カルテ3ー1 ケセラセラ

抜けるような群青色の空の下にはおびただしいほどの薄黄色の砂が敷き詰められ、時折吹く風によって刻一刻と堆い隆起と滑らかな陥没を繰り返していた。ジリジリと皮膚を照り付ける強い日差しを避けられる場所はわずかな岩陰か洞穴の中だけであった。砂漠地方に住むフレンズ達はそれぞれの岩陰や穴を自分の縄張りとして所有し、直射日光と毎日のように湧いて出る砂嵐、日没後の急激な冷え込みに耐え、たくましく暮らしていた。

砂漠の端の洞穴にはスナネコが住んでいた。十分に広いその住処には、後ろの山の林から持ってきた枯れ葉を敷き詰めたベッドと、どこからか見つけて拾ってきた古いギターが置かれていた。スナネコは暇なときはギターを手に取ってポロポロと弦をはじき、それに合わせて歌うことが大好きだった。生れつき透き通るきれいな声を授かったスナネコの歌声は砂漠のフレンズ中の評判となり、彼女の歌声を聴きに来るフレンズもいた。

そんなスナネコの歌声はここ数か月ほとんど聞こえなくなってしまっていた。洞穴から漏れる音はギターをつま弾くメロディーと、乾いた咳の音だけになっていた。

「こほっ、こほっ・・・ この風邪はいったいいつになったら治るんでしょう。」

こみ上げてくる咳が収まるとスナネコはぽつり呟いて肩を落とした。2か月前の秋の初め辺りに喉の調子がおかしくなり咳が出始めた。たぶん喉風邪だろうと思っていつものように放っておいたが一向に咳は収まらず、むしろだんだんせき込む回数が増えているように思えた。どことなく体も気だるげで、喉も少し痛く、とても歌う気持ちにはなれなかった。歌うことも、出歩く元気も湧かず、スナネコはがっかりしてまたギターの弦を弾いた。レ、ラ、レ、ファ、ラ、ド、ラ、ミとDマイナーとAマイナーの哀しげなアルペジオが洞穴に散らばった。

ベッドに座ってギターを弾いてしばらくすると、フードを被ったヘビのフレンズがガラス瓶を2本持ってスナネコの住処に入って来た。

「体調は大丈夫かスナネコ?また持ってきたぞ。」

「お世話になってばかりでごめんです。ありがとです、ツチノコ。」

入ってきたのはツチノコのフレンズであった。ツチノコはスナネコの歌を最初に聴きにきたフレンズであり、それがきっかけで二人は友達になった。スナネコが体調を崩してからは、ツチノコは毎日洞穴を訪れ、拾ったガラスビンに川の水を汲んで持ってきているのだった。

「いいんだよ。お前は病気かかっているんだからな。無理はダメだ。」

ツチノコはスナネコの傍に座ると、持っている水の入ったビンを砂に深めに突き刺してビンが倒れないようにした。

「やっぱり、まだ風邪は治っていないみたいだな。」

ツチノコは心配そうにスナネコの顔を覗き込んだ。スナネコはうつむいて顔を曇らせた。

「治らないですね、ずーっと咳が続いてます。」

「かれこれもう2か月にもなるだろ。いくら何でも長引きすぎじゃないのか?」

「うーん、そうはいってもボクにはどうしようもないのです。結局いつもの通り寝て治るのを待つしか・・・」

スナネコはギターを置いてベッドに仰向けに横たわった。するとまた湧き上がるように咳がこみ上げてきた。スナネコはたまらず顔を

しかめ首を横に回して激しくせき込んだ。カンカンという乾いた音の咳を繰り返し背中を丸めるスナネコの背をツチノコは撫で、咳が収まると話を切り出した。

「なあスナネコ、一回医者に見せた方がいいんじゃないのか。俺だって風邪くらいひくときはあるけど、こんなに長く続くのはどう考えてもおかしいぞ。」

「いしゃ? いしゃってなんですかツチノコ。」

スナネコは他人事のようにあっけらかんとした顔できいた。

「あー、お前知らないか。医者っていうのは病気やけがを治すことが得意なヤツのことだよ。最近近くの丘の上にその医者ってやつがいるらしいんだ。医者が持っている薬とかを使えばお前の風邪も治るかもしれないぞ。」

「そうですか。ツチノコは何でもよく知ってますね。」

「なあに、お前よりフレンズとして生きている時間が長いだけだ。フレンズになって数年のお前じゃ知らなくて当然だからな。」

ツチノコはちょっと照れて顔を背けたが、ベッドにまただらりと寝転がったスナネコは変わらずにツチノコを見上げていた。

「いつまでも咳が続くのはしんどいので、そこに行ってボクの風邪が治るのなら、ちょっと行ってみようかな。」


翌日の朝、暑くならないうちに二人は洞穴を出て病院のあるという丘に入った。風邪をひいてからほとんど出歩かなかったせいかスナネコの体力はかなり落ちていた。砂漠を出て林を抜けてすぐの坂の途中でスナネコはばててその場に座り込んでしまった。

「はあっ、はあっ、少し休ませてください・・・ツチノコ。息が上がって・・・」

「わかったよ。そこの岩陰でちょっと休もうか。」

ツチノコはあたりを見回し良さげな岩を見つけると、隣で座り込んだスナネコに肩を貸してその岩陰まで連れ添って歩いた。

二人は岩の横に座ってビンに入っている水を少し飲んだ。長い距離を歩き疲れていたスナネコは顎を上げ、舌を出して荒い呼吸をしていた。その呼吸音には微かに何かが詰まって震えているようなヒューッ、ヒューッという音が混じっていた。するとスナネコは「うっ」とえづき上げるような鈍い音を出し、激しくせき込み始め口を手で押さえてうずくまった。

「お、おい!大丈夫かよ!」

ツチノコはいきなり咳き込んだスナネコにびっくりし、慌ててスナネコの肩を抱きかかえた。上下に揺れる肩越しに見えた、スナネコの目は一生懸命な咳のせいで涙ぐんでいた。地面にうずくまり激しい喘鳴を丘に轟かせるスナネコの姿にツチノコは切迫感を覚えた。早く連れて行かないといけないという衝動が湧いた。そしてサッとスナネコの手を取ると、それを自分の肩の上にかけさせスナネコを背負った。そうして岩陰を飛び出すとスナネコを背負ったまま坂を駆けあがり、病院に向かって走り出した。いくらスナネコの体重が軽いとは言ってもフレンズ一人担いで坂を駆けあがるのは辛く、深秋の丘はひんやりとした空気に覆われていたにも関わらず、すぐにツチノコのパーカーは汗でびっしょりと濡れ重くなっていった。それでもツチノコは歯を食いしばり走ることはやめず、ただ突き動かされたかのように足を動かし続けた。

坂道を走りながらツチノコはなぜ自分が汗だくになって走っているのかを考えていた。脳にエネルギーがさけず全くまとまらない思慮の断片が散らばるばかりだった。それでも、ツチノコの頭に舞っているそれらは一つの絵を、気持ちを為していることを脳の本能に近い部分ではっきりと感じた。そしてそれは、自ずと晶出した。


「待ってろ! 俺が連れてってやるからな! 大人しくしていろよ!」


背負われたスナネコは何も言わず静かにツチノコに体を預けていた。

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