カルテ2ー7 生き方は変えられない

2週間が経ち、ヒグマが退院する日がやって来た。この2週間でいつの間に仲良くなったのか、ヒイラギはリカオンをお姉ちゃんと呼ぶまでになっていた。ヒグマのもう一人の相棒であるキンシコウも仕事が空いた時には見舞いに来ていた。ハンターどうし、助け合い、信頼しあっている良いチームだなとサキは感じていた。

「お姉ちゃん、また遊びに来てね。僕待っているよ!」

「うん、また来るよ。」

ヒイラギとリカオンはハイタッチを交わしていた。その様子を見ながらサキはヒグマに何気なく問いかけた。

「ヒグマさん、私がすべきことはすべてやりました。これで少しは信頼してくれますか?」

そう言ってサキは右手を差し出した。ヒグマはそれを見て、ちょっと考え込んだ後いつものようにニッと笑って、左手で差し出したサキの右手を下ろさせた。そして右手を伸ばし、驚いているサキの左肩にポンと右手を置いた。

「サキ先生。やーっぱり私はあんたを信用できないや。今までの生き方をいきなり変えるのは難しいや。許してくれ。」

そうですかといってまたサキは苦笑いした。ヒグマは一呼吸置いてサキの表情を見たあと、いままでサキに見せたことのないほどの柔らかな顔で続けた。

「だけどな、信用と感謝は別だ。あの時で死ぬかもしれなかった私を治して、またハンターの仕事に復帰させてくれた。それにこうしてまた後輩を育てることができるチャンスをくれた。そのことには心から感謝するよ。ありがとな、先生。」

予測していなかった言葉にサキは言葉が出ず、照れてしまい顔を逸らした。ヒグマはそれだけ言うとサキに頭を下げた。そしてくるっと背を向け歩き出した。

「キンシコウ、私の居ない間迷惑かけたな。また今日から働くよ。あとリカオン。お前はもうちょっとしごかないといけないなあ。」

「うげえっ!」

「言ったろう。私が元気になったら続きをやるって。オラ来いよ。しかもお前患者でもないのにヒイラギちゃんに頼んで病院食を食ってたらしいな。おかげで太っただろ?またみっちり鍛えてやるから覚悟しとけよ。」

「ひいーっ! 了解ですぅー!」

リカオンは怯えて飛び上がると一目散にヒグマを追いかけて行った。その途中で一度振り返ると手を振り大きな声でサキとヒイラギに呼びかけた。

「サキさん! 先輩を治してくれて本当にありがとう! ヒイラギ

ちゃん、また来るからねー!」

そしてリカオンはまた駆け出して行った。

仲良く丘を降りるハンターの3人を見下ろし、サキはヒグマに感謝の言葉をかけられたことを思い返していた。

あの時のヒグマとの間には信頼とは違う、何か別のつながりがあったようにサキには感じられた。医師患者の間の信頼関係を超えた、命を救った者、救われた者の関係がそこにはあったのか。命を救うという行為は感情・信条を超えたところ、すなわち生物の本能にはじめから刷り込まれたものなのではないだろうか。だからあの時ヒグマは信頼していない私に対して救命への感謝を述べられたのかもしれない。

ならば、命をあずかる医師を突き動かすエネルギーは「助けたい」という生物的本能からくるのかもしれない。そしてその本能に従順に生きるのが医師の仕事なのかもしれない。

そんなことをサキは考えていた。そして無意識のうちにヒイラギに問いかけていた。

「ヒイラギ、私は最後までヒグマさんに信頼はされてなかったんだね。」

ヒイラギはきょとんとした顔でじっとサキの顔を不思議そうに見つめていたが、すぐに大きく口を開けて笑った。

「ヒグマさんは確かにそうは言ってたけどさ、心の中ではちゃんとサキさんを信じていたと思うよ。だってサキさんにありがとうって言って背を向けた後、ヒグマさん、ちょっと泣いてたよ。サキさんからは見えなかっただろうけど、ヒグマさんの横にいた僕からは見えたんだ。だからね、ヒグマさんは本当はありがとうって言っても言い切れないくらい、信じて命を託したサキさんに感謝していたんじゃないかな。」

あのヒグマが泣いていた。その涙の意味は他人との交流の乏しいサキには想像しがたかったが、なんとあまのじゃくな人なんだろう。それでもサキは、セルリアンへの拒絶の権化だったヒグマを乗り越え、治療をやり切った。そのことで胸がいっぱいだった。そしてまた一つ医師としてやっていく自信を手に入れた。

「この仕事なら、この両手で自らの運命を変えられるかもしれないよ。博士。」

そう言ってサキは思い切り背伸びし両腕を空へ突き出した。透き通った青いガラスのような腕は柔らかな秋の陽を灯し、ほんの少し暖かく輝いているようだった。


カルテ2 おしまい

カルテ3へ続く


患者:ヒグマ

No.:3

種族:ヒグマ フレンズ

職業:セルリアンハンター

傷病名:外傷による左胸郭の裂傷および血気胸 それによる呼吸切迫とチアノーゼ

原因:セルリアンとの戦闘で負傷

治療法:胸郭内の血液を排出したのち、胸腔鏡下で外科的に処置。体表の裂傷は消毒ののち縫合

予後:二次感染もなく気胸も再発せず


主治医:SAKI

入院先:ジャパリパーク・キョウシュウエリア第2病院 001号室

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