カルテ3ー2 ケセラセラ

どっと目に飛び込んでくる光が眩しくてうまく瞼が上がらなかったのでしばらくサキは医員室の机に突っ伏し、開いた医学書を枕にして薄目を開け二度寝を貪っていた。朝食をトレイに乗せて運んできたヒイラギに背中を叩かれて大あくびをしてのけぞり、袖で顔を拭った。そしてふらりとデスクチェアから立ち上がって洗面台で顔を洗うと、また元の机に戻って朝食に手をつけた。メニューはじゃぱりまん3個とホットコーヒー。じゃぱりまんは毎日ラッキービーストが配達してくるもので、コーヒーは医員室や湯沸室に大量に保管されていたインスタントコーヒーをヒイラギが毎朝淹れてくれるのだ。サキは皿にのった3つのじゃぱりまんをあっという間に平らげるとコーヒーを啜りながらテーブルの本立に立てかけてあるノートを取り出し、パラパラとページをめくり目を通し出した。

「サキさん体細いのに3個もじゃぱりまん食べるんだね。僕なんか1個でお腹一杯なのに。」

「なぜか知らないけどお腹空くのよ。毎晩遅くまで頭使っているからかしら。」

ヒイラギはいつものことながら半ば呆れて向かいのサキに苦笑いを向けたが、サキは平然としてノートに目を向けていた。


朝食の後、ヒイラギは鼻歌を歌いながら病院の部屋に掃除機をかけ始めた。ヒイラギの友達の多くは冬ごもりの準備を始めてしまったらしく忙しくしており、ヒイラギと遊ぶ時間が無くなってしまった。そのため暇つぶしに病院の物置から掃除機を引っ張り出して病院のあらゆるところを掃除していた。病室、診察室、医員室、廊下と片っ端から埃を払い、そして今ようやく最後の場所、エントランスにたどり着いたのだった。

「ようし、あと少しだ!」

病院がどんどんキレイになっていくのを見るうち気分がよくなっていくヒイラギは調子よく掃除機のヘッドを滑らせていた。

ちょうどエントランスの入り口のドアの前に差し掛かった時だった。厚いガラスでできた両開きのドアの向こうからフードを着た見たことのないフレンズが病院に向かって駆け込もうとしてきているのが見えた。どうやらそのフレンズは誰かを背負っているらしく、かなり大慌てな様子だった。驚いたヒイラギは掃除をやめて掃除機をエントランスの壁に立てかけると大急ぎでそのフレンズに向かって駆けた。

「いったいどうしたんですか?お姉さん。」

そのフレンズはヒイラギの前で走るのをやめて息を切らした。そして吹き出る顔の汗を振り払うとかなり興奮した様子で勢いよく話し始めた。

「お前がここにいるって噂の医者か? 俺の友達の体調がずっとおかしいんだ。すぐ診てくれよ。咳が止まらなくて熱も出ていてな・・・とにかくっ、頼む!」

そのマシンガントークぶりにヒイラギは度肝を抜かれてしまった。

「ええっと、ですね。すみません医者は僕ではないです。」

「じゃ、じゃあその先生にはやくつないでくれよっ!」

汗が止まらず目をしばしばさせている緑髪のフレンズは興奮が収まらず顔を真っ赤にしていた。

「わ、わかりました! すぐ呼んできますから、お姉さんもすこし落ち着いてください。ところでお姉さんたちは何のフレンズですか?」

「あ、ああ。すまない。俺はツチノコだ。それで患者はスナネコだよ。」

「えっ!? あのスナネコさん? 砂漠の歌姫の? 僕、あなたのファンで、何度かスナネコさんの歌を聴きに行ったことあります!」

ヒイラギはとても驚き、ツチノコの横に回ると背負われているスナネコの顔を覗き込んだ。その様子に気付いたスナネコは嬉しそうに言った。

「もしかしてボクのファンですか? うれしいなあ。」

「はい! スナネコさんの透き通った歌声が大好きです! 夕方にどこからか聞こえてくる歌もスナネコさんが歌っているんですよね

?」

「あれは、ボクじゃなくて先代のスナネコの声だと思うのです。けどまあ、ありがとです。」

「お前らその話は後にしてくれ。俺もこれ以上背負い続けるのは体力的にきつい。早く先生を呼んできてくれ」

スナネコを背負ってかれこれ30分にもなる。ヒト以上の体力を持つフレンズとはいえどさすがに疲労が感じられたツチノコの声に、我を忘れて目の前の歌手と話をしていたヒイラギはハッとなった。

「すみません、つい・・・ とりあえず病院の中へどうぞ。座れるところもありますから。」

ヒイラギは病院から車椅子を持ち出して、それにスナネコを抱えて乗せた。ヒイラギが力を込めて把手を押すと、スナネコを乗せた車椅子はゆっくりと丘の斜面を登り始めた。

「おおー、これは便利ですね。自分で歩かなくても勝手に進んでいきます」

車椅子を押すヒイラギの眼前ではスナネコは興味深そうに車椅子を観察していた。

「のんきなもんだなあ」

とツチノコはちょっと呆れ、遅れて噴き出してくる汗を拭っていた。


一方サキは朝食のあと蔵書庫に入り床に座り込んで背中を本棚の板に押し付け、レントゲン写真やCT画像、各数値がまとめられた表が並ぶ症例報告書を両腿に開いて置き、白黒に浮かび上がった画像を念入りに読み込んでいた。サキの隣には10冊ほどの医学書が2つの山になるよう雑に積まれていた。そして大事なところを書き留めるために、ポケットからボールペンと手帳を取り出し、「外来で注意すべき呼吸器所見、呼吸数、呼吸苦、喘鳴など異音、など。」と手帳に殴り書いた。

この「メモを取る」という行為は数年前博士から教わったことだった。


まだサキが独りぼっちで医学書を読みふけっていた頃に博士がふらっと訪ねて来た時のことだった。医員室のサキの机の上にあった、書き込みだらけになっていた医学書を目にとめた博士がサキにアドバイスをしたのだ。

「お前の勉強の仕方は少し効率が悪いのです。そんな分厚い本にたくさん書き込んでいては、自分の知りえた知識が自分の手の届くところに残らないのです。だから、こうするのがいいのですよ。」

そう言って博士は灰色のコートのポケットから一冊の紙の束を取り出した。博士はその薄い質素な表紙の本を開き、紙面をサキに見せた。そこには羽ペンで書かれたような黒く細かいアルファベットがびっしりと敷き詰められていた。ところどころにアンダーラインが引かれていて、何かを強調しているようだった。

「これは『ノート』と言われるものなのです。何も書いてない本のような形をしているのです。私のこのノートには、私が図書館の本を読んで知ったこと、忘れたくないと思ったことなどを書き連ねているのです。つまり、自分で文字を書いて、さながらお前だけのオリジナルの本を作るように学んだことを書いていくのです。そしてたまに見返して、思い出すのです。こうすれば、すぐに自分が思い出したいことが見つけられると思うのですよ。」

それに・・・

「書いた文字、その一つ一つがお前の軌跡になるのです。前に進むのに疲れた時、それがあれば後ろを振り返ることができるのです。お前の後ろにまっすぐ続いてきた足跡には、一つとして偽りはないのです。」


「こうして今私が書いているノートが、いつの日か私を救うかもしれないな。」

サキは使い古された手帳の表紙をじっと見つめ、ふと昔のことを振り返っていた。そうしていると、どこからか自信が湧いてくるのだ。きっと過去の自分の学んだこと、頑張りの記録が、目に見えない汗と時間を強く裏付ける証拠になっているからだろう。

サキには助手とヒグマの二人の治療を完遂したという実績もあった。そのことは、サキの知識と医療手技が単なる知識の集積ではなかったことを確かに示してくれている。自分の勉強の成果がああして命の危機を救うという最上のものになった、このことをサキは内心とても大切にし、自信の拠り所としていた。

医者という仕事で生きる自信は、小さなブロックのような治療経験を一つ一つ積み上げていくことで自ずと高まっていくものだ。今、サキは医学知識という土台の上に、2つブロックを積んだことになる。客観的にはどう見てもまだまだ駆け出しなのではあるが、それでもサキは積みあがった大切なブロックのタワーを見てにんまりとにやついてしまうのだった。

だから、今のサキは後ろを振り返る気分にはならなかった。もっと先へ、もっと医師として成熟したい、そういう何かに啓発された時のようなポジティブな推進力がサキの背中を押していたから。

そうしているうちにヒイラギの呼ぶ声が耳に入った。サキはのっそりと立ち上がると、手帳とボールペンをポケットにしまい速足で蔵書庫を出て階段を駆け下りた。


エントランスに降りるとサキは入り口のソファーに座っていたヒイラギと目が合った。

「どうしたのヒイラギ。患者さんが来たの?」

「うん。スナネコさんがね、咳が止まらないって言ってツチノコさんと来たんだ。」

ヒイラギはスッと立ち上がるとスナネコの乗った車椅子を押してゆっくりとサキに近づいてきた。サキは車椅子にもたれているスナネコの様子をざっと見渡した。今は咳が落ち着いているようだが少し肌が紅潮しているように見える。少し熱があるのだろうか。車椅子がサキの前まで来ると、ヒイラギの後ろからツチノコが顔を出した。

「お前がここの病院の先生だな。こいつの病気を治してやってほしいんだ。」

ツチノコは少しぶっきらぼうにサキにお願いをしサキの顔を見た。サキはその目線に合わせ頷いた。

「はい。ここで医者をやっていますサキといいます。まずはスナネコさんを診察しますから、診察室の方へどうぞ。」

そう言ってサキはヒイラギに代わって車椅子を押し、診察室にスナネコを入れ、その向かいに自分の椅子を置いた。眼前のスナネコは見たことのない道具や機械が並ぶ診察室に興味をひかれているようで、おぉ〜と驚きの声を漏らしながら部屋中をぐるぐる見回していた。サキは使いそうな道具を棚からとって机に並べると椅子に座りスナネコに質問を始めた。





*お知らせ:筆者都合により12月半ば終わりまで今のペースで投稿できないかもしれません。なるべく頑張りますが、もしいつもより更新が遅れてしまった時はご容赦ください。

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