の周りを囲む林の中にその倉庫はあった。だいぶ放置されていたせいか、壁にはツタが這っていた。助手は入ろうと扉に手をかけ引いたが扉はギぃっと音を立てただけで動かない。よく見ると2枚ある扉は南京錠で合わせて閉じられていて中に入れない。外の暑さのせいもあって多少頭にきた助手は、少し後ろに飛んでから勢いをつけて猛スピードで倉庫に突っ込み扉に蹴りを放った。ぶつかった薄い金属製の扉はひしゃげてドア枠から外れ、倉庫内に軋んだ音を立てて倒れ込んだ。
「ふう。少々手荒な真似になりましたが食べ物の恨みは恐ろしいのです。」
助手は土煙を払って入り口に開いた穴から中に入った。小さい倉庫だったので中にはそれほど品物は入っていなかった。見たところ紙皿やコップ、ボトルに入った水などが保管されているようだった。倉庫の中は暗く品物がよく見えなかったので、助手はもう一枚の引き戸もドア枠から外して入り口を広げた。明るくなった倉庫を見渡すと、ある一つの箱の中に銀色のパックがいくつか入っているのが見えた。気になった助手はそのパックを手に取り書いてある文字を読むと、それは湯せんか電子レンジで加熱して食べるタイプのレトルトカレーであった。お目当ての品が見つかったので、思わず助手は小さくガッツポーズをした。
「やったのです。博士、これで我々も料理デビューなのです。」
パックの入った箱を抱えた助手は一応外した扉を元に戻し、上機嫌に羽ばたいて図書館に戻った。
真夏の昼下がりはさすがに暑いのか、ヒイラギは病院に戻ってきていた。ジャパリパークにはおおよそ似つかわしくない空調設備が病院には設置されているため室内はひんやりとしていて涼しかった。その快適な部屋でヒイラギはクレヨンで不要な書類の裏紙に文字や絵を書いたりしていた。サキはヒイラギの横で鉛筆を持って文字を書いて見せ、こうやって書くんだとヒイラギに教えていた。お手本の文字を見よう見まねで書き写しながら、ヒイラギはさっきまで友達と遊んでいたことを話し出した。
「さっきね、向こう側の砂地でオオタカちゃんとかと5人で追いかけっこしてたんだけど、スナネコちゃん全然へばらないんだ。僕たち暑くてすぐハアハアしちゃったけど、スナネコちゃんだけは飽きるまでずーっと走り回ってたんだ。」
「他の子と遊ぶのって楽しいでしょ。遊ぶ友達がいっぱいいるのは本当にいいことなんだよ。私にはそんな子いないもの。」
ヒイラギの楽しそうな顔がサキの心をチクリと刺さり、ついサキは愚痴っぽく返事をしてしまった。なぜヒイラギには何も関係のないこんな愚痴を言ってしまったのかとサキは少し後悔した。
「でもサキさんのところにだって、たまに白いフクロウの小っちゃい子、博士って言うんだっけ?その子が訪ねてくるじゃない。」
ヒイラギは手を止め、サキの方にひょいと無邪気な顔を向けて尋ねた。
「博士はね、たぶん他に友達がいない私を見かねてたまにおしゃべりしに来てくれているんだと思うの。でも、そうね。来てくれるとやっぱりうれしいな。」
博士は3か月に1回ほど病院にやってきて、サキの様子を見に来るのである。その時はサキも気分が高揚して博士と夜までしゃべり倒すのだった。博士は捕食者セルリアンの腕をもつサキにも他の子と同じように接してくれた。それがサキにはとてもうれしく感じられ、博士を慕うきっかけともなった。
「あの時のサキさんってすっごく楽しそうだよね。話していることが難しいから僕にはわかんないけどさ。」
そうだね、とは相槌を打ったが、サキには楽しそうにしている自分の姿があまり想像できなかった。丘の病院に引きこもってからサキはほとんど他人と関わってこなかった。1年前にヒイラギを受け入れてからは多少は言葉を発する機会は増えたが、それでも他に親交のあるフレンズは博士とたまに立ち寄るヒイラギの友達のオオタカくらいである。友達と遊んで暮らす、そんな健常なフレンズの普通な暮らしがサキには手の届かないものであった。そんなことを思い出すうち、また暗い感情が膨れ上がってサキを押しつぶしていく。サキはうつむき黙り込んでしまった。
そんなサキの姿を見てヒイラギはちょっと困惑したようだったが、また思い出したように話し始めた。
「そうそう。このあいだ僕、丘のふもとで博士に会ってサキさんは元気にしてるかって聞かれたよ。僕が元気だよって答えると博士もにっこり笑ってたんだ。それで、確かその後こんなことを言ってた。
命の危機にあったお前を保護し、治療をしてくれたのはサキなのです。あいつは私の助手を含め、多くの者に避けられてはいますが、あいつが毎日夜遅くまで勉強していることは、自分を避ける者たちを救う技術なのです。私はみんなに認められようと努力を続けるあいつを立派だと思うのです。きっといつかその努力が多くの者に伝わる日が来るはずなのです。だからお前はサキを信じて寄り添ってあげるのです。
難しいから博士の言ったことは僕にはよくわかんなかったけど、僕はサキさんを信じているよ。だって命の恩人だもの。」
博士とヒイラギの言葉にたまらずサキはうつむいた顔を上げ表情を緩め、ヒイラギを抱きしめた。くすぐったそうに顔をほころばせるヒイラギに明るく言った。
「あはは、そうね。私にもヒイラギっていう大切なお友達がこんな近くにいたわ。いつも元気をもらっているわ。ありがとうヒイラギ。」
少し傾いた日差しが柔らかく二人を包み、運命の泥沼でもがく医者とこどもの無垢な頬をやさしく撫でていた。
ゆっくりと日は傾き丘の上の空は抜けた青色から紫色とオレンジ色に少しずつ移り変わっていく。
サキはこの後訪れる夜が、自分の行く先を大きく変えるものになるとは、この時露にも思わなかった。
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